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間話「狂犬の、剣は重いか鋭いか」
北方大地が最西端。
剣の聖地。
この地には、戦いの歴史がある。
現在、剣神流の総本山となっているこの地は、水神流が台頭していた時期があった。
ほんの百年ほど前。
ある代の水神が剣神と決闘し、この地を奪い取ったのだ。
その水神はまた別の剣神に破れ、聖地は再度剣神流の手に渡ったが、それ以来、当代最強の剣士が、その流派が、居座って剣を教える場となったのである。
最強の剣士に剣を教わる。
あわよくば、最強の剣士を倒して、自分が最強となる。
そんな野望を持つ剣士たちが憧れ、一度は訪れたいと思う地である。
そんな地に、現在珍しい人物が訪れていた。
それも、二人。
片方は、六十を過ぎた程度。老婆だ。
気難しげな表情をしているものの、全体的におっとりとした外見は人に安心感を与える。
現在は旅姿であるものの、服装次第では安楽椅子に座り刺繍や編み物をしている姿が似合うであろう。
その外見に似つかわぬものが一つ。
老婆の腰に下げられた、一本の短めの剣である。
そして、見るものが見れば、老婆の物腰に一切の隙が存在しないことを看破するだろう。
相応の剣技を持つ者であれば、一見すると隙だらけの姿のどこに打ち込んでも、自分の剣が届かないことを見破るだろう。
なにを隠そう、彼女こそが、水神『レイダ・リィア』である。
水神流の奥義『剥奪剣』を極めし、当代最強の剣士の一人だ。
そして、そのレイダに付き従うのが、一人の若い女だ。
齢にして二十前後であろう彼女は、レイダと似た顔立ちをしていた。
レイダと同じような旅姿で、腰にはやはり剣を帯びている。
「お師匠様。ここが剣の聖地ですか?」
「そうともさ。あんたが行きたい、行きたいと言っていた、野獣どもの棲家だよ」
「緊張します」
「あんたは自分の技を信じればいい。剣神と戦うんでなければ、十分に通じるはずさね」
「はい。お師匠様」
二人はそんな事を言いつつ、剣の聖地へと入っていく。
剣の聖地、といわれている場所だが、一見すると普通の町である。
宿屋があり、武器屋があり、冒険者ギルドがあり。
冒険者がいて、商人がいて、誰もが忙しそうに歩き回っている。
ただ、特異な点を一つあげるとするならば、町人のほぼ全てが剣神流の剣士であることだろう。
そこらの細い腕をした町娘が、屈強な冒険者より腕の立つ事がありうるのだ。
「まずは宿を?」
「必要ないさ、ガルの坊やのところに泊まらせてもらえばいい」
レイダはそういいつつ、町中を抜けて、さらに町の奥へと進んでいく。
ある程度進むと、冒険者や商人の姿は少なくなり、木刀を片手にした胴着姿の者や、道場のような場所が増えていく。
道連れの女は、キョロキョロとものめずらしそうに見ていた、雪の中、寒そうな胴着姿でいる者たちがやや新鮮だったのだ。
「お師匠様。こちらの人たちは寒いのに、随分薄着なのですね」
「剣神流は速く動けなきゃ、でくの坊だからね、寒くても重いものは身につけないのさ」
「暑くても厚着をする私達とは正反対。面白いですね」
「面白かないよ」
レイダは道場になど目もくれず、一直線にさらに奥へと歩いていく。
ある区画を過ぎると、道場も、家も、胴着姿の若者も、プッツリと姿を消した。
一面の雪景色に、谷のような道が一本、続いているだけだ。
その先には、塀に囲まれた、一軒の大きな道場があった。
ここが剣の聖地の大本。
剣神流の総本山となる、大道場である。
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レイダ達が大道場の入り口までたどり着くと、丁度入り口から一人の女が出てくるところだった。
長い髪を首の後ろでまとめた、凛とした表情をする女である。
桶を手にしているところを見ると、水を汲みにいくところなのかもしれない。
少女はレイダたちに気づくと、即座に桶を投げ捨て、腰の剣に手をかけて警戒をあらわにした。
「当家にどのような御用でしょうか?」
レイダは女の顔をまじまじと見ると、気難しげな顔を若干和らげた。
「おお、ニナかい? 大きくなったねぇ」
「……?」
レイダの言葉に女は訝しげな表情を作る。
「ああ、覚えていないかい。仕方ないか、前にあった時はこんなに小さかったからねぇ……」
懐かしげな表情をするレイダであるが、女――ニナ・ファリオンの記憶にはない。
ただわかるのは、目の前の老婆がただならぬ人物であるという事だけだ。
そして、隣にいる女もまた、ニナと同等か、それ以上の力を秘めているだろう事を見て取った。
「今日はあんたん所の大将に呼ばれてきたんだ。案内しておくれ」
「大将?」
「ガル・ファリオンだよ」
ニナはその言葉に逡巡した。
剣神ガル・ファリオンをたずねてくる者は多い。
しかしその大半は、剣神の名を譲り受けんとする、思い上がった身の程知らずである。
そうした相手を門前払いにするのも、ニナ達門弟の役割である。
「失礼ですが、名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
「レイダだよ。レイダ・リィアだ。別にどこの何者かは、言わなくてもわかるだろう?」
「っ! わかりました、こちらへどうぞ」
だが名前を聞いた瞬間、ニナはレイダに対して一礼をして、門の中へと招いた。
レイダ・リィアという名前を堂々と名乗れる者は、この世界に一人しかいない。
水神流のトップ。
水神だけが、レイダ・リィアと名乗れるのだ。
あるいは名前を騙っている可能性をチラと考えたニナであったが、
この老婆の物腰から底知れぬ何かを感じ取り、その考えを打ち消した。
偽者であっても、相応に腕の立つ御仁であろう。
レイダたちはニナに案内され、剣神流の敷地内へと足を踏み入れた。
入り口からまっすぐに進み、雪国特有の段差のある玄関から中へと入る。
玄関で雪を払い、ギィギィと軋む木張りの床を歩いていく。
レイダは前を歩くニナを見つつ、ポツリと言葉を漏らした。
「若いのに随分と素直で鋭いね。剣王ぐらいにはなったかえ?」
「いえ、私などまだまだです」
「そうかえ、若手じゃ一番強いんだろうに謙虚な事だねぇ」
「一番速くはあるかもしれませんが、一番強いのは私ではありませんから」
「ほぉ。いい心構えだよ。剣神流の若者とは思えないぐらいだ」
そんな会話をしつつ、三人は『当座の間』へとやってきた。
そこには、一人の男が座っていた。
瞑想でもするかのようにゆるく目を閉じて。
レイダは刀を喉元に突きつけられたような感覚に陥る。
レイダは三大剣術の頂点の一人『水神』であり、老齢でありながらもまだ全盛期となんら変わらない実力を持っていると自負している。
だが、唯一この男の剣だけは受け流せまい。
この男こそが、剣神ガル・ファリオンである。
「レイダ・リィア様をお連れしました」
「来たか」
ガル・ファリオンは薄く目を開けて、レイダを見た。
隣にいる少女にもちらりと目をやったが、すぐに興味を失い、視線をそらした。
「遠路はるばる、よく来てくれたな。老骨に長旅は辛かったろうに」
「まったくだよ。けど、あんたがあたしに頭を下げるっていうから、物珍しくてつい来ちまった。どっこらしょっと」
レイダは剣神の前へと歩き、腰を下ろした。
どっこらしょと口では言っているものの、その動作は水のように流麗であった。
そのやや後ろに、控えるようにニナと、レイダの連れの女が座った。
「で、あたしは誰に何を教えりゃいいんだい? そっちの子に水神流の奥義でも教えてやりゃあいいのかい?」
レイダはニナを顎でさしながら、剣神にたずねる。
「まあ、素直そうな子だ。剣神流に向いているだろうが、水神の技も使えんことはないだろう」
彼女は剣神より送られてきた一通の手紙を読んでこの地にやってきた。
『一人の弟子を鍛えてほしい』
そんな意味の書かれた手紙を、レイダは即座に破り捨てようとした。
しかし、あの人に物を頼むことが嫌いな剣神ガル・ファリオンがわざわざ手紙まで書いた事に興味を持った。
だが、それだけなら、アスラ王国の首都からはるばるここまで歩いては来ない。
「ただし、あたしの方からも条件があるよ」
「なんだ?」
「あんたが自分の弟子を育てて欲しいように、あたしの弟子にも剣神流の剣術を見せてやってほしい。教える必要はないからさ」
レイダは自分の弟子が天狗になっていることも、憂いていた。
アスラ王国の剣術指南でもある水神流は門弟も多いが、その才能を伸ばせるものは滅多にいない。
レイダが今日つれてきた弟子はその滅多にいない一人であるが、同門に自分と同等の剣士がいないため、少々調子に乗っていた。
修練は真面目にしているものの、目標もライバルもないため、ここ一年ほど、弟子が成長していないのをレイダは如実に感じ取っていた。
この場につれてきたのは、弟子の鼻を折り、より大きな成長をさせるためである。
たとえ剣神流の若手がイマイチで、自分の弟子の鼻が折れなくとも、剣神ガル・ファリオンの剣を受ける機会があれば、水神流にとって大きな経験値となるだろう。
水神流という流派は、相手が強ければ強いほど、修行の効果が大きいのだから。
そして、ガル・ファリオンが自分をここに呼びつけたのも、まったく同じことを考えているからだ、と思っていた。
水神に剣を打ち込み、そのカウンターを身をもって知ることにより、より成長させようというのだろう、と。
「いいだろう、お安い御用だ」
「ふふん。なんだったら、うちの弟子とあんたんところの弟子で手合わせでもしようかい?」
レイダは先手を取ってそう言った。
ニナに、弟子の鼻っ柱を折ってもらおうという魂胆があった。
このまま剣神と手合わせさせてもいいが、同じ年代の相手に鼻を折られた方が、より悔しいだろうと思ったのだ。
「いいだろう。ニナ。エリスを呼んで来い」
「……わかりました」
そのやり取りを聞いて、レイダは「おや?」と首をかしげた。
先ほど入り口で出会って以来、ニナを鍛えるのだと思っていたのだ。
「あの、師匠」
「どうした? はやくつれて来い」
「その、私も手合わせに参加してもいいでしょうか。水神流の剣士がどの程度か、興味がありますので」
「あぁ? 最初からそのつもりだ」
ニナの願いに、剣神ガル・ファリオンはめんどくさそうに頷いた。
「! ありがとうございます! すぐにエリスを連れてきます」
その返事を聞いて、ニナは一瞬だけ嬉しそうな顔をして、一礼をする。
そして、すぐに道場を出て行った。
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その少女を見た時、レイダは己の肌が粟立つのを感じた。
まるで道端で魔物に遭遇した時のような感覚。
反射的に腰の剣に手が伸びそうになった。
そんな無様な動きをしなかったのは、己の弟子が先に動いたからに他無い。
弟子は警戒をあらわに腰の剣に手を掛けている、常に冷静たらねばならない水神流にふさわしくない動作だ。
「エリス。このばあさんが、これからお前に水神流についてあれこれと教えてくれる」
「……よろしく」
エリスは不機嫌そうな表情を隠しもせず、しかし頭は下げた。
(まるで野獣だね……)
レイダは、エリスの瞳の奥に眠る、餓えた獣のごとき激情を感じ取っていた。
そのような激情を持った者に、受身たる水神流を教えても、習得は出来まい。
このような人物は、最初から水神流の門を叩いたりはしない。
「悪いけどね、ガルの坊や、この小娘には水神流は向いてないよ。時間の無駄さね」
「んなこたーわかってる」
剣神ガル・ファリオンは大仰に頷いた。
「じゃあ、何を教えろってんだい」
「何にも教えなくていいさ。ただ、水神流として相手してくれりゃいい」
「ふぅん」
レイダはそのやり取りで、剣神ガル・ファリオンが何を目的としているのかを悟った。
つまり、このエリスという少女に『水神流の対処法』を実地で学ばせたいのだ。
しかし、その理由については思い至らない。
確かに、水神流との対戦経験は学んでおいでも損のないものであろう。
が、しかしわざわざ自分を呼びつける理由はない。
才能ある剣神流の高弟であるなら、そんじょそこらの水神流の反応速度を上回る斬撃を放つのは、そう難しいことではない。
水神流の技を知るより、剣神流の技をより研ぎ澄ませた方が、対策としては上手だろう。
攻撃を放つ相手がいなければロクに修行もできない水神流と違い、剣神流は相手が誰であろうと先手を取り倒す流派なのだから。
水神流との対戦経験をつませるという事はつまり、将来的に水神流の誰かと戦う可能性があることを、示唆しているとレイダは考えた。
そして、剣神がそこまでしなければ勝てないと思うような水神流剣士の心当たりは、一人しかいない。
「なんだい、この獣にあたしを暗殺でもさせるつもりなのかい?」
「まさか、放っておけばおっちぬばあさんを殺してどうするってんだ」
「じゃあ、教えておくれよ、なんであたしはこの子に水神流のことを教えてやんなきゃいけないんだい? 一体、誰の相手をさせるつもりなんだい?」
そういうと、剣神はニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。
「そこのエリスは、龍神オルステッドを倒したいんだとよ」
「なんと……オルステッドを」
レイダの顔に大きな動揺が浮かんだ。
彼女も、かの御仁のことはよく知っていた。
その強さも、そして、なぜか水神流の技を使えるという事も。
「龍神とは、そりゃ、大きく出たね。出来ると思ってるのかい?」
「俺は出来ると思っている。エリスもな」
「そうかい、そうかい。そりゃいいね。自信があるってのは何よりだ」
嘘か真かわからない。
七大列強第二位『龍神』を倒すなど、冗談にしか思えない話だ。
しかし、剣神の自信ある表情と、エリスの当然といった顔が、妙に説得力を伝えてきた。
そしてレイダは、本気でやるのであれば面白い、とすら思った。
「けどね、剣神。あたしは才能のない奴に教えるのはまっぴらゴメンなんだ。まずはうちの弟子とやらせて、圧倒できるようになったら、あたしがあれこれ教えるのを考えてもいい」
一石二鳥、いや三鳥の考えである。
自分の弟子の傲慢を打ち砕き、自分の弟子に剣神流との対戦経験を与え、かつなにやら面白い催し物に参加する。
そんな事に、心が躍った。
レイダは水神流であるが、その前に一人の剣士なのだ。
「そういうわけだよ、イゾルテ。相手をしてやりな」
水神の弟子。
イゾルテと呼ばれた女が立ち上がる。
「話は聞いておりました。『水王』イゾルテ・クルーエルと申します。以後、お見知りおきを」
それに対応し、ニナとエリスもまた。イゾルテに向かい合う。
「『剣聖』ニナ・ファリオンです。よろしくお願いします」
「……エリス・グレイラット」
女三人よれば姦しい。
そんな言葉のにつかわぬ三人が、それぞれ、道場の隅にある木刀を手にする。
「師匠に言われて仕方なく相手をしてあげますけど……聖級ごときで私を圧倒できるなどとは、思わないでくださいね」
イゾルテは、口元に手を当てて、二人にだけ聞こえるように、ぽそりと言った。
「……そうですね。お手柔らかにお願いします」
「ふん……」
イゾルテの安い挑発は、剣神流の天才剣士の燃えやすい心に、あっさりと火をつけた。
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一時間後。
エリスは道場の真ん中に倒れていた。
「はぁ……はぁ……」
その目は見開かれ、息は荒い。
彼女は、イゾルテに完膚なきまでに叩きのめされた。
エリスの剣は、イゾルテに一切触れることはなかった。
現在、エリスの剣はこの道場の中でも十本の指に入る速度を誇る。
孤独な素振りによって研ぎ澄まされたその一撃はギレーヌに迫るレベルの鋭さと重さを誇り、独自のリズムから放たれる一撃は回避を困難とする。
さらにそこに北神流の技も加わり、エリスの戦闘力はそこらの剣聖を遥かに凌駕しているはずだった。
しかし、イゾルテはエリスの攻撃全てを受け流し、カウンターを合わせた。
30分にも満たぬ手合わせの中で、エリスは三桁に近い回数、死んだ。
「…………」
そんなエリスの隣には、イゾルテが倒れていた。
エリスを倒し、勝ち誇っていたイゾルテを圧倒したのは、ニナであった。
所詮、剣神流など速度と勢いだけの野蛮な剣、洗練された水神流の技を破れるはずがない。
ニナは、そんなイゾルテの思いあがりを、あっさりと打ち破ったのだ。
ニナの放った斬撃はイゾルテに反応を許さず、その側頭部に吸い込まれた。
結果、イゾルテはあっさりと昏倒した。
たった一撃で。
「これは面白い結果になったな」
そういったのは、道場の上座にて座る剣神ガル・ファリオンである。
「……」
ニナは剣神に対し、深く一礼した。
面白い結果、と言った。
この人物は自分が最後に勝つとは思っていなかったのだろう。
そんな落胆にも似た思いはあったが、自分の成長を出せる場面を得て、嬉しい思いもあった。
ニナもまた、勝利の快感というものは好きであるから。
「面白くもなんともない結果さね」
そう言ったのはレイダである。
彼女は、この結果を、当然と見ていた。
むき出しの殺気を隠そうともしない野獣は、水神流にとってはカモである。
確かにエリスは強いだろう。
それだけのポテンシャルを秘めている。
しかし、それだけではダメなのだ。
闘志の塊のようであり、戦いの申し子のような存在であっても、水神流は倒せないのだ。
対して、ニナとイゾルテの戦いの結果も、レイダにとっては当然であった。
ニナはあの年で、あれだけの技を持ちながら、うぬぼれていない。
恐らく、あのエリスという少女の存在が、慢心を許さないのだろう。
そして、慢心せずに修行をした結果が、慢心で修行に手を抜いていたイゾルテを倒すに至った。
ニナの斬撃はエリスと比べて、特別に速いというわけではなかった。
むしろ、小指の先一本分の差で遅い。
重さに関しては、エリスの方が圧倒的に上だろう。
だが、それは感情の乗らない斬撃だった。
一切の殺気はなく、感情の予備動作すら無い状態から一閃。
イゾルテは、殺気どころか、攻撃しようとする意思すら感じ取れなかったに違いあるまい。
「しかし、結果としては良好さね。
どうするね、あんたはあたしに水神流の技を習うかね?」
そう聞かれ、ニナは少し考えるそぶりを見せたが。
やがて首を振った。
「いえ、私は、剣神流を極めようと思っていますので」
「そうかい、そうかい。それがいいよ」
レイダは面白そうに笑った。
「ガルの坊や。じゃあ、こうしようか。しばらく、この三人に合同で稽古をさせて、互いに切磋琢磨させるというのは」
「そうだな。水王ごときに負けているようでは、話にもならんだろう」
「うちの弟子も、すぐ上の目標があれば、また勤勉にもなるだろうからねぇ」
剣神と水神の話し合いの結果。
エリスはイゾルテを倒せるまで。
イゾルテはニナを倒せるまで。
同じ目線で、互いに悪い点を指摘し合わせることで、成長が見込めるだろう、という結論が出た。
「……ニナ、お前はそれでいいか?」
「構いません」
ニナは頷いた。
確かに、興味本位で今回の件に首を突っ込んだ。
水神流の高弟と切磋琢磨する事は、自分にとってもプラスとなるだろう。
ニナは勝った。
しかし、イゾルテやエリスが自分より格下であるとは思っていなかった。
そして、同格の者と競い合うことの相乗効果についても、自身の身をもって知っていた。
エリスがいなければ、自分はイゾルテに勝てなかっただろう、という思いがあったのだ。
「よし。じゃあそうするか。午前はいつもどおり師に付き、日が下がり始めたら、三人で集まり、互いに修行をしろ」
「はい」
「……わかったわ」
ニナは静かに頷き、エリスもまた、倒れたまま返事をした。
イゾルテは気絶したままだが、レイダは文句を言わせるつもりは無かった。
こうして、エリスの対水神流の修行が始まった。
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一ヶ月後。
奇妙な三すくみができていた。
エリスはニナに勝ち。
ニナはイゾルテに勝ち。
イゾルテはエリスに勝つ。
彼女らは、それぞれがそれぞれの修行をしつつ、一日に何度か手合わせをしては、意見を交換しあった。
イゾルテは、エリスの弱点をすぐに看破した。
「エリスさんは殺気を出しすぎなんです。私達水神流は、殺気に敏感ですから、攻撃が来るとわかればすぐに構える事ができます」
「そんな事言われても、わからないわ。どうすればいいのよ」
エリスは、イゾルテの言葉は素直に聞いた。
自分勝手で凶暴と思われがちであるが、エリスは自分が強くなる方法に関しては貪欲であった。
「そうですね……ニナさんは、攻撃する前にほとんど殺気を出していませんけど、どうしていますか?」
「どうと言われても……最速で剣を走らせれば勝てるんだから、殺気なんて出さなくてもいいでしょう?」
ニナはむしろ、エリスがどうして普段から殺気をまき散らしているのかが不思議だった。
敵がいないのに張り詰めすぎてどうするのだろう、普段は楽にした方がいいんじゃないか、そんな事を思うのだ。
「わからないわ」
「そうね、じゃあ。毎日お風呂に入って、体を洗って、ご飯たべて、温かい布団で例の大好きな彼の事でも考えながらぐっすり寝てみなさいよ」
「なによそれ。ルーデウスの事は関係ないでしょう」
「ああ……もう、最後のは冗談よ、とにかくそれ以外の事をやって。臭いし不健康そうだし、見てられないのよ」
「……………わかったわ」
エリスとしては、己の張り詰めた糸を斬りたくはなかった。
修行すればするほど、記憶にある龍神オルステッドが途方も無い強さである事わかってきたからだ。
目の前のイゾルテが使うのと同じ技をオルステッドは使った。
しかし、イゾルテのそれよりも遥かに高度で、精度の高い技であった。
水王よりも、外様であるオルステッドの方が、である。
「はぁ、なんで私はこんなのに勝てないのかしら。自信なくすわ」
ニナは大仰にため息をついた。
彼女は剣神ガル・ファリオンの提唱する、合理的な訓練を毎日続けている。
合理的に体を鍛え、合理的な食事を取り、合理的な毎日を送る。
それなのに、明らかに合理的でないエリスに勝つことが出来なかった。
「…………私が、あんたを後に動き出すようにしているからよ」
「えっ?」
ニナは、まさかエリスから何か言われるとは思っていなかった。
エリスは自分勝手で、相手の事などどうとも思っていない存在であるはずだった。
「ルイジェルドに教わったのよ。視線とかを使えば、相手を自分より先に動かしたり、後に動かしたり出来るって」
「ルイジェルド……誰?」
「私の先生よ」
ニナはエリスの言葉に首をかしげた。
ちょっと、何を言っているのかわからない。
エリスが普段から使っているのは、ルイジェルドに教わった高度な技術である。
実戦経験の豊富な剣士が、無意識に使うことを技術に昇華させた、魔族の戦士の技である。
ゆえに、エリスもうまく説明は出来ない。
「つまり、エリスさんは意図的に相手の動きを誘導しているという事ですか?」
「そうよ」
「……」
イゾルテの分析で、ニナもエリスの言葉の意味を理解した。
理解はしたが、しかしやはり胡散臭さは抜けず、ニナはエリスを睨んだ。
この山で生まれて山で生活してきたのではないかと思える女が、そこまで高度なことをやっているとは思いもしなかったのだ。
逆に、イゾルテはそうした事には理解があった。
水神流というのはカウンターを主とする流派である。
相手に先に手を出させる事を主眼においた技術も存在する。
「なるほど。私を相手にしている時も、それを?」
「やってるけど、あなた、動かないわね」
「私はそういう訓練を受けているから……次はあえてやらず、殺気も出さずにやってみれば少し変わるかもしれません」
「……やってみるわ」
エリスは眉を顰めつつ、頷いた。
やってみる、と言いつつも、しかし殺気を抑える方法がわからなかったのだ。
あまり意識して抑えた事などなかったから。
もちろん、今まで何人かに言われた事はあった。
だが、ルイジェルドがエリスに対しては、その溢れんばかりの殺気を利用する方向で教育を施していたため、聞く耳を持たなかったのだ。
普段ならデメリットとなるような事でも、人より秀でているのであれば無理に抑える必要など無いという考え方である。
「私はどうしよう。ねぇ、イゾルテさん、あなたはどうしてるの?」
「……ニナさんは、そうですね、水神流では視覚遮断を行い、真の撃を断ずるという修行法を行いますが……魔族がよく使う戦闘術だと聞きますので、剣神流でも対処法があると思います。あなたのお師匠様に聞いてみてはどうでしょうか」
イゾルテは優秀で、賢かった。
水神流の剣士というのは、忍耐強い者や勉強家が多いのだ。
「ふぅ、なかなかうまくいかないわね……っと、そろそろ日が落ちるわね」
ニナの言葉で、その日の勉強会は終わる。
「では、また明日ですね……なんだか最近、楽しくってしょうがありません。同い年の子とこうして同じレベルで話し合いをしたのなんて初めてですから」
イゾルテは楽しげにそういう。
「そうねイゾルテさん。私もよ」
ニナも同感であった。
普段ほとんど会話をしないエリスだが、話してみると、戦いに関する知識は多岐で多彩だ。
最近習得し始めたという北神の技だけでなく、魔族の技にも通じているのだから。
訳の分からない猿女という印象は抜けていないが、しかし、実力の部分では見直しつつあった。
野蛮な技を使うのではなく、ただ別の流派の技を使っていただけなのだ、と。
「……ふん」
エリスは相変わらずである。
普段の彼女なら、剣神に言われて勉強会に参加したとしても、意見は言わないだろう。
そんなエリスが思い返していたのは、遠き昔。
ルーデウスと共に二人で剣術を習っていた頃の事だ。
あの頃は、ルーデウスとも、こうしてあれこれと話をしたり、工夫をしあっていた。
ルーデウスがやっていた事。
そんな単純かつ明快な、しかしエリスにとって絶対の理由で、彼女は他人とのコミュニケーションをとっているのだ。
「では、私はこれで、師匠との鍛錬がありますので」
「今日もありがとうございました。イゾルテさん」
「いいえニナさん。お互い様です。私も段々と強くなっていく実感、ありますもの」
客間と宿舎への分かれ道で、ニナとイゾルテはそう言って笑いあった。
エリスはそのまま、ずんずんと宿舎へと歩いていく。
「エリスさんも、ありがとう」
「……明日は一撃入れるわ」
「楽しみにしています」
「……ふん」
エリスは振り返らず、そのまま歩いていく。
ニナはイゾルテに一礼すると、エリスの後を追う。
「エリス。このあとまた鍛錬するのもいいけど、終わったら水浴びぐらいしなさいよ!?」
普段のエリスなら、聞く耳を持たない言葉である。
ニナも、無駄だとわかっていつつも、しかし臭いものは臭いので、毎日のように言っている事だ。
しかし、今日のエリスは違った。
少し不機嫌そうな顔をして振り返ると、ニナを睨みつける。
「……さっき言った事、本当?」
「さっき? 何の話?」
「毎日お風呂に入って、体を洗って、ご飯たべて、温かい布団でルーデウスの事を考えてぐっすり寝れば、殺気をなくせるって」
「うっ……」
ニナは、言葉に詰まる。
言うことを聞かせたいためのでまかせである。
しかし、リラックスから無心が生まれるのは、間違ってはいない。
だから、押し通す事にした。
「そ、そうよ。大体、今のあんたみたいに臭かったら、例の彼だって、きっと振り向いてくれないわよ」
「それは無いわね。ルーデウスはいつも私の汗でびっしょりになったシャツとか抱きしめてたし」
「それって……」
ニナは、過去に一度だけ見たルーデウスの姿を思い出しつつ、目の前の女の汗臭いシャツに顔を埋める姿を想像してみた。
ただの変態だ。
しかし、目の前のエリスが見るまに不機嫌そうになっていくのを見て、口には出さなかった。
「とにかく、あんまり汚くしてると、男にも嫌われるって、聞いたことあるわ」
「まあ、確かにルーデウスは掃除とかマメだったわね」
「そ、そうでしょう! だから、いつも身ぎれいにしておくべきよ」
エリスは考える。
思い出すのはルーデウスの事だ。
彼の事は思い出すまいと考えているのだが、しかし気を抜くと思い出してしまう。
思い出せば、口元にはニマニマとした笑いが出てくる。
と、そこでエリスは気づいた。
この状態なら、殺気は出ていないだろう、と。
そして、ニナに対して頷いた。
「わかったわ。じゃあ水浴びしてくるわ」
「そうね、あなたはそうよね。わかったわ、私もそろそろ諦め……今なんて?」
エリスはその問いかけには答えず、己の部屋へと戻っていった。
ニナは狐につままれたような表情で立ち尽くしていたという。
---
エリスが水王イゾルテと互角以上の戦いが出来るようになったのは、さらに一年後の事である。
+注意+
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