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新貧乏物語

第5部・18歳の肖像 (5)10代の母

通信制高校に通う堀川舞雲さんは週に1回の登校日、校内の保育室に娘を預けて授業に出る=東京都で

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◆まず「高卒」 娘を守る

 都心を流れる神田川の近くにある東京都立・一橋高校。通信制三年の堀川舞雲(まも)さん(19)は週一回の登校日の授業が終わると、校内に設けられた保育室に向かう。アンパンマンの切り絵が張られた部屋。四月に三歳になった一人娘を抱きかかえ、夕食の準備のため千葉県市川市の自宅へ急ぐ。

 舞雲さんは結婚から二年がたった十八歳で離婚して、シングルマザーになった。パート勤めの母(43)と高校三年の妹(17)、娘との四人暮らし。平日は朝から夕方までスーパーでレジを打ち、帰宅後は家事が苦手な母の代わりに洗濯や炊事をこなす。それから机に向かって勉強を始め、寝るのは午前三時ごろ。二時間後には目覚まし時計が鳴り、家族の弁当を作る。

 妊娠が分かったのは十六歳、地元の高校に通っていた一年生のときだった。体に異変を感じ、妊娠検査薬で試すと陽性反応が出た。「どうしよう」。アルバイトでお金をため、パティシエを目指してパリに留学する。そんな夢を描き始めたころだった。

 翌日訪れた産婦人科。超音波検査のモニター画面の中で、小さな命が動いていた。「私一人の夢のために、この子の未来をつぶせない」。迷いは消え、舞雲さんは産もうと決めた。高校は一年生の十月で中退したが、母親になる幸せでいっぱいだった。

 宿った命の父親は、バイト先のすし店で知り合った男性だった。妊娠が分かってから結婚を決め、一緒に暮らし始めた。でも、夫は仕事が長く続かず、舞雲さんが少しずつ積んでいた貯金に手を付けた。娘が泣くと「うるせえ!」と怒鳴り、イヤホンで耳をふさいでゲームにふけった。

 ほんの少しの時間でも、夫と娘を二人にするのが怖くなり、母子二人で戻った千葉の実家。生活費を得るために求人のチラシを見るようになったが、どこも条件は「高卒以上」だった。学歴をはっきり書いていない求人先も、電話をすると「中卒は…」と断られた。

 高校に入り直して、ちゃんと卒業したい。そう思い始めた舞雲さんを後押ししたのは、夫との別居後も娘をかわいがってくれた義母だった。通信制なら働きながら単位が取れる。託児所がある学校なら母親でも通える。都内には三校。舞雲さんは娘が一歳になった一昨年の四月、条件がかなう一橋高校に入学した。

 最終学年の三年生になった今年の春。平日に娘を預けられる保育園がようやく見つかり、働き始めた。ところがそれと同じころ、毎月四万円の養育費を約束した元夫と連絡が取れなくなった。舞雲さんの給料は約十三万円。コンビニのパートで働く母は十八万円ほど。二人で約三十万円の収入があるが、国民健康保険料の滞納分とアパートの家賃、妹の学費などを引くと、半分以上が消えていく。

 「今月もお金ないな。これじゃあ、大きくなっても習い事は難しいかな」。娘を寝かしつけた後、舞雲さんは将来を考える。高校を出たら、公務員になりたい。出産や離婚の手続きで訪れた市役所で、親身に対応してくれた職員の姿にあこがれた。

 十代で母親になる決意をした自分を悔いてはいない。高校卒業後に目指す仕事に就けるのか、不安もある。ただ、今は「ママ、ママ」と駆け寄ってくる娘の未来を守るため、今日を必死に生きている。

 

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