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新貧乏物語

第5部・18歳の肖像 (6)未来

大学の講義を終え、アルバイト先へ急ぐ一也さん(仮名)。家賃以外に仕送りはない=東京都内で

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◆次の目標…見えない

 午前中の講義が終わり、昼休みの学生であふれる東京都内の有名私立大キャンパス。一年生の梨田一也さん(18)=仮名=は学食へ連れ立つ友人たちと別れ、図書館で一人、時間をつぶす。「お金があれば食べるかもしれないけれど」。四月の入学以来、ずっと昼食を抜いている。

 ラーメン店、居酒屋、アパート管理会社の事務。三つのアルバイトを掛け持ちし、週七日、休まずに働いている。朝食は、ご飯とみそ汁にサラダが付く学食の百円定食。夜はバイト先のまかない飯。東京に出てきてからの三カ月で、体重は十五キロ減った。

 四人家族の両親と姉は、広島の実家にいる。父は自宅で整体院を営み、一也さんが子どものころから働き詰めだ。朝九時ごろ営業を始め、予約が入れば時間外でも仕事をした。夜九時を回っても客と話す声が、壁越しに聞こえた。父が仕事を休むのは、週に一日だけだった。

 それでも年収は三百万円に満たず、生活は厳しかった。一也さんが小学生のころ。冬休み明けにクラスメートが「クリスマスにゲームを買ってもらった」と自慢しても、夏休み明けは「海外に行った」「僕は軽井沢」と家族旅行が話題になっても、黙っていた。家族での外食は五年生のとき、書道で賞を取ったお祝いに回転ずしへ連れて行ってもらったのが最後だ。

 どんなに働いても収入が増えない父は、一也さんが中学生になると口癖のようにこう言った。「お金を持っていて困ることはない。おまえは俺のようにはなるな」。一也さんはそのころから「大人になったら、とにかく稼ぎたい」と思い始めた。

 不自由のない暮らしを手に入れるために、まず考えたのが大学進学だった。両親に無理をさせられないから、奨学金をもらえるように高校ではひたすら勉強した。成績は三年間、五段階で最も高いオール「5」。努力が実り、定員二百人に三千五百人以上が受験した難関私大に現役で合格した。

 入学までに大学に払ったのは、受験料、入学金、初年度の学費などを合わせて約二百万円。「きっと大学に行きたいって言い出すと思っていた」。母は貯金を崩してくれたが、一也さんはバイト代から毎月三万円ずつ実家に返し、残りの約八万円で学生生活を送る。学費は支給が決まった奨学金で戻ってくる。両親に頼るのは、下宿の家賃六万八千円だけだ。

 「節約して、大変だな」。仕送りで大学に通う仲間にそう言われても、うらやましいと思ったことはない。大人に交じって働いていると、社会の一員になれた気がするからだ。バイト先の居酒屋で、サラリーマンが同僚と議論している。「つらくてもちゃんと仕事に就いて、頑張って働いているんだな」と感じる。

 今の自分には「稼ぎたい」という気持ちしかない。夢も、やりたい仕事も思い浮かばない。でも、離れて暮らす親からのメールやバイトで会う大人たちを見て、ときどき考える。大学に入ることに必死だった自分は、次の目標を見つけることができるのか。

 「未来」「再生」「変えられる」−。参院選たけなわの街で、候補者が声高に叫んでいる。一也さんは見えない未来を探しながら、投開票日の七月十日に十九歳の誕生日を迎える。

 =終わり

 (取材班=青柳知敏、杉藤貴浩、中崎裕、河北彬光)

     ◇

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