トップ > 特集・連載 > 新貧乏物語 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

新貧乏物語

第5部・18歳の肖像 (4)就職

夜間の工業高校で学ぶ洋さん(仮名)は、卒業後、家族と離れて暮らす=名古屋市内で

写真

◆家族のため家を出る

 午前六時、まだ人がいない河川敷の道をロードレース用の自転車でひた走る。感じる風が、日ごろの鬱憤(うっぷん)や来春に迫る就職の不安を吹き飛ばしてくれる。雨の日以外は欠かさない日課。名古屋市にある夜間定時制工業高校の四年生、加藤洋さん(19)=仮名=の長い一日が始まる。

 約十キロのサイクリングを終えて午前八時四十五分にアルバイト先に出勤し、午後三時半まで計量器を組み立てる。それから家に帰って支度をし、午後五時すぎに高校の授業に出席。技術系の資格を取る部活動に参加し、帰宅は深夜になることも多い。

 病気で働けない母(47)と、全日制高校に通う二つ年下の弟、中学生の妹の四人家族。川のほとりに立つ市営住宅で、生活保護を受けて暮らしている。高校一年から続けているアルバイトの収入は、月に十万〜十二万円ほど。国が決めた最低生活費に満たない分が保護費として支給され、バイト代と合わせた約二十五万円が家族の収入だ。

 洋さんの小遣いは一万円。新品のパソコンは買えず、部品を少しずつ集めて自分で組み立てた。有名メーカーの自転車が欲しいけれど、安物を改造してがまんしている。「みんなのため」。そう自分を納得させて、家族を支えてきた。

 でも、高校を卒業する来春には家を出る。入学して間もないころから、母には「進学せずに就職して。そしたら家を出て」と言われてきた。今のバイト代よりも月収が増え、母子四人家族の生活保護基準額を上回ると保護費が全額打ち切られる。家を出て一人で暮らせば、母と弟、妹は保護を受け続けられる。市のケースワーカーにも自立を勧められた。

 パニック障害でいつ倒れるか分からない母と離れるのは心配だ。離婚後、三人の子どもを連れて母子生活支援施設に入所し、八年前に市営住宅に引っ越したころに発症した。昨年の夏も、祭り会場の人混みで意識を失った。スーパーに行っただけで倒れてしまうこともある。

 家を出ても、その母にもしものことがあれば駆け付けられる場所にいたい。だから就職先は地元の会社と決めている。十八歳になった昨年七月からチェックしている求人サイト。入力する条件は「愛知県」「寮」「社宅」−。高校で取った電気工事士の資格を生かせる仕事に就ければ、給料にはこだわらない。寮や社宅がある会社を探すのは、アパートを借りて生活用品をそろえ、家賃を払って生活できるか不安があるからだ。

 それでも条件に合う会社は、なかなか見つからなかった。「企業から直接求人がある全日制の高校に比べて、定時制は求人自体が十分の一程度しかない」。洋さんの高校で進路を担当する先生は現実を打ち明ける。企業にお願いしても、定時制と聞いただけで門を閉ざす会社もある。

 先が見通せないまま、高校生活最後の学年を迎えた今年五月。「ここはどう?」。授業後、先生から差し出された会社の資料。自転車を飛ばせば、寮から自宅まで一時間もかからない。ぜいたくをしなければ十分生活できる給料ももらえる。

 「この会社しかない」。家族と自分を救う一本の細い糸。洋さんは九月、入社試験に挑戦する。

    ◇

 連載にご意見をお寄せください。〒460 8511(住所不要)中日新聞社会部「新貧乏物語」取材班 ファクス052(201)4331、Eメールshakai@chunichi.co.jp

 

この記事を印刷する

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索