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新貧乏物語

第5部・18歳の肖像 (2)打ち切り

来年打ち切られる児童扶養手当の証書。家族で撮った写真には、幼かったころの娘たちが写っている=名古屋市で

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◆自立へ一歩 母は苦悩

 六月三十日。名古屋市内にある公営住宅の3DKで、母(50)はカレンダーを眺めながら、その日を待っている。次女の松田緑さん(18)=仮名=が、初めての給料をもらってくる日。「たぶん、二万円と少し。それでも、あの子の自立への一歩だから」

 緑さんの職場は、自宅近くの福祉施設だ。ほっそりした体で障害者の車いすを押し、食事の手助けをする傍ら、カードゲームの箱詰めなどの内職もこなす。時給は国が地域ごとに決めている最低賃金の八百二十円。週に三、四日、バスで通っている。

 その緑さん自身、軽度の知的障害がある。小さいころから、知らない人と話したり集団での勉強についていくのが苦手。小中学生のころはほとんど学校に行けず、家でゲームやネットばかりしていた。

 中学卒業後に進んだ専門学校を今年の春に中退し、区役所に紹介された今の職場で五月から働き始めた。「お母さん、仕事のこつを教えて」。学校時代と違って人の役に立てるのがうれしいのか、そんな前向きな言葉も出るようになった。

 だが、母は大きな不安を抱えている。緑さんが新しい一歩を踏み出した十八歳は、ひとり親家庭などに支給される児童扶養手当や、生活保護の母子加算が打ち切られる年でもある。

 家族は長女(22)を含めた母子三人。生活保護を受けている。緑さんが十八歳になったため、来年四月からは月約二十万円の支給額が二万三千円ほど減る見込みだ。今年十月には、緑さんが専門学校時代に借りた奨学金の月五千円の返還も始まる。合わせて三万円近い負担増。「今でも家計はぎりぎり。とても持ちこたえる自信がない」。母はため息をつく。

 二十三歳で結婚して以来、苦しい日々がずっと続いた。夫は仕事が続かない性格で、緑さんを妊娠したことが分かった日も、悪びれずに「会社、辞めてきた」と告げた。

 電気や水道はしばしば止まり、長女の小学校のランドセルは倒産した工場を見つけて三千円で手に入れた。そんな生活の中で心を病んだ夫は、十五年前、緑さんが三歳のときに自ら命を絶った。

 残された娘たちを一人で守る覚悟。「生活保護だけに頼るのは申し訳ない」と、育児をしながら廃品回収や介護の仕事に励んだ。誕生日やクリスマスのぜいたくは、スポンジケーキに百円で買った缶詰の果物を載せた手作り。夏の夜も冷房を入れず、親子三人で枕に保冷剤を置いて眠る。

 本当は働いて暮らしを楽にしたいが、母は三年ほど前から仕事に出ていない。中学時代からいじめられていた長女が精神を患い、時折「死にたい」と口にするからだ。「夫のことが頭をよぎる。だから、家を空けて一人にさせておけない」

 そんな母の苦悩を察してか、緑さんは最近、「これからは私が頑張らないとね。お小遣いはもういらないよ」と言ってくれる。

 「その気持ちは本当にうれしい。でも…」。不登校で家に閉じこもり、ようやく社会に足を踏み出したばかりの十八歳に頼り切れないことは、十分に分かっている。

 六月三十日は、亡き夫との結婚記念日でもある。「私たちは大丈夫」。母と子の三人はまだ、墓前にそう報告できずにいる。

     ◇

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