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新貧乏物語

第5部・18歳の肖像 (1)退所

一人暮らしを始めた部屋で、児童養護施設を出るときに贈られた寄せ書きを見る望美さん(仮名)=東京都内で

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◆たった一人で見る夢

 昨年三月。十八歳の近藤望美さん(仮名)は一人暮らしを始めた。東京都内にある六畳のワンルーム。布団と着替えだけを持ち、高校の卒業式の翌日に引っ越してきた。

 望美さんはそれまでの三年間、児童養護施設で過ごしていた。親の病気や困窮などに直面する子どもが暮らす公的施設。十五歳で入所した理由は、母の再婚相手から受け続けた虐待だった。

 母はギャンブルに溺れた夫と別れ、望美さんが幼稚園のとき再婚した。新しい父は母との間に男の子が生まれると、望美さんをひどく殴るようになった。「飢え死にしないで生きていられるのは、あの人のおかげ」と、母は守ってくれなかった。高校受験の直前に携帯電話を投げつけられて、右目の上を何針も縫う大けがをした。暴力に気付いた中学校の先生が通報し、望美さんは保護された。

 「刑務所みたいなところなんだろうな」。施設への入所が決まったとき、望美さんはそんなふうに想像した。でも、違った。「テレビ、見てもいいんだ」。初めて感じた自由。父にはテレビを禁止され、「おまえはばかだから勉強しても無駄だ」と、幼い弟の世話をさせられていた。その反動だったのか、高校に進学してからは勉強やソフトボール部の練習に打ち込み、生徒会長にもなった。

 ただ、十八歳の春は待ってくれなかった。全国約六百カ所にある児童養護施設で過ごす子どもは、およそ三万人。法律は「児童」を十八歳未満と定めており、入所者は原則、高校卒業とともに施設からの退所を迫られる。

 望美さんは最初、自立援助ホームに移ることも考えた。家庭で暮らせない十五歳から二十歳未満の若者が働きながら低料金で入所できる。ところが、相談した福祉士は「他にも大変な子がたくさんいる。空きがないから、一人暮らしでお願い」。アパートを探して業者を何軒も回ったが、「親が保証人にならないなら貸せない」と断られた。

 ようやく入居できたのが、今住んでいる家賃五万八千円の部屋だ。敷金も礼金もカーテンも洗濯機も、すべて自分のお金から出した。高校の三年間、ファミレスや百円ショップのアルバイトでためた約百万円の貯金は、たちまち半分に減った。

 望美さんには夢があった。小さいころ、父の目を盗んで家を抜け出し、虫を捕ったり小石を投げて遊んだ河川敷。「あんな自然の中で、思い切り働いてみたい」。高校卒業後は、アウトドア関連の専門学校に進むことを望んでいたが、養護施設の職員に「現実を見ろ」と反対された。

 確かに、複雑な事情を抱える施設出身者が大学や短大、専門学校に進むのは難しい。国の統計によると、進学率は約二割。高卒者全体の約七割には遠く及ばない。望美さんも学費や生活費を考えると、職員の反対を押し切ることができなかった。

 だが、生活のために選んだ就職の道も厳しかった。高校を通じて見つけた映像編集会社は、二十四時間の連続勤務がざら。上司は「一年目は残業代ゼロ」と繰り返し、どれだけ働いても手取りは月十六万円だった。「駅のホームで線路を見ると吸い込まれそうになる」。心のバランスを失い、望美さんは今年五月、会社を辞めた。

 貯金は残り約四十万円。「どこまで暮らせるか分からない。それでも、思い描いた生き方に挑戦したい」。たった一人のスタートから二度目の夏。十九歳になった望美さんは今も、夢に近づく仕事を探し続けている。

    ◇ 

 新たに選挙権を手にし、来月の参院選を迎える十八、十九歳の若者たち。「子ども以上、大人未満」の彼らには、法や社会のはざまで自立を迫られ、困窮に悩む現実がある。進学、就職、家庭。さまざまな現場で揺れ動く姿を追う。

 (取材班=青柳知敏、杉藤貴浩、中崎裕、河北彬光)

 

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