大学生の頃、スーパーマーケットでアルバイトをしていた。担当はグロッサリー。
通常、グロッサリーは常温商品の品出しを言うのだが、そのスーパーは違って、豆腐や納豆、牛乳などの品出しもやっていた。そして、もう一つ仕事があった。それが、冷凍食品の品出しだ。
バックヤードにある冷凍室は、重い扉で閉ざされている。そして、天井についている蛍光灯以外には照明がない。一度、興味に駆られて扉を閉め、電気を消してみたことがあった。
真の闇がそこにはあった。
ゴォー…という冷却器の音だけが聞こえる完全な闇。じきにとてつもない不安感に駆られて電気を点けた。もう成人式も終わった年齢だったが、正直言って怖かった。震えていたのは冷凍庫の冷気のせいだけではないだろう。なんだか妙な汗のようなものもかいていたし。
昔、何かの本で読んだことがあった。人間は真の闇と静寂に包まれると、じきに頭がどうにかなってしまうと。それをちょっとだけ体験してみたかったのだ。そういう先入観があったればこその恐怖だったのかもしれないが、とにかく真の闇は怖かった。
別に閉所恐怖症というわけではない。オカルトは好きだがビリーバーではない。それでも、なんだかあの闇は怖かった。理由を説明しろと言われても出来ないのが悔しいが、とにかく怖かったのだ。
翻って、真の静寂とはどういうものだろうか。
我々は、普段いろいろな環境音に囲まれて生きている。たとえどんなど田舎に行ったって、自然の音は消すことは出来ない。必ず風の音や虫の声や草どうしが擦れ合う音などが聞こえる。
しばらく前から瞑想を日常生活に取り入れているが、残念ながら無の境地にたどり着いたことはない。ひょっとしたら悟りを開くレベルの人間ならば何も聞こえない状態にまで持っていけるのかもしれないが、自分のような雑念だらけの人間にはとても無理である。
人は何かに熱中していると、音を聞き逃すことがある。たとえば、自分の場合はゲームに熱中していて妻の言っていることが耳に入ってこなかったりすることもあった。だが、その集中を静寂の方に向けるのは極めて難しい。人間の出来る芸当なんだろうか。
今まで使ったことはないのだが、ノイズキャンセリングヘッドホンを使えば静寂を体験することが出来るのだろうか。だが、仕組み上それも難しそうだ。あれは完全に音をシャットアウトするわけではないのだし。
同じ理由で耳栓もやってみたことがあるが、あれもゴワゴワした感じが気に入らずにとても集中できなかった。確かに外の音は聞こえなくはなるのだが、耳に何かがはいっているゴォォォォ…という音が気になって集中できない。
結局のところ、完全な静寂などというものは、例えば空調も何もない分厚いコンクリートで出来た部屋でも作らないかぎり得ることは出来ないのだろう。その部屋で電気を消してジッとしていることが出来るだろうか? 興味はあるのだが、なにせ闇だけであれだけ怖かったのだ。その上何も聞こえないというのであればもっと恐ろしい気分になるかもしれない。
でも、そこまでの静寂ならば今度は自分の生きている音が気になってくるのかもしれない。いまも夜の寝る時などに静かになると血流の流れるタイミングと同期して「シャーン… シャーン…」という音が聞こえるのだ。
そうなれば、真の静寂というものは生きている間にはきっと体験できないのだろう。
きっとしない方がいい。