*星空文庫

プジュルマーを探して 01

まろみえり 作

旅先での「わたし」が茫漠とした目覚めから、深夜の孤独を味わう

ホテルにて

夜中に目が覚め、ずっと寝つけなかった。
しかし頭は起ききれず、茫洋とただ目があいていた。

目の前には明るさの違う二つの面があった。
それはつながって境界線をつくり
二つの面は壁と天井になっていった。
ぼんやりとした薄暗い部屋の天井は
模様ともシミともはっきりしない形で
雲のように広がっていた。

突然、音がしていることに気づいた。
聞こえてこなかった音が聞こえだした。
何の音かはわからない。
エアコンかなにかの連続音
いろんな機械、車の音
窓の外からは都会の騒音が入り込んでくる。
ホテルの住人は夜中に酔っ払って帰ってきて
部屋に入らず廊下で騒いでいる。

人形のようにベッドに置かれていた間も
この周りの騒がしさは同じだったはずだし
魂を吸い取られ物体となっていたあいだ
音は聞こえてこなかった。

ふと気がつくと頭の周りに
深い森の木々でさえずる鳥の声のように
抑揚と音節だけになった言葉が響いていた。

靄の中に光が差し込み
地面に点々と墨痕を残し
穴だらけのテントの中で
様々な光が舞踏を織り成し
はるか遠くで落ちる滝の音を
どこともなく探している。
頭の外側には言葉が残した
いろいろな響きが広がっていく。

昼のあいだ
一旦頭の中に沈んでいた言葉が
再び外へ浮かび上がってきていた。

新しい体験が入れば
頭の周りに残っている言葉
押し出されるかもしれない。

自分がどこにいるのか思い出した。
いろいろわかってくると
自分がなぜここにいるのかがよみがえってきた。

昨日のうちに時差を克服したつもりだったが
まだ日本の時間を覚えていた。

「起きなさい。さぁ動き出しなさい」
今までのリズムが胃の奥から押し上がってくる。
夜中に目覚めて寝付けないときは
寝具のなかでぐずぐずと過ごしていれば
またいつのまにか眠くなってしまい、
気がつけば朝になっているものだが
どうも今はダメなようだ。


天井を見上げ、日本は何時かと考える。
時差を計算しようとして何度も指を折る。
「ああ、午前中か」
わかったけれど、さて、
電話したい相手があるわけでもなく
どうしているのか気になる相手も居ない。
目を閉じて
「今は午前中か」とつぶやいた。



宿は下町の中心からすこし外れた
表通りから2ブロック入ったところにある
うらびれたホテルの3階であった。

部屋にはバスルームがなく
トイレやシャワーを使うには廊下に出て
10メートル先に行くのだが、そこは
安宿に似つかわしいそれなりのつくりだった。

そっけなく水色に塗られた壁は
腰から下がまだら模様によごれ
打ちっ放しのコンクリート床は
いつ覗いても一面が濡れていて
トイレでなのかシャワーでなのか
分からない。

「もういいか」
起き抜けにシャワーでもと思ったが
面倒の虫がわいてきて
また仰向けにベッドに転がり
深く沈みこんだ。


退屈な時間に目覚めてしまったものだ。

ケーブルテレビもない安宿で、することもなく
明日のために寝たほうがいいと心の中から声がする。
これから寝つくためには
また眠くなるように準備がいる。

やはり起きることにした。
寝るために起きるとは変だが
宿の隣にデリがあったのを思い出した。
その店へ、のらりと入り込んで
何か食べるものを買い
ビールの1~2本でも飲んだら
すぐに眠くなるだろう。
シャワーに行くのに二の足を踏むやつが
食べるだビールだとなると
簡単に行動に移ってしまう。


部屋のドアは
中から廊下の明かりが見えるほど
枠との間にすきまがある。

昔は格式高かったのだろう
木製のしっかりした作りの
古びた色のドアを閉め
廊下の反対にあるエレベーターの前で
箱が上がってくるのを待つ。

ホテルのエレベーターは年代もので
箱の中には蛇腹の格子ドア
乗り込むドアは外開きの木製ドアで
箱が来たら手で開ける。
そのドアを開くと
箱の中の蛇腹の仕切りがあって
それを左に追いやってから乗り込む。

ついたら今度は手前から蛇腹を開いて
その向こうにある木の板を押し出す。

ブリットに出てきた
安ホテルのエレベーターに似ていて
同じ街で同じものに乗れたことが
なんとなく嬉しかった。
あの映画は1968年のものだし
今はもう21世紀だ。

下のフロアに降りたとき
上では気づかなかった
人の歩く音や酔っ払いのわめき声が
表の方から聞こえてきた。

フロントの前を横目に通る。
鉄格子の中は人が居ないのか
人の気配も眼光も感じさせず
無人の空間だった。

蛍光灯が青白く光り
ペンキを塗っただけの天井の
艶の残った部分がピカピカと輝いている。
冷たいペンキに明るさが
寂しさを呼んでいる。

外から入ってくる空気は
冷たくすこし湿っていた。

走り回る「バーバー」という消防車の警笛と
タクシーを呼ぶドアボーイの笛
「プープー」という笛音
遠くから一晩中聞こえてくる。
消防車もボーイも安宿には無縁で
そこに泊まっている私にもタクシーには縁がない。

出口を出て散歩を楽しむ暇もなく
左に5歩あるけばそこがデリである。

デリは外側こそ明るくないが
中はやたらと明るく
青白い光ですみずみまで照らし出されている。

一歩入ると間口1間ほどの狭い店には
売れそうなものはなんでも所狭しと並べてあった。

いらっしゃいとかこんばんわとか一言も言わない
テレビに見入っているわけでもないのに
ただ画面に顔を向けたままで動かない店員が
入り口付近で番をしている。

一目散に、店の中の陳列棚の間を縫って、奥まで突き進んだ。

一番奥にある冷蔵庫には飲み物が冷やされている。
ガラスの外側につゆがついて
「中はすごく冷えてる」と主張していた。
その厚いガラスのケース越しに
何年もそこにあるように
「動きたくないから触らないでくれ」と
言わんばかりに座っていた。

私が部屋を出てきた魂胆は
腹に何か入れ胃袋に血を集め
その勢いで眠ろうと思ったためだが
デリの明かりに取り囲まれ、
売られている全てのものに手が届くところに立ったとき
真っ先にビールの顔を見たくなって
ガラスケースの前に立っていた。

汗をかいて曇ったガラスの向こうには
段ボールのままの缶ビールや6本セットのもの
小さなワイン瓶が並んでいた。
棚の下の方には輸入ビールや瓶ビールが
そこにあることを弱く主張していた。

瓶ビールは美味い、でも栓抜きが必要だし
瓶の重さと後の始末が面倒になる。
北海道の道庁所在地の名前や
中国の架空の動物の名前がついたビールまで置いてあって
ここで出会うことに驚いたが
彼らが懐かしくなるほど
日本を離れていたわけでもなかった。

この国の青やら赤やらの缶ビールは
あっさりとライトに仕上げられていて
それゆえたくさん飲める。
たくさん飲むだろう?と言いたげに大量にならんでいた。

缶ビールは6本束のまま冷やされていて
6本分の値段が書いてあり
ご丁寧に「バラすな」と書いた紙が貼り付けてある。
6本単位でしか買えないようだ。

6本なのかと、嬉しくなった。

多くて残ると困る、、のではなく
足りなくなって買いにくる必要がないと
都合のいいことを思う。


取りやすい高さにあったために
手が届きやすかったという理由で赤い缶の束に指を絡め
こっちへ来い、とばかりに棚から引っこ抜いた。

デリのカウンターは入り口近くにある。
目的である「パンになにか挟んだもの」を
選んで買って帰らなければならない。

ビールの束をカウンターにドスンと置き
壁に書いてある「なんとかサンド」をくれと、つぶやいた。

店員は、時間がかかる、と不服そうに言うので
「これでいいや」というふうに
冷蔵ケースの中のまるまると太ったサンドイッチを指差した。

それはチーズとハムとが、
もう挟めませんってくらいパンの間にはさまれて
その上からラップでグルグル巻かれ
パンが見えないくらい太っていた。

店員は、何か掛けるのか、付け合わせはと
めんどくさそうに聞いてくる。
聞かれるごとにノーノーノーを3~4度繰り返し
握ったままの大きめの札を一枚差し出した。

6本のビールに1本のパンでは
ビールが残って食べるものがなくなると
残ったビールだけを流し込むのが寂しい。
ビールが残ることも考えると確かに
サンドだけでは心もとない。
なにごとにもバランスが大事である。

ふとみると
豚の皮の揚げたものと干した牛肉が
小袋に入ってぶら下がっていた。
「これも欲しい」と引っ剥がして差し出した。

だから言ったのにという顔をして
店員は茶色の紙袋とペラペラのスーパー袋に
投げ入れてこちらによこし
買い物のレシートを置いて
渡した金の額になるまで釣り銭を数えながら並べていった。

デリを出てホテルに再び戻る。

ロビーは
白いペンキがムラ塗りになったまだら模様な壁に
割れないよう網をかぶせただけの蛍光灯が
天井からあたりを明るくしている。


上からの光が白い壁をやや青白くして
寂しげに出迎えてくれる。
外より少し暖かく人のいる場所
ねぐらへ帰ってきたと感じ
ほっとした。

フロントの先
正面の横にエレベーターがあり
そこで箱が下りてくるのを待つ。

出る時のままなら
そこに箱があってもよいのだが
ほんのすこしの間で
客の出入りはあったようだ。
「夜中なのに人が出入りするんだなぁ」
自分もいま出入りしているのに。

3階まであがって、自室の前に立ち
ロックが外れたのか
掛かっているのか
さっぱりわからない
ぐにゃぐにゃの鍵穴
これで大丈夫なのかと思うくらい小さい鍵を差し込む。

右に回して戻すのか
戻さないで抜くのか
何度やってもわからない

どこにも引っ掛からず手応えのない
ただグルグル回るだけの鍵を
右や左へ適当にやって
ドアをガタガタやっていると
外れた感触を感じないままドアが開く。

ドアは建て付けが悪く少し下がっていて
押して入ると下部が部屋の敷物にこすれ
「がさがさ」という音がする。
ドアを元の位置に押し込んで、
内側から鍵をかける。

ドアの内側には2つ3つ別の鍵がついていて
「ここらあたりは物騒ですぜ」とドアに言わせている。

買ってきた食べ物の袋をベッドの上に投げ
小さい窓のむこうに見えるのは
絵の具の筆を洗った水のような
明るいのか暗いのか判然としない空の色
窓の向こうに顔を向けベッドに座る。

一度閉じると開けることができない
木製の重い窓は閉まり切らず
風をはらんでグレイのカーテンを
揺らしていた。

舞台の緞帳をくぐって客席を覗くように
もぐりこみ、窓枠に肘を置いて
あごをのせて通りを眺めていた。
頭をかすめて風が動き、後ろでカーテンが揺ゆれた。

吹き上がってくる空気の中にざわめきが混じり
いままでそこにいた音が上がってくる。

ベッドの端に座って窓から見えてくるのは
向かいのビルの黒い窓と
その上に明るく渦巻く都会の夜の雲だけだ。

買ったものを食べ残すこともなく
温いビールになって残ることもなく
満足した胃袋を抱えてさぁ寝ようと思った。


すると電話が鳴った。


「どこ?」

0・5秒頭が止まった。
着信番号は出ていない。
携帯だが番号が出ない。
いきなりの誰かわからぬ電話に
どこと聞かれても答えようがない。

「うん、ちょっと遠いかな」とかえした。

相手は攻勢に乗じる。

「何してんの?」

これは簡単だった。
「今から寝るとこ」

「どしたの?誰かいっしょなの?」

「いや、誰もいないよ。」
ほんとのことだ。

「そ、、じゃまたね。」

このくらいまでやり取りを続けると
相手がだれかわかったが
わかったときにはもう切れていた。

電話の向こうで、勝手にしゃべり
勝手に去っていった。

腹は満たされたが眠くならないままだった。

『プジュルマーを探して 01』

つづきます。

『プジュルマーを探して 01』 まろみえり 作

通り過ぎる風のように、一瞬の自分の思いが、遠ざける自己と取り巻く人々との間でゆれ、スローモーションのように多彩に現れる。

  • 随筆・エッセイ
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更新日
登録日 2016-06-29
Copyrighted

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