2001年4月、PL学園硬式野球部(大阪)は、上級生が下級生に暴力を振るっていたことを日本高校野球連盟に報告した。その後も不祥事が明らかになり、半年間の対外試合禁止処分を受けた。後に4人のプロ選手が出た力のある代は、「最後の夏」を経験できずに高校時代を終えた。
【写真】甲子園でも名物だった「PL」の人文字=2003年の第85回大会
この時取りざたされたのが、下級生が上級生の「付き人」となり生活の世話をする過度な上下関係だ。暴力の温床が日常の中にあったと、日本高野連は判断した。事件発覚の直前、野球部専用寮「研志寮」を廃止していたが、事件はいずれも専用寮で起きていた。
1980年代から中学野球のボーイズリーグで代表を務めた関西在住の男性は「教え子は甲子園に近道だという理由でPLに進みたがった。ただ上下関係に耐えきれずに辞めた子もいる。正直、行ってほしくなかった」と当時の状況を思い起こす。
一方で、付き人制度を支持するOBは少なくない。ヤクルトで活躍した宮本慎也(45)は「今の時代では許されない」と前置きした上で、「信頼関係を築くには良い伝統だったし、PLの強さと関係していたと思う」。42期主将で日本生命茨木支社の営業部長、石田拓郎(37)は「厳しい生活を頑張り抜いたから、今があると思っている」と話す。だが、2013年春、再び暴力事件が明らかに。半年間の対外試合禁止処分となると、制度は廃止された。当時主将の中川圭太(現東洋大)は「勝つために必要かと考えた結果、やめようとなった」。
14年夏は大阪大会の決勝で敗れ、あと一歩のところで甲子園出場を逃した。すると秋、学校側は新年度からの部員募集停止を保護者らに通告した。OB会は存続を求めて300人近くの嘆願書を提出したが、返事はなかったという。OB会幹事の井坂善行(61)によると、今年4月に野球部側と面談し、「休部後の再開のめどはたっていない」と告げられた。
文化庁が刊行する「宗教年鑑」によると、PL教団の信者数はこの30年で3分の1近くに減った。不祥事が再発し、学校経営における硬式野球部の位置づけを見直したとしても不思議はない。監督として春3度、夏3度の甲子園優勝に導いた中村順司(名古屋商科大野球部総監督)は「強かったころは今より野球部を取り巻く環境に活気があった。教団、学校、野球部が一体となって戦っていた」。
学校側は現在まで、休部を決めた経緯などについて「現役選手が集中して臨めるように、ご理解をお願いしたい」と取材に応じていない。いま、部員は3年生12人。この夏で、一時代を築いた高校野球部の歴史が途切れる。(敬称略)(鈴木健輔)
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