阿蘇山の噴火はいつ頃?
熊本と北海道をあてたヨハネの黙示録に、九州の噴火が予言されています。
14章10節
その者自身も、神の怒りの杯に混ぜものなしに注がれた、神の怒りのぶどう酒を飲むことになり、また、聖なる天使たちと小羊の前で、火と硫黄で苦しめられることになる。
「子羊」が熊本地震でした。「聖なる天使たちと小羊」は九州をさします。「火と硫黄で苦しめられる」は噴火です。九州の噴火です。私の透視では、それは阿蘇山でした。ドラマでも夜の噴火は描かれてます。
いつでしょうか?
14章 8節のバビロン倒壊は、7月17日です。
14章 9節は「獣の刻印」です。7月26日頃という感じです。どうでもよいです。
14章10節は、前半に「神の怒りの杯に混ぜものなしに注がれた、神の怒りのぶどう酒を飲むことになり」とあります。バビロン倒壊の14章 8節の「怒りを招くみだらな行いのぶどう酒を、諸国の民に飲ませた」と同じ表現です。ぶどう酒の樽は、石油タンクを意味します。東京地震の災害の一つです。おそらく、311並の首都が揺れる地震で震度5強くらいです。
余震はそんなに遅くありません。だから、7月末から8月初旬です。その次が「子羊の前で火と硫黄で苦しめられる」と九州の噴火です。7月末から8月、遅くても9月にかけてです。
首都直下地震のあと、大きな余震が一つあります。すると、すぐに阿蘇山が噴火します。夜の噴火でやや大きいので、気をつけましょう。
2016年06月29日
2016年05月23日
世界の終わりに関する考察 宇宙の終わり、地球の終わり、人類の終わり
こんにちは、
キリスト教ではよく、『世界の終わり』がある。昔の人の『世界』は、ちっぽけな地球の1エリアだろう。国が終わるか、洪水で平野が水浸しになるほどの災害である。現代人は、古代の人にとっての『世界』が小さい範囲だということがわからない。現代人の考える『世界』で解釈しょうとする。それで、宇宙全体をさすと思い違えた。
その終末論にまつわる話である。
世界(宇宙)の終わり
現代の宇宙論では、宇宙は空間ごと爆発的に広がっている。ある人はそれがいつか収縮するという。ある人は、そのまま永遠に拡大する、という。私は後者の立場をとる。空間や物体が外に外に広がっても、その速度が小さくなることはあっても、収縮するだけの力は生じないだろうからだ。
私の宇宙論では宇宙の拡大が止まり、小さくなって、あらゆる宇宙の物質は一つに擬縮される、という宇宙の終わりはこない。人間は宇宙の終わりを心配しない。
私の考えでは、宇宙に終わりはない。
地球の終わりはくる
太陽はやがて大きくなり、その後、小さくなる。太陽は小さいから超新星爆発はしない。太陽は光を放たない凍えた星となる。その時、地球に届く日光は弱くなり、地球は氷に閉ざされる。地球に緑はなく、そこに生命は住めない。地球という惑星は永遠に残るだろう。が、生命が住めない星である。それが私の想像する地球の終わりだ。
地球の終わりは、太陽が収縮して、弱い光しか放たなくなって、地球が氷の惑星になることだ。破滅した、爆発することではない。それは数十億年後にくる。100億年後くらいと見積もっている。
太陽が大きくなった時に、地球が太陽に飲み込まれて、地球が破滅するのでは?
人類がそれまでに破滅したら、地球はそれで宇宙の藻屑となるだろう。が、人類は知恵を出し、地球の軌道をずらし、太陽から遠ざけるだろう。訳なくそれを行う。
人工太陽を作り、日光の弱体化を防ぐ?
地球が氷の惑星となる。それを放棄したくない人達もいるだろう。人類が地球に固執する時、人工太陽を作り、なんとか地球上の生物は維持する。それもありうる。が、別惑星への移住のほうが簡単なら、そちらを選ぶだろう。太陽の巨大化後に、光が弱くなるまで、数十万、数百万年はある。それまでに移住可能な惑星をテラフォーミングして、緑ある惑星にすることはわけないだろう。
宇宙の終わりは来ない。地球の終わりは、数十億年後だ。それらは先のことだ。慌てて心配することはない。その頃には、別惑星の移住するだけの宇宙船くらいあるだろうからだ。
人類の終わりについて
大隕石の衝突、強烈な核爆発による核の冬。人類が絶滅しうるような自然災害は理屈では可能性ゼロではない。それを終わりの日と呼ぶこともできる。が、今では、大隕石は発見しだい回避できる。地球に大損害を与えるくらいなら、水爆をぶつけて、その隕石の軌道をずらすだろう。
核戦争は冷戦が終わり、もう回避されたにも等しい。ロシアは民主化して、中国ももはや半分は資本主義国で、半分は西側である。
地球が終わっても、人類は自ら数億年かけて緑化して、生命が住む別惑星に移住する。人類の終わりはこない。
以上まとめると、
宇宙の終わりはこない。地球の終わりはくる。人類はその時、別惑星に移住するから、人類の終わりもこない(あまりに老化すると、種として絶滅する可能性はある。なぜなら、何百億も続いた人類種は見たことがないからだ。)。
結論
宇宙の終わりを数十億年、いや未来永劫に心配する必要はない。
地球の終わりは、核戦争や小惑星の衝突、超新星爆発の巻き添えなどで、低い確率だが、心配してもよい。数十から100数億年後には必ず、生命が住む惑星としては終わる。
人類の終わりは、それら地球の破壊もしくは、地球上の生物の消失によって、あり得るから、心配してもよい。それを防ぐことが人類の課題である。
キリスト教ではよく、『世界の終わり』がある。昔の人の『世界』は、ちっぽけな地球の1エリアだろう。国が終わるか、洪水で平野が水浸しになるほどの災害である。現代人は、古代の人にとっての『世界』が小さい範囲だということがわからない。現代人の考える『世界』で解釈しょうとする。それで、宇宙全体をさすと思い違えた。
その終末論にまつわる話である。
世界(宇宙)の終わり
現代の宇宙論では、宇宙は空間ごと爆発的に広がっている。ある人はそれがいつか収縮するという。ある人は、そのまま永遠に拡大する、という。私は後者の立場をとる。空間や物体が外に外に広がっても、その速度が小さくなることはあっても、収縮するだけの力は生じないだろうからだ。
私の宇宙論では宇宙の拡大が止まり、小さくなって、あらゆる宇宙の物質は一つに擬縮される、という宇宙の終わりはこない。人間は宇宙の終わりを心配しない。
私の考えでは、宇宙に終わりはない。
地球の終わりはくる
太陽はやがて大きくなり、その後、小さくなる。太陽は小さいから超新星爆発はしない。太陽は光を放たない凍えた星となる。その時、地球に届く日光は弱くなり、地球は氷に閉ざされる。地球に緑はなく、そこに生命は住めない。地球という惑星は永遠に残るだろう。が、生命が住めない星である。それが私の想像する地球の終わりだ。
地球の終わりは、太陽が収縮して、弱い光しか放たなくなって、地球が氷の惑星になることだ。破滅した、爆発することではない。それは数十億年後にくる。100億年後くらいと見積もっている。
太陽が大きくなった時に、地球が太陽に飲み込まれて、地球が破滅するのでは?
人類がそれまでに破滅したら、地球はそれで宇宙の藻屑となるだろう。が、人類は知恵を出し、地球の軌道をずらし、太陽から遠ざけるだろう。訳なくそれを行う。
人工太陽を作り、日光の弱体化を防ぐ?
地球が氷の惑星となる。それを放棄したくない人達もいるだろう。人類が地球に固執する時、人工太陽を作り、なんとか地球上の生物は維持する。それもありうる。が、別惑星への移住のほうが簡単なら、そちらを選ぶだろう。太陽の巨大化後に、光が弱くなるまで、数十万、数百万年はある。それまでに移住可能な惑星をテラフォーミングして、緑ある惑星にすることはわけないだろう。
宇宙の終わりは来ない。地球の終わりは、数十億年後だ。それらは先のことだ。慌てて心配することはない。その頃には、別惑星の移住するだけの宇宙船くらいあるだろうからだ。
人類の終わりについて
大隕石の衝突、強烈な核爆発による核の冬。人類が絶滅しうるような自然災害は理屈では可能性ゼロではない。それを終わりの日と呼ぶこともできる。が、今では、大隕石は発見しだい回避できる。地球に大損害を与えるくらいなら、水爆をぶつけて、その隕石の軌道をずらすだろう。
核戦争は冷戦が終わり、もう回避されたにも等しい。ロシアは民主化して、中国ももはや半分は資本主義国で、半分は西側である。
地球が終わっても、人類は自ら数億年かけて緑化して、生命が住む別惑星に移住する。人類の終わりはこない。
以上まとめると、
宇宙の終わりはこない。地球の終わりはくる。人類はその時、別惑星に移住するから、人類の終わりもこない(あまりに老化すると、種として絶滅する可能性はある。なぜなら、何百億も続いた人類種は見たことがないからだ。)。
結論
宇宙の終わりを数十億年、いや未来永劫に心配する必要はない。
地球の終わりは、核戦争や小惑星の衝突、超新星爆発の巻き添えなどで、低い確率だが、心配してもよい。数十から100数億年後には必ず、生命が住む惑星としては終わる。
人類の終わりは、それら地球の破壊もしくは、地球上の生物の消失によって、あり得るから、心配してもよい。それを防ぐことが人類の課題である。
2016年05月21日
何かおかしい --- 亡くなった人、犬、ペットが心の中に生きている?
亡くなった人、犬、ペットが心の中に生きている?
よくそう言う人がいる。愛する我が娘を突然失って、悲劇を受け入れた。しばらくしたら、こういう『娘は私の心の中に生きているのです。』と言い出す人たちがいる。
彼らは亡くなった人・ペットの生前の姿をよく思い出す。それらの写真は動かない。それらのビデオにはいつも同じ姿がシーンが映る。それらは過去だ。今は生きてはいない。が、遺族が故人を心の中に思うとき、それらは生きているのだという。
それらは過去に生きていたが、今は生きていない。写真も映像も記憶の中の故人も、過去の生前だ。それらを思い出しても、今生きてていることはない。
が、彼らは、『故人が心の中に生き続ける、今も心の中に生きている。』という。彼らは、それらの霊を見たわけではない。ただただ思い出すだけだ。記憶の中のそれらを思い浮かべただけだ。
だから、けつしてそれらは彼らに話しかけることはないし、今も生きているように振る舞うことはない。なのに、生きていると感じるようだ。どうしてだろう。
彼らは、生きているそれらを心の中に本当に見るのだろうか?
霊能者なら、たまにそれらの霊を見て、故人が霊となって生きていることを知る。が、一般人は霊能がないから、死後のそれらを見ることができない。だから、彼らは故人と交信しているわけではないだろう。
ただ過去を思い出すだけで、生きているように感じるのだろうか? それしか考えられない。哀しい。
それは記憶である。それらが生きていることにはならない。慰められるとしても。私は、これは単なる『願望』なのか、それとも同じ写真を長く見続けていると、それが生きているように感じられる錯覚というものなのか、言葉のアヤ(表現)としてそう言った(死んで彼らは何も残さなかったけど、私の心の中には生きて、輝いている、彼らが生きた証がある、という主張。)のか、明らかにしたいと思っている。
現在は、以下の方法で、亡くなった人と会える。それで生きていることを確認できる。
その1
霊能者の母親が、失った息子を毎日求めていたら、息子から交信してきた、という話がある。その息子はあの世で宇宙人と一緒にいて、アメリカ経済のことを語りだした。しかし、その母親は盲信してしまったので、その『オレオレ息子』を信じてしまった。これはニセモノである。
その2
霊感がある子供は、母親の霊が時たま、家にくることを感じる。あの世で、達者でやっているようである。これは幽霊なので、本物である。
その3
霊感のある妻が亡くなった夫のことを長く思い続けていた。すると、心の中の夫が語り出した。いわゆる交信可能となった。この夫は心で亡き妻と繋がった。やがて、その妻は、目前にぼんやりと姿を現した。その妻は夫の心を読み取ることができる。これはニセモノである。
その4
妻を失って悲しんでいた夫は、幽霊と交信する装置をある時、手に入れた。それを使って、あの世にする妻に出会った。妻はやつれた姿をしているものの、生きていた。これが現実になるのは科学の発展を待たなくてはならない。
その5
幽霊を呼び出せる霊能者に召喚してもらい、霊能者を通して、霊と話した。降霊術のほとんどはニセモノが現れる。
現在、もっとも無難にあの世の人物と会話する方法は『その4』である。裏で交信装置を手に入れよう。
よくそう言う人がいる。愛する我が娘を突然失って、悲劇を受け入れた。しばらくしたら、こういう『娘は私の心の中に生きているのです。』と言い出す人たちがいる。
彼らは亡くなった人・ペットの生前の姿をよく思い出す。それらの写真は動かない。それらのビデオにはいつも同じ姿がシーンが映る。それらは過去だ。今は生きてはいない。が、遺族が故人を心の中に思うとき、それらは生きているのだという。
それらは過去に生きていたが、今は生きていない。写真も映像も記憶の中の故人も、過去の生前だ。それらを思い出しても、今生きてていることはない。
が、彼らは、『故人が心の中に生き続ける、今も心の中に生きている。』という。彼らは、それらの霊を見たわけではない。ただただ思い出すだけだ。記憶の中のそれらを思い浮かべただけだ。
だから、けつしてそれらは彼らに話しかけることはないし、今も生きているように振る舞うことはない。なのに、生きていると感じるようだ。どうしてだろう。
彼らは、生きているそれらを心の中に本当に見るのだろうか?
霊能者なら、たまにそれらの霊を見て、故人が霊となって生きていることを知る。が、一般人は霊能がないから、死後のそれらを見ることができない。だから、彼らは故人と交信しているわけではないだろう。
ただ過去を思い出すだけで、生きているように感じるのだろうか? それしか考えられない。哀しい。
それは記憶である。それらが生きていることにはならない。慰められるとしても。私は、これは単なる『願望』なのか、それとも同じ写真を長く見続けていると、それが生きているように感じられる錯覚というものなのか、言葉のアヤ(表現)としてそう言った(死んで彼らは何も残さなかったけど、私の心の中には生きて、輝いている、彼らが生きた証がある、という主張。)のか、明らかにしたいと思っている。
現在は、以下の方法で、亡くなった人と会える。それで生きていることを確認できる。
その1
霊能者の母親が、失った息子を毎日求めていたら、息子から交信してきた、という話がある。その息子はあの世で宇宙人と一緒にいて、アメリカ経済のことを語りだした。しかし、その母親は盲信してしまったので、その『オレオレ息子』を信じてしまった。これはニセモノである。
その2
霊感がある子供は、母親の霊が時たま、家にくることを感じる。あの世で、達者でやっているようである。これは幽霊なので、本物である。
その3
霊感のある妻が亡くなった夫のことを長く思い続けていた。すると、心の中の夫が語り出した。いわゆる交信可能となった。この夫は心で亡き妻と繋がった。やがて、その妻は、目前にぼんやりと姿を現した。その妻は夫の心を読み取ることができる。これはニセモノである。
その4
妻を失って悲しんでいた夫は、幽霊と交信する装置をある時、手に入れた。それを使って、あの世にする妻に出会った。妻はやつれた姿をしているものの、生きていた。これが現実になるのは科学の発展を待たなくてはならない。
その5
幽霊を呼び出せる霊能者に召喚してもらい、霊能者を通して、霊と話した。降霊術のほとんどはニセモノが現れる。
現在、もっとも無難にあの世の人物と会話する方法は『その4』である。裏で交信装置を手に入れよう。