伏字については以前一度書いたことがありますが、私はどうもこの伏字ってやつが好きになれません。伏字にする意味が分からんのです。
まあ、もちろん伏字にもいろいろな場合があるわけで、著作者以外の第3者がやるとすれば、無論それは権力による検閲であり弾圧です。それは歴史上何度もあったことです。そして、そういう場合の伏字は何が書いていあるのか見当がつかないように塗り潰す訳ですから、容易にその意味も理解出来ます。
しかし、今インターネット上の文章を見ると、書いた本人が伏字にしているケースがものすごく多いのです。これは一体何を意図しているのでしょうか?
例えば「N○Kでやっていた番組で」などと書いてある。これは日本人なら誰が見ても NHK のことだと丸わかりでしょ? じゃあ、何のためにわざわざ1字伏せてあるのでしょう?
何か NHK と取引関係なり利害関係なりがある会社に務めている人で、その文章を書くことによって(厳密には NHK の人に読まれることによって)何か不都合が生じることを恐れて書いたと言うのであればまだ解ります。それがどんな不都合なのかは想像がつかなくても、それを伏字にしておこうという心理については多少なりとも理解できるということです。
しかし、NHK と何の関係もない人がどうしてこういうことを書くのでしょう? 「某公共放送が」などという書き方をされているのもよく目にしますが、これも同じです。何故ぼやかせる必要があるのでしょうか? その心理がよく解らないのです。
あるとすれば皮肉。つまり、「何が公共放送だ、バカヤロー」と思っているから、そういう軽蔑を込めて「某公共放送」などと書く──これならありそうです。でも、そういう意図もなく、ただなんとなく固有名詞を部分的に秘匿したとしか思えない表現があちこちにあるのです。
本当に明示したくないのであれば例えば「某菓子メーカーが」と書けば良いのに、わざわざ「M製菓が」とか「○ッテが」などと書いてあるのも同様です。どの菓子メーカーなのかをこの人は分かってほしいのか分かってほしくないのかどちらなのでしょう? なんでこんなまどろっこしい表現を採る必要があるのでしょうか?
インターネットとデータベースの時代になって、検索されないために伏字にするというのはあるでしょう。多分それが唯一解りやすい理由です。
例えばなんかエッチなことを書いていて、それでエロサイトからの TB をつけられたりするのであれば納得も行くのですが、たまたま文中にあった「セックス」というたった一単語のためにエロサイトの標的になるのは不本意です。
だから、「○ックス」などと書いておくのです。
しかし、上のN○Kとか M製菓のような場合、検索されて何が困るのでしょう?
不確かなことを書いているので追及されたときに逃げ切れるように伏字にするのでしょうか? NHK なり 明治製菓なりからクレームが付いたときに「いや、NHK とは書いてませんよ」と言い逃れるためとか、あるいはもっと悪質に「だから、わざわざM製菓と伏字にしてるんじゃないですか。そういうところをちゃんと汲んでくださいよ」と逆襲するためなんでしょうか?
でも、どう見てもそんな大それたことではないところにこういう表現がちょこちょこあって、出くわす度に私は首をかしげてしまうのです。
私がこういうことを twitter でつぶやいていたら、「単なる遊びじゃないですか?」との返事をくれた人がいます。うーむ、遊び? 遊びって面白くなけりゃ遊びじゃないでしょ? こういう伏字が面白いですか?
楽屋落ち・内輪受けという面白さを狙ってのことなら解ります。
例えば、とあるブログでも twitter でも良いのですが、そこには当然同じ社内の読者もいれば、会ったこともない部外の読者もいるわけです。
で、そこに書くときに「S常務が」などと書いておくと、部外の読者には誰のことだか判らないけど社内の読者には「あ、佐々木常務か」などと判って笑いが取れる。部外の人にとっては別にそれがS常務であれM常務であれ何の違いも意味もないけど、社内の人にはわざわざSと書いておくことによって受けるのです。
仮にS常務が2人いたとしても、内容から「あ、これは鈴木常務ではなく佐々木常務だな」と判って笑いが取れる。実名で書くのは、関係のない社外の人にもあからさまに知らしめることになるのでさすがに気が引ける。──こういう時に伏字やイニシャルを使うというのであれば理解はできるのです。
しかし、何度も同じことを書いていますが、そういうのにも該当しない、よく分からない伏字やイニシャルが多すぎるように思うのです。
あとあるとしたら、「私は本当はこんな下品なことを書く人じゃないんですよ」みたいな言い訳でしょうか?
特に女性が下ネタ(排泄系、生殖系)を書くときに「ウン○」とか「セック○」とか書いてある。これは前述した検索されないためということもあるのでしょうが、どちらかと言うと恥ずかしさを紛らわせるためのようにも思えます。
でも、思うんですけど、伏字にしようがイニシャルにしようが、あなたはそのことについて触れいるわけで、そんな小細工であなたに対する評価はちっとも改善されませんよ。
「別に女性がウンコとかセックスとか書いたってちっとも構わない」と考えている人に対してはわざわざ伏字にする意味がありませんし、「女のくせにウンコやセックスの話をするなんてサイテーだ!」と思っている人に対しては伏字にしても大した効果はないでしょう。
そういうことで悪く思われるのが嫌なのであれば、一切ウンコやセックスに言及しないことです。それはあり得る選択だと思います。
むしろ、私が感じるのは、「いや、わたくし、普段はこんなこと書くような人間じゃございませんのよ、おほほ」みたいな、妙に気取った、しかし、すこし外した照れ笑いのような心理です。
で、先ほどからこんな風に場合分けして分析して私が何を結論づけたいかと言うと、こういうことです:
自分で自分の文章を伏字にするという行為にはいろんなケースがありますが、どのケースであれ結局ナンダカヨクワカラナイ自己満足でしかないのではないでしょうか?
そこには伏字にすることによって何か得をしたりするという経済性もなければ、自分と他者との関係を変容させるほどの社会性もありません。ひょっとすると、ほぼ無意味な自己満足なのかもしれません。そして、自己満足というのは「表現」から最も遠いところにあるのではないでしょうか?
ま、以上が私の伏字論です。
あ、気を悪くされました?
え?そんな分析に何の意味があるのか、と言われると全く反論できません(笑) はい、これこそ私の自己満足かもしれません。だから、あなたがどれだけ伏字を用いようとも私はそれを妨げるものではありません。
ただね、私は割合いろんなことをはっきりと、かつ論理的に書いて行こうかな、という、これは言わばマニフェストみたいなもんだ、と笑ってお読みいただけませんかね? 決して伏字を使ってるあなたが劣った人間だと言うつもりもありません。
まあ、そんなに怒らずに。ここは伏してお願いする次第です。
Copyright©yama-a Feb.2010