2016年6月29日 (水)

相続の関係の話

先月私の父が亡くなりました。63歳でした。親戚の皆さんもまだ若いのにねぇ……、と零していました。父は山登りが大好きで大学時代に始めた山登を亡くなった年齢までずっと続けていました。父の口癖でしたが「何時かはチョモランマの登頂に挑戦してみたい――」と言う話をよくしていました。しかしその父が日本のアルプス山脈を登っている際、行方知れずとなり、見つかった時は体には体温が無く、固く固まった状態でした。母はその姿を見て泣き崩れてしまい、父の亡骸から離れようとはしませんでした。母と父は大学時代に知り合い、卒業と同時に結婚し私を出産、結婚した当初は生活もままならない日々が続いたと話していました。

 

一宮市内に引っ越してきてからは叔父の会社で働くようになり生活も安定してきたと言っていました。苦労を共にしてきた父を母は本当に大切に思っていたのだと思います。しかしその後、お葬式が終わり、二日ほどたって相続の事で兄の兄弟のおじさんとおばさんがウチにやってきて、母とあれやこれやと話しているのが耳に入ってきました。あとで聞いてみたのですが遺産相続の事だと母は言っていました。私たちが住んでいる家はもともと長男だった父がおじいちゃんが亡くなった時に相続した物だったのです。父が亡くなった今、家を継ぐのは母になります。それがどうもおじさんやおばさん達は気に入らないみたいなのです。

 

しかし母も父が残してくれた財産は我が家のものだし私たち家族で守っていくつもりでいます。だから母も一歩も引く気はないようです。私はこんなに気の立っている母を始めてみました。母は必死に父の残してくれた財産を相続し、大切にしていこうと考えているのです。私も何かできないものかと思い、友人に話してみると「あぁ、それなら簡単だよ、一宮市の石黒法務事務所に頼めばいいじゃないかぁ――」と言うのです。私は初めて聞くその石黒法務事務所の名に「へぇ~、そんなところがあるんだぁ……」となって早速家に帰って母に教えてあげました。

 

すると母も同じことを考えていたようで「そうなのよ、私も石黒先生のところに頼もうかなぁ、と考えていたところなのよぉ……」「なんだぁ、お母さん知ってたのぉ……」「知ってるも何も石黒法務事務所の石黒先生はお父さんの同級生だもん、よく一緒に山登りやってたのよ――」その話を聞いてなんだか世間は狭いなぁ、と思いました。数日後、母は石黒法務事務所に相続の件をすべて任したそうです。私はこれで母も楽になるなぁ、と感じました。

2016年6月23日 (木)

相続の法律

実は最近私はとても心が重くてなりません。その理由は先月私はニューヨークへ3年ぶりに遊びに行きました。ニューヨークには大学時代の友達が向こうで暮らしていて、卒業したての頃は年に二回くらいは遊びに行っていたのですが最近は仕事も忙しくなりなかなか連休が取れないこともあり、ずっと行っていませんでした。そんな中どうにか休みの都合をつけてニューヨークの友達のところへと遊びに行ったのですが、向こうについて二日目、日本の母から連絡があって「おばあちゃんが死んじゃった……」と驚きの発言に、私は血の気が引く思いで直ぐに日本にトンボ帰りする形になりました。一宮市の実家にはちょうど何とかお葬式の日の朝、着いたのですが実家はてんやわんやとなっていました。

 

私も時差ボケの状態ではありましたが母に付き添いながらお葬式の手伝いをしていると、奥の部屋から遺産相続がどうのこうのという話が聞こえてきました。私はなんでお葬式の日にそんな橋をするんだろう……、と思いながらお葬式の準備を熟しました。少し落ち着いてお葬式が始まり、終わった後、先ほど奥の部屋で遺産相続のことを話していた見知らぬ男の人が大きな声で実家の家は誰がつぐんだ!といいながらごちゃごちゃと揉めている様子でした。母はその話を聞こえているはずなのですが聞こえないふりで後片付けを始めだしました。

 

その夜、みんなが帰った後で私は母に、その相続に関しての話を切り出すと、大丈夫お父さんが一宮市の石黒先生に頼んできたらしいから。石黒さんというのは一宮市内では知らない人はいないというほど有名な石黒法務事務所の先生の事でした。「あの先生に任しておけば大丈夫だわぁ、特に相続に関する相談には慣れているからねぇ……」私はその話を聞いてそんなにすごい人なんだぁ、と感心しながらインターネットで石黒法務事務所を検索しました。そして石黒法務事務所のホームページを見てみると、相続門だけではなく、他にも色々な法的相談を受け持っているようでした。

 

数日後、父が仕事から帰ってきて「あぁ、どうやら石黒先生のお陰で相続問題の方は形が付きそうだよ――」と母に話していました。私は心の中で(おばあちゃんもう心配ないからね……)と報告しました。今回のいきなり起こった騒動で私のニューヨークでの休日はなくなってしまいましたが一つだけ勉強になったことがあったので、まぁいいかぁ……、という感じです。なにか法律関係のことでこまったら一宮市の石黒法務事務所を検索!!

2016年6月20日 (月)

相続関係の話

僕の実家は岡山県の田舎にあります。春になると桜や藤の花が咲き乱れ、とても綺麗なところです。毎年春になると自分の生まれ育った田舎の事を思い出します。そして毎回、(もう何年帰ってないかなぁ……)などと考えながら深いため息を一つ吐いて終わります。実は僕は父親とちょっとしたことで討論となり家を飛び出し、愛知県の一宮市で暮らすようになったのです。一宮市にはたまたま同級生が大学卒業後就職していたこともあって、一宮市に移り住んできたというわけです。昔からその同級生とは仲が良く、大学時代も常に一緒にいたほどでした。友達はすぐに就職が決まり一宮市内に引っ越したのですが僕は岡山県内の会社に就職したことで、なかなか会う事の出来ない状態になっていました。

 

ですがこれも転機だったのかもしれません。父と喧嘩をしたことで一宮市に来ることとなり、また仲の良かった同級生と対面し、一緒に過ごす時間が持てたことはとてもよかったと思っています。しかしそんな楽しい日々を過ごしている中、実家から連絡が入りました。母からでした。「おとうさんが死んじゃった……」「…………」僕は絶句してしまいました。(なんで? あんなに元気だったのに……)僕の父は本当に元気だけが取り柄の人でした。特に病気もすることも無かったのです。

 

詳しく母に話を聞いてみると、父の勤めていた会社はトラックの部品を作る会社で父が工場内を歩いている時に、積み上げられていた製品が倒れてきて父の上にのしかかって来たそうです。そのショックで父は即死だったそうです。僕はすぐに一宮市から名古屋駅まで行き、新幹線に飛び乗りました。岡山の父の下へと向かいました。

 

お通夜を済ませ、お葬式が終わると親戚のおじちゃんやおばちゃんたちが母の下にやってきてウチの家の事やそのほかの財産の相続の事であれこれと言い出しました。僕は最初は何の話をしてるんだろう、と思いましたが話している内容を聞くと、こんな時に何言ってるんだと、だんだん腹が立ってきて「こんな時に態々相続の話なんてしないでくれ!」と言うと一先ずは僕の怒っている表情を見て黙りました。そこにおじさんがやってきてこんな時に相続の話なんかしとるのはだれなぁ、ええ加減にせい!と岡山弁丸出しで仲裁に入ってくれました。

 

どうしていいのかわからない僕は一宮市の同級生のところへ連絡を入れると「一宮市の石黒法務事務所に頼めばいいじゃん。上手く収めてくれるって有名だよ――」僕も何度かその名前は聞いたことがあったので、そうかぁその手があったなぁ、と思い、早速翌日に連絡を取りました。すると快く受けてくれて岡山と一宮市という事で多少時間はかかりましたがどうにか解決しました。

2016年6月17日 (金)

頼りになる石黒さん

昨日、彼女を誘って名古屋市内の伏見で、劇団四季のオペラ座の怪人を見てきました。その後、食事をして帰る途中、彼女の携帯が鳴りました。彼女が誰だろう……、と言いながら見知らぬ番号からの呼び出しに出てみると、それは病院からの電話でした。内容は祖母が亡くなったという事でした。私は彼女をすぐに病院へと送り届けました。私も一時間ほど一緒にいたのですが、やはり関係のない私がうろちょろするのも彼女の家族の方々に迷惑だと思い、彼女に一言言って帰宅しました。 翌日彼女から連絡があり「昨日はありがとう、助かった――」と一言、でも彼女も少しショックだったみたいです。子供のころから可愛がってもらっていたおばあちゃん子だったみたいで、さすがにいつも元気な彼女も沈んだ感じでした。私は彼女に元気出してね、と一言伝えました。数日後一宮市内で彼女とカフェでゆっくりとしていると「ねぇ、相続って何? なんかうちの中がおばあちゃんが死んでから、ごちゃごちゃしだしたんだけど……」「えっ、相続、あの遺産相続とかっていうやつだろ……」とは言ったものの私も正直言ってさっぱりわかりません。 彼女の家の中が相続問題でごちゃごちゃとしているという事はわかります。それに対してのホローは何もしてあげる事が出来ません。(何とかしてあげたいけどなぁ……)私はインターネットで相続、一宮市で検索してみました。すると石黒法務事務所と名前がトップに出てきました。それを見てこれかなぁ、と思いながら石黒法務事務所のインターネットサイトを見てみました。すると結構相続問題って、色々な人が抱えてるんだなぁ、という事がわかりました。だけど石黒法務事務所は一宮市内での評判も良く、相談に来る人の数もかなりの数の人が訪れているようです。 それだけ一宮市内で指示されていることになります。彼女の家の相続問題も上手く解決すればいいのになぁ、と思いました。日本の世の中には色々な法律関連の問題を抱えて悩んでいる人がいる事を知って、法務事務所ってそのためにもなくてはならないものなんだなと感じました。しかし一宮市内にどれくらいの人が相続問題で悩んでいるんだろうなぁ……、と考えてみると、かなりの数なんだろうなとしか言えません。数日たって彼女から連絡が入り、相続問題の方は解決の方向に向かっているので心配しないで下さい、という事でした。私はほっと胸をなでおろす事が出来ました。よかった~

2016年6月16日 (木)

彼女の相続問題

ここ最近僕は相続の事について勉強を始めました。と言うのも僕の彼女の家で相続問題が持ち上がっていて、毎日煩わしい日々を送っているようなんです。なので最近は会うたびに憂鬱な顔で「疲れたぁ……」この言葉を連発します。僕もあまりにもかわいそうになり何か力になれないかと思い相続に関する本を開いては見たのですが、開いてみたのはいいのですがさっぱり何が何だかわからない状況です。(これは僕にはどうしようもないなぁ……)

 

週末彼女と食事の約束をしています。その時までに何とか打開策が無いか調べておいてあげたいのですがなかなか見つかりません。父親に聞くのもなぁ……、僕の父は一宮市役所で働いています。法的な事なら何か知っているかもしれません。どうも聞きにくいのです。最近はまともに会話もしなくなっているので、困った時だけすり寄っていくのもどうかと思うのです。(……やっぱり聞こうかなぁ、どうしようかなぁ……)僕は思い切って聞くことにしました。そして仕事が終わり自宅に戻ると父はすでに帰宅していて晩酌の最中でした。

 

「あのさぁ、いきなりなんだけど、相続に関する相談が出来る所って一宮市にあるのかなぁ?」「なんだ? やぶからぼうに、相続ってお前になんか関係あるのか?」(やっぱり突っ込んできたなぁ……)「ちょっとね、僕じゃないんだけど友達の家がね――」父は僕の顔を凝視しながら「一宮市内なら石黒法務事務所に頼んでみろ! 何とかしてくれるだろう――」父は赤らんだ顔を歪めながらそう言いました。その後「ただしお前は余計なことに首を突っ込むなよ、邪魔になるだけだからなぁ……」

 

そういうと僕からテレビの方へと視線を移しました。僕も一言、ありがとう、と言って自分の部屋へと戻りました。そして僕はとりあえず彼女にラインで{相続の事は石黒法務事務所}といれました。彼女からの返信で{ありがとう♡}と返信がありました。僕は心の中で何とかうまくいってくれと祈るばかりでした。それから数日後彼女からラインが入り、{石黒法務事務所の先生に頼みました。ありがとうね}と入っていました。

 

僕はその言葉にどうやら順調に動き出したことを確認しました。これで一安心です。その夜僕が仕事から家に帰るといつものように父が晩酌をしていました。僕は父の横を通り抜けようとしたとき「おい、どうなったんだ?例の相続問題……」そう言われて僕はハッとなりましたが父のおかげで彼女の家の問題もどうにか解決の方向に向かっていることもあって、「うん、上手くいってるみたいだよ。ありがとうね、友達も喜んでたよ――」というと「そうか――」と一言言うと視線を僕からテレビに移しました。

2016年6月15日 (水)

相続で迷ったら

僕の姉さんは行政書士をしています。毎日朝早くから夜遅くまで働いて、帰ってくると母親に愚痴ってばかりいます。すると母が呆れ返りながら「毎晩毎晩そんなに愚痴ばっかり言うならいっそのこと行政書士なんかやめてしまえばいいじゃない――」と言うのです。すると姉さんは「そんなんに簡単にいくわけないでしょう。無責任な事は出来ないわよ――」「そんなこと言うなら黙って働きなさい!」とピシャリと言われて姉さんは黙り込んでしまうのです。これは我が家の毎晩繰り返される親子のコミニケーションのようなものとなっています。

 

そんな姉さんが休みの日に相続とでかでかと書かれた本をひろげて読んでいました。いかにも難しそうな本で、ちょっとだけ覗いてみたのですが小さな字で隙間なくびっしりと書かれていました。僕は思わずうわぁ~、難しそう……、と声を上げてしまうと、姉さんは「あなたも読んでみる? 相続に関する事は日本に住み続ける以上逃れられない問題なのよ。読んどいたほうがいいわよ、まぁ我が家の相続問題は私がいるから大丈夫だけどね――」

 

僕はそう話す姉さんを見ながら(あぁ、そうなんだぁ、日本では相続問題はあたりまえのようにおきているんだぁ)という事を初めて知りました。将来は僕もその相続問題にぶつかることになるのかもしれないと思うと、ちょっと不安になり、難しそうな相続と書かれた本に目が行きました。僕と姉さんとは8歳年の差がある為、完全に上から物も言われます。ですが何かあった時はいつも相談にのってくれるのも姉さんなのです。だから僕にとってはかなり頼りになる人なのです。

 

その相続と言う言葉で思い出したのが友人の家でも相続に関する問題で石黒法務事務所にお願いした時、うちの姉さんが友人の家の相続に関する事を担当したことを思い出しました。あの時僕は友人に随分とお礼を言われたのでした。「ありがとうな、お前の姉さんのおかげで我が家で揉めていた相続問題が片付いたよ――」ちょっとだけはなが高くなったことを覚えています。それにしても石黒法務事務所で働くうちの姉さんは結構やるんだなぁ、頼りがいのある人なんだなぁ、とは思います。ですが母に言わせると「もう三十にもなって彼氏も居らず、結婚の予定もないなんて女としてはチョットねぇ……」と頭を抱えていました。

 

ですが肝心のお姉さんはおそらくそんな母の言う事を屁とも思っていない様子です。それにあれだけバリバリのキャリアウーマンについてくる男はいないと思います。僕なら低調にお断りします。

2016年6月14日 (火)

相続相談しやすい司法書士

私は先日彼の車でドライブへと出かけました。その時サービスエリアに車を止めて休憩をしているところに、ドンと音がして車が一瞬大きく揺れたのです。二人はいきなりの事に驚き、音のした方を見ました。すると車の後方に知らない車が彼の車にぶつかっているではありませんか。彼は車を降りて行って「どういうことですか?」と聞くと、ぶつかってきた運転手のおばさんは慌てふためきながら「ごめんなさいごめんなさい――」と言いながら自分の名刺を出して連絡先の交換を求めてきました。そして一端は別れたのです。

 

翌日彼の携帯電話に電話がかかってきて「石黒法務事務所の者ですが――」と掛かって来たそうです。勿論その前に相手の保険会社からも連絡が入っていたので、事故の件だなぁ、という事はわかったそうです。「お怪我の方はありませんでしたか? 本来は私共が口を出す話ではないとは思うのですが、事故を起こされた当事者の方からどうしてもという事でご連絡させて頂きました――」一宮市にある石黒法務事務所の方だったそうです。

 

話によると保険で賄いきれない所があれば個人的にもちゃんと保障させてもらいたいという事だったそうです。あまりの丁寧な対応に彼は恐縮して「とんでもありません、保険会社さんの方から連絡も頂いてますので、これ以上は結構です。お気遣い頂きありがとうございます――」と返したそうです。結構最近の世の中はいい加減な人が多いのにこんな丁寧にかえしてくる人もいるんだなぁ……、と彼も感心していました。

 

私はその話を聞いて石黒法務事務所と言う名前にピンときました。そういえば石黒法務事務所って実家のおばあちゃんが亡くなった時相続の事で相談にのってくれた法務事務所だったなぁ……、となりました。一宮市にある有名な法律に関する相談を受け付けているところだなと思いだしました。私もあの時の印象はかなり良かったので良く覚えています。とにかく親切丁寧で相続問題もスムーズに事を進めてもらったことを覚えています。ウチの父も大喜びでお礼を言っていたのを思い出しました。

 

確かあの時彼と同じ心境になり、一宮市にもあんな法務事務所があるんだぁ、法に関する悩みは石黒法務事務所に相談すればなんとかしてくれるんだなぁ、と思ったことを思い出しました。彼にそのことを話すと「そうだったのかぁ、だからあんなに親切丁寧な対応をしてくれたんだぁ、あれならだれでも素直に受け入れちゃうよな――」と感心顔でした。

2016年6月13日 (月)

遺産相続

僕は今日会社の同僚に変わった質問をされました。「お前相続って知ってるかぁ?」僕はいきなりの同僚からの質問に「いやぁ、なにそれ?」と尋ねると「うちの家さぁ、ここのところ毎晩その相続の事で親戚一同集まってああでもない、こうでもないってやってるんだよ……」

その話を聞いてそういえば家も10年くらい前にそんなことがあったなぁ、と昔の事を思い出しました。まだ僕が中学生くらいの頃の事だと思います。おじいちゃんが亡くなって葬式の後、親戚のおじさんやおばさんたちが家に集まり、財産がどうのこうのと話していたのを思い出しました。

 

その時の父親も、今日はなした会社の同僚のように浮かない顔をしていたなぁ……、僕はあの時の事を父に聞いてみました。すると「どこの家にも相続問題は存在するもんだよ。我が家にもあったように人様の家にもそれはある。でもなぁ、早く相続問題を解決したかったら第三者に入ってもらうのが一番だよ――」「第三者?」「そう第三者だよ、法律のプロのこと……」僕は法律のプロと聞いて一瞬悩みましたが直ぐに「石黒法務事務所に頼んでみりゃいいじゃないか――」と父が言うのです。僕はその石黒法務事務所の事を詳しく聞きました。

 

ようするに法的な問題を解決してくくれる法律のスペシャリストという事です。僕は早速次の日、会社の同僚にその話をしてやりました。すると「そうかぁ、一宮市内にそんな法務事務所があるんだぁ……」彼はしばし考えていたと思うと「よし、今日取り敢えず休憩時間にでも電話してみるよ。ありがとう――」と言うと踵を返して自分の席へと戻っていきました。そして数日後、同僚が僕のデスクまで来て「ありがとうな、石黒法務事務所の事教えてくれて、本当に助かったよ――」いきなり目の前に現れてそういわれた僕は(あぁ、そうか、わすれてたなぁ……)となり、頷きながら愛想笑いを浮かべました。

 

しかし本当に父がいっていたようにどこの家庭にも相続問題は存在するんだなぁ、と改めて感じました。そして結構悩ましい問題なんだなぁ、とも感じました。その後、その同僚は会社内であっても笑顔の絶えない社員に戻り、一時のような暗い表情を見せることはなくなりました。僕はどうやら完全に解決したんだなぁ、と思いながらその同僚の表情を眺めました。その時僕は、今度は自分の代の相続に関する相談はやはり石黒法務事務所にしようと思いました。一宮市に住んでいれば法的な悩みの相談は石黒法務事務所にするのが当たり前だよなとなったのです。

2016年6月10日 (金)

相続ブログ一宮市編

今日会社の帰りに久しぶりに同級生と電車の中で会いました。私は一宮市に住んでいるので帰る途中の車内でした。なにやら考え込んでいるような表情だったので久しぶりという事もあって声をかけると「おぉ、久しぶりだなぁ、元気か?」とありがちな返事を返してきました。私も「元気だよ。そっちこそどうなの? 疲れてるみたいだったけど――」「いやぁ……、色々あってね……」というと黙ってしまいました。その様子を見て心配になってもう少し突っ込んで聞いてみると、今彼の家では相続に関する事で親戚一同で揉めているそうです。 毎晩毎晩その話し合いが繰り返されていて、もう一週間になるそうです。しかしいっこうに解決しそうになく心身ともに疲れていると言っていました。私は一宮市の石黒法務事務所を紹介してやりました。すると「そうかぁ、身内で話し合っていてもらちがあかないよなぁ……」というと明日にでも尋ねてみるよ、と言うと幾分か顔色も良くなったような表情を浮かべました。私の家も4年ほど前に祖父が亡くなり相続の事で親戚内での話し合いが行われました。ですが私の家は相続すると言ってもそんなに大した財産があったわけでもなかったので、揉めるという事はありませんでした。 実家の家と貯金が少々と言ったくらいだったので父が実家の家を相続し、わずかばかりの貯金を残った兄弟が分けたそうです。一応は間に石黒法務事務所の先生が入ってくれたので法的な書類作成、申請はスムーズにいき何事もなく相続問題は片付きました。一宮市の相続問題や会社内での法に関する事は大概の人たちは石黒法務事務所にお願いしています。それだけ一宮市民から信頼も厚いという事が言えるでしょう。 数日後、同級生の友人とたまたま名鉄の電車内であいました。そして例の相続問題の事を聞いたところ、明るい表情で「いい感じで進んでるよ、やっぱりプロに任すのが一番だね。素人が何人集まっても話は纏まらないよ――」といいながらほっとした表情を浮かべていました。そして一宮市にも石黒法務事務所のような法務事務所もあるんだなぁ、と話していました。とにかく友人の家の相続問題も解決の兆しが見えてきているようです。 しかし本当に相続問題と言うのはどこの家にも起るものなんだなぁ、と思いました。まぁだからこそ石黒法務事務所のような法のスペシャリストがいるのでしょうけどね。結構法治国家日本も住みやすそうで住みにくいところなんだなぁ、とも感じました。

2016年6月 9日 (木)

良い司法書士と悪い司法書士

今夜私は、今までにあった事のない父に会う事になっています。それはどういうことかと言うと、私を育ててくれた父はどうやら私の本当の父親ではなかったようなのです。本当の父との間に生まれた私の母が私を身籠って直ぐ、父と別れたそうです。行くあてもなく家を飛び出した母は一宮市の親戚を訪ねてきた際に、今現在の父と出会い、すぐに籍を入れて、そのまま私を生み、その父を本当の父親だと言い続けてきたのです。戸籍上にも母に離婚の経歴はあります。離婚してすぐに父と出会いそのまま父と暮らし、私を生んだことから戸籍上も父親の実子となっていたのです。

 

私はそのことをつい最近年老いた母からその話を聞かされたのです。その理由は本当の父親が母に連絡を取って来たそうです。もちろん本人が直接ではなく、代理人を通じてです。本当の父は母と別れた後、誰とも結婚することなく、つぶれかかっていた会社を一人で立て直し、なんと今では株式二部上場を果たす会社へと成長させていたのです。その父が85歳を過ぎて会社も引退し、そろそろお迎えがくるだろうと思った時に、別れた母と私の事が気になり、興信所に頼んで私たち親子を探していたのだそうです。

 

そしてやっとの思いで探し出し、財産の全てを私たち親子に相続させたいと言ってきたのです。実はその代理人と言うのが一宮市内にある石黒法務事務所でした。石黒法務事務所は一宮市の人なら知らない人がいないというほど有名な法務事務所で、親切丁寧で色々な相談ごとに乗りながら解決してくれると評判なのです。なかでも遺産相続に関しては得意中の得意としていて数々の相続問題を解決してきた相続問題のスペシャリストと言われているのです。

 

そんな事情で今日は名古屋駅に最近できたマリオットホテルでそのまだあった事のない父と会う事になったのです。もちろんあちらは石黒法務事務所の先生と一緒です。こちらは母と私の二人で会いに来ました。すべては母に任せてあります。私にはどうする事も出来ません。母が言うとおりにするつもりでいます。今はただ本当の父親という人がどんな人なのだろうという方が気になって仕方ありません。良い人だったらいいけどなぁ……、と思うのですがこればかりはあってみない事にはわかりません。

 

母にその父の事を聞いてみてもハッキリとした事を答えようとしません。私がもう少しひもじい思いに耐える事が出来たらこんなことにはならなかった。私があの人から逃げ出してしまったのよ。と話したくらいでした。いよいよこれから対面です。

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