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不器用な生き方をやめたい

無駄なプライドは捨てた方がいいんじゃない?

嫌われる勇気の感想をまとめる

時事書評・スポーツ

「嫌われる勇気」という本を読んだ。

私は当初、この本にはあまり関心がなかったが、読んだ人の評価が高かったので、読むことにしたのだ。読者のレビューには、衝撃的とか、価値観をゆさぶるとか、価値観がひっくり返る…というコメントがある。たしかに、それぐらいのインパクトがあるかもしれない。

※読む価値のある本だと思う。

今回は、「嫌われる勇気」を読んだ感想を書いてみたい。

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▼ 「嫌われる勇気」というタイトル

この本のタイトルは、「嫌われる勇気」というものだ。

実は私は、この本の存在を知っても、すぐに読もうとは思わなかった。

以前、(記事について)どのような基準で読む・読まないを決めているのか…ということで、

自分が他人のブログを読むとき、どのような基準で読む・読まないを決めているのだろうか…
※タイトルを見て、読む・読まないを決めている場合。
1)興味のあるトピックか
2)今の自分のニーズにヒットするか
3)新しい情報か
4)何らかの得になるのか
このぐらいだろうか。
出典:タイトルのつけ方|表題をどうする?

1)興味のあるトピックか、 2)今の自分のニーズにヒットするか、3)新しい情報か、4)何らかの得になるのか、という4つの基準を挙げた。ブログの記事について述べたことだが、本についても同じだ。※本のタイトルで、手に取る・取らない、を決める人は多いと思う。

「嫌われる勇気」というタイトルからは、自己啓発本である、ということと、「嫌われる勇気を持つこと」には、普通の人が気づきにくい~というメリットがあるので、嫌われる勇気を持てば、人生(人間関係)が良い方に変わる…という内容なのかな、と想像できる。

このことは、(私にとって)それなりに興味があるトピックではあるが、今の自分のニーズにヒットするとは言えないし、自分にとって新しい情報で何らかの得になるのか…と考えたときに、そうでもないのかな…と思ったので、 すぐに読もうとは思わなかったのだ。

※私にとっては、タイトルの訴求力は並だった…ということになる。

・タイトルに訴求力がある

だが、多くの人にとっては、訴求力のあるタイトルだったのだろう。

その理由のひとつは、多くの人が、「人に嫌われたくない」と思って生活している、ということだ。※意識せずとも、無意識でそう思っている…ということはあるだろう。

多くの人は、「人に嫌われたくない」と思って生活しているにもかかわらず、人に嫌われることがあるし、人間関係がすべて上手く行っている…ということではなく、何らかのストレスやフラストレーションがある。そこに届く(リーチする)タイトルだった、ということだろうか。

読者は、「人に嫌われたくない」と思って生きること自体が間違いである、という新しい切り口を提示してくれるのではないか…と期待して、本を手に取るのかもしれない。

※そんな人たちにとっては、上で述べた1)~4)にすべてヒットするのだろう。

ただし、このタイトルには、計算されたミスリードがあるように思う。

タイトルから、「嫌われる勇気を持つこと」には、普通の人が気づきにくいメリットがあるので、嫌われる勇気を持てば、人生(人間関係)が良い方に変わる…という内容なのかな、と想像できる、と書いたが、そのような想像と、実際の本の内容にはズレがあるのだ。

もちろん、このズレは意図的なものだろう。タイトルでより多くの読者を集める、という意図と、ちょっとしたズレを(いい意味で)サプライズにする、という意図があったのかもしれない。

※ズレはサプライズになることがある。

▼ 対話形式が読みやすい

「嫌われる勇気」は、青年と哲人(哲学者)の対話形式になっている。

青年は、悩みを抱えている読者とダブる。

哲人(哲学者)は、筆者の解釈によるアドラーだろう。

この対話形式には、以下の目的があると思う。

1)青年が哲人との対話を通じて、変わって行くストーリーを見せる、2)哲人の主張に対する反論を青年に行わせることにより、読者の共感を得つつ、哲人の主張の本質を読者により正しく理解してもらう…ということだろう。※青年≒読者という構図になっている。

個人的には、青年の詰め方がオーバーだったり、詰め切れていないな(二の矢三の矢がないな)…丁寧さに欠けるな…と感じることがあった。しかし、そのあたりは、筆者もわかっているはずだ。いろいろな制限やトレードオフがあって、そうなった、ということだろう。

以下、哲人の主張の内容に入る。

▼ 読者の気持ちを動かす仕掛け

「嫌われる勇気」では、世界も人生もシンプルなもの、だとしている。

また、人は変われる、誰もが幸福になれる、としている。

人はシンプルで美しいものに惹かれるものだ。

たとえば、ミニマリストと呼ばれる人たちは、シンプルで美しいビジュアルや生活スタイル(生活意識)、無駄のない合理性に惹かれているのだろうと思う。※誰しもそういう部分はある。

また、シンプルな方が実用的なのだ。

学生のときに、「ある現象を説明するモデルを作りなさい」という課題があった。シンプルなモデルと複雑なモデルの2種類作ったのだが、費用対効果の高かったのはシンプルなモデルだった。
複雑なモデルの方は、時間をかけて作ったにもかかわらず、期待したほどその現象を説明できなかったのだ。※シンプルなモデルと大差なかった。
このようなことはよくある。経験則から考えても、「シンプルに考えた方がいい」ということは、よくわかる話だ。※シンプルにした方が、理解しやすくなり、決断しやすくなる。
出典:堀江貴文さんの「ゼロ」を読んだ感想#3

このことは、「オッカムの剃刀」という法則からも説明できる。

話が長くなったが(笑)、つまりは、結論を「世界も人生もシンプルなもの」とすることで、読者を惹きつけることができるのだ。そして、人は変われる、誰もが幸福になれる、とすることで、「人は変われるけれど、実際には難しいよね」、「変われないことの方が多いよね」、「誰もが幸福になれるというのは、どこか胡散臭いよね…」という思いを引き出す。

人を惹きつけながら、「本当ですか?」、「必ずしもそうとは言えないでしょ」という疑問や反発も引き出しているのだ。このあたりの、読者の気持ちを動かす加減が上手だな…と思う。

※「人生はシンプルなもの」ということに疑問を持つ人もいるだろう。 「でも、シンプルだったらいいな…」という思いがどこかにあるので、読み進めようという気持ちになるのだ。

※「本当かな?」、「でもそうだったらいいな」という気持ちが読者を動かす。

・大胆なポジションをとっている

哲人は、明確なポジションをとっている。

ポジションをとることの大切さは、以前に述べたとおりだ。

「ポジションをとる」ことは、大事だと思う。
自分の意見を明確に述べる方が、おもしろくなるからだ。
「自分はこう考える」とポジションをとることにより、(他人から)「そのとおりだ」という共感を集めたり、「いや、違うだろ」という反論を受けたりすることができるのだ。言い換えれば、ポジションをとることにより、人の気持ちを動かすことができる、ということだ。
出典:ブログが炎上する原因

哲人は、先に述べたように、人は変われる、誰もが幸福になれる、としているが、ひとりの例外もなく、いまこの瞬間からそうなれる、としている。すごく大胆なポジションの取り方だと思う。

誰でもフカシで、強烈なポジションをとることはできるが、問題はそのポジションをサポートする十分な根拠があるかどうか、読者が納得する説明できるかどうか…だ。

その根拠や説明に対し、読者が「なるほどそうなのか…」と思えば、(ポジションが強烈なだけに)冒頭に述べたように、(読者が)衝撃的とか、価値観をゆさぶるとか、価値観がひっくり返る…という感想を持つに至る。そうでなければ、「何だよこれ…」で読書を終了だ(笑)。

この本については前者だ。

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▼ 自分でシンプルさを損ねている

哲人は、自分でシンプルさを損ねている、と主張する。

世界や人生が複雑に感じるのは、自分がそう考えるからだ…とするものだ。

※自分の主観による意味づけによるもの。

サングラス越しに世界を見れば、「暗い」ということになる。明るい世界を見ようとすれば、サングラスを外す必要があり、そのためには「勇気」が必要だ、としている。

学生のときに、「ある現象を説明するモデルを作りなさい」という課題があり、シンプルなモデルと複雑なモデルの2種類作った、と書いたが、そのときなぜ複雑なモデルを作ったかというと、シンプルすぎて、おもしろくない…と思ったからだ。誰にでも考えられるようなことで、これでは差別化できない…と思ったからだ。シンプルすぎて、答えにはならない…とも思った。

このことは、自分で問題を複雑にした、ということだろうか。たしかに、些末なことに目を向けると、物事が複雑に感じる。物事を知れば知るほど、複雑になるように感じるが、些末な枝葉を切り捨て、本質の部分にフォーカスするようにすれば、シンプルさを維持できるのかもしれない。

それが、「勇気」ということだろうか。

次回以降、もう少し内容についての感想を続けたい。