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  • みんみんぜみ @inuchochin 2016-06-27 20:46:25
    この知恵袋、「日本刀は重くて片手では触れない、二刀流は武蔵だからできた超人技」としてる。ほかの似たような質問も似たような答えがベストアンサーになっていて、二刀流は普通の人には無理、という認識はメジャー。 detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_de…
  • みんみんぜみ @inuchochin 2016-06-27 12:37:31
    宮本武蔵の三十五ヶ条を読もうとして、最初の第一条を見たら、Web上で良く見る二刀流や片手太刀への疑問とそれに対する回答がされてるんだな。昔もあったのか
  • ※三十五箇条についての参考↓

  • みんみんぜみ @inuchochin 2016-06-27 20:50:48
    宮本武蔵「尾張円明流」桜山家伝書の研究 ci.nii.ac.jp/naid/110008135… 尾張藩に伝わった三十五箇条を細川家等の三十五箇条と比較して解説してる。三十五箇条は「五輪書の前身だ」「いや五輪書より後に書かれた」と諸説あるけど武蔵流の伝書の一つとして有名。
  • みんみんぜみ @inuchochin 2016-06-27 12:39:58
    題して『宮本武蔵先生の二刀流Q&A』 Q:両手に一つづつ武器を持って使うなんて器用な事できるのでしょうか?両手で一つの太刀を持った方がよくありませんか? A:二刀流の練習において左手は特に意識して使う必要はありません。(続く
  • みんみんぜみ @inuchochin 2016-06-27 12:41:41
    続)私が二刀流としたのは片手で太刀を使う練習のためです。片手で太刀を使えれば、戦場や乗馬中、川沿いや沼地、石河原など足場が不自由な場所、屋内に立て篭もる場合やそれを襲撃する際、走り回る場合等に大変便利です。また他の武器や道具など、何か物を持っている時でも片手でなら太刀を使えます。
  • みんみんぜみ @inuchochin 2016-06-27 12:43:42
    Q:でも太刀は片手で使うには重くありませんか? A:片手で太刀を持てば最初は誰でも重く感じるものです。ですが練習すれば自由に使えるようになります。例えば弓を射るにしても初めは重くなかなかひけませんが、習えっているうちに強く引けるようになります。(続く
  • みんみんぜみ @inuchochin 2016-06-27 12:44:33
    続き)また馬に乗るにしても練習しなければ馬には乗れません。農民もたいへん重いスキや鍬を使って農作業をします。太刀も練習すれば必要な力が付いてくるものですので心配しないでください。 ただし、人により体格・筋力には差がありますから、自分にあった使いやすい太刀を購入してください。
  • みんみんぜみ @inuchochin 2016-06-27 12:46:21
    こんな感じ? 先のツイートのように武蔵は二刀流は片手で太刀を使えるようにするために稽古すると第一に書いています。これを解釈して野田派の主流派では特に明治以降「二天一流は二刀流ではなく片手剣法である」と言っています。ただし、(続く
  • みんみんぜみ @inuchochin 2016-06-27 12:47:24
    続く)ただし、この片手剣法というのは左手が空いているので、左手も使えるという事です。つまり左手に小太刀を持っていても片手剣法の一種という理解です。野田派19代目の大浦辰男はその著書で「西洋の剣と楯を持った剣術のようなものである」と二天一流の片手剣法を例えています。
  • 二天一流の一刀の形について

  • みんみんぜみ @inuchochin 2016-06-27 20:58:37
    「二天一流は方便として二刀流を称しているだけで実際は一刀などが多い」という言説を見かけますが、肥後藩校史料や師範家史料を見ると主流派の村上派は入門者は二刀太刀(有名な五方)の中段・上段より稽古を始め、順次下段・左脇・右脇と五本の形を伝え、一通り学んだ時点で(続く
  • みんみんぜみ @inuchochin 2016-06-27 21:01:21
    一通り二刀の形を学んだ時点で五輪書にある各種の術理をニ刀で稽古したようです。五輪書や三十五箇条の注釈書も伝わっていますが、それには五輪書にある術理を具体的にどのように二刀で使うかも書かれています。
  • みんみんぜみ @inuchochin 2016-06-27 21:03:38
    もちろん二天一流の打太刀(稽古での敵役、多くの流派で先輩や師匠がおこなう)は一刀ですから、稽古では一刀も使われますし、肥後の二天一流の伝承によれば宮本武蔵が使っていた一刀の技を元に三代目や四代目の頃に一刀の形が制定され、現在もその形が伝わっています。
  • みんみんぜみ @inuchochin 2016-06-27 21:05:23
    一刀の形ですが、村上派では二刀を修めた上級者のみに伝授されたようです。これに対して初期に村上派と別れた山東派では入門者はまず一刀の形より稽古をはじめ、一刀を修め終わった時点で二刀を学び始めたようです。このあたり派閥によって考えが違っていたようです。

コメント

  • Mook @HiroGome2 18時間前
    武蔵は父親がやってた十手術を剣術に活かすために二刀を始めたみたいな話を30年前の「剣道日本」の記事で読んだなあ。その十手も熊手みたいなので、相手の刀を絡めて隙を作って右の長刀で斬るというものだったとか。
  • 我乱堂 @SagamiNoriaki 17時間前
    HiroGome2 新免無二と武蔵の関係はよく解らなくて、実子説から養子説、ただ家を嗣いだだけで直接の面識はない説…もあるのですが、無二の流派である無二流は実手が表芸ではありましたが二刀はすでにあったそうです。二刀技法そのものは神道流や念流には古くからあって、無二と武蔵の二代でそれらを完成したというのが実際のようです。
  • gryphonjapan @gryphonjapan 8時間前
    いつも思うのだが「二刀流」のtogetterだけでこんなにあるのがすごい http://togetter.com/t/%E4%BA%8C%E5%88%80%E6%B5%81 /
  • 順三朗 @junzabroP 7時間前
    二刀流はそれ自体が目的なのではなくて片手でも刀を振るえるようにした後に考えられる剣術のバリエーションの一つにすぎないって考え方は面白いね
  • 我乱堂 @SagamiNoriaki 6時間前
    gryphonjapan すいません…私が毎日のように話題にしてて、せみさんがたまにつきあってくれて…みたいな展開が多いです…。
  • ハチマキくろだ@2日目東ヒ15b委託 @hatimaki_kuroda 4時間前
    まとめにあるように、片手で太刀扱えるなら西洋みたいにもう一方は楯でいい気もしますけど、十手や小太刀のが便利なんでしょうか?
  • みにゃぎり @AswatGost 3時間前
    自分は修羅の刻に出てきた武蔵や伊織の二刀流は常に二刀構えるものではないというイメージが理解しやすかったです。漫画の話ではありますが
  • たけ爺 @take_ji 3時間前
    hatimaki_kuroda 日本国内では、楯より小太刀・十手・脇差等の方が手に入りやすいからではないかと。 「楯を使えない 」というより「楯を入手する方法が少ない」
  • 権中納言明淳 @mtoaki 2時間前
    hatimaki_kuroda 西洋のマンゴーシュみたいな感じでは。
  • 我乱堂 @SagamiNoriaki 1時間前
    hatimaki_kuroda まあそもそもをいうと、兵法(剣術)は戦場で使う前提の技術ではないので、戦場で使用するものである盾とかは使わないんだと思います。
  • 我乱堂 @SagamiNoriaki 1時間前
    junzabroP まあ、この武蔵の言からしてただのポジショントークで、武蔵は二刀で戦ってたと思いますけど。
  • 我乱堂 @SagamiNoriaki 1時間前
    このまとめの補足として…兵法三十五箇条は武蔵が晩年、死の間際の細川忠利に渡すために書いてた文書と言われているもので、その内容は五輪書とかなり共通しています。世間的にはこれをベースに五輪書が書かれたものと考えられています。
  • 我乱堂 @SagamiNoriaki 1時間前
    ただし兵法三十五箇条は武蔵に仮託されたもので、武蔵の死後、熊本の二天一流の内部で作られたものであるとする研究者もいます。私はそっちを支持していますが、どの道、このまとめの「此の道二刀一流と名付ける事。」に関する内容は五輪書も兵法三十五箇条もほぼ一緒なので、それはどうでもいいことです。むしろ自分に合った刀を使え、ということが明言されている分、兵法三十五箇条の方がより親切といえます。
  • 我乱堂 @SagamiNoriaki 45分前
    あと、武道クラスタ的には自明で、だけど誤解されてそうなのでさらに書き添えると、武蔵は五輪書の方で、刀というのは片手で扱うものであるとしているのは、そもそもが日本刀は片手で扱われていたからで、室町時代の前半まではグラデーションはあれど、戦場にでないで普段の携帯では片手持ち拵えが多かったようです。別に無理に筋肉つけなきゃ使えないほどの重さでもなかったようです。