京都に住んでいた学生の頃、東京に行くときはいつも高速バスか青春18きっぷを使っていた。移動に時間はかかるけれど、新幹線を使うよりもそちらのほうが圧倒的に安いからだ。
それから十数年の時が流れて今は東京に住んでいる。東京から関西に行くことはときどきあるけれど、やっぱり今も高速バスを使うことが多い。
多分ちょっと頑張れば新幹線代も出せないことはない。だけど根が貧乏性なので「たかが移動に13000円も使うのはもったいない……」とつい考えてしまう。13000円って財布に入っていたら4日くらい無敵な気分でいられるような額じゃないか。
と言うかむしろ、お金がないから我慢してやむを得ず乗ってるというよりも、積極的に高速バスに乗りたいと思っているところがある。
自分の中ではそれは一種のバイトなのだ。
例えば新幹線を使うと13000円かかるけれど高速バスを使うと5000円で移動できるとする。金額の差は8000円だ。
所要時間は、新幹線だと2時間で移動できるけど、高速バスだと8時間くらいかかってしまう。
8時間ずっとバスの座席に座るのは結構だるいと言えばだるい。でも、それを「8時間ずっと座ってると8000円もらえるバイト」と考えてみるとどうだろうか。
時給に換算すると1000円だ。座っているだけで一時間に1000円がもらえる。しかもシートに座っていさえすればマンガを読んでいても眠っていてもいい。
そう考えるとちょっと割のいいバイトで、高速バスに乗れば乗るほど得をするような気がしてこないだろうか。まあ、時間に余裕がないとできないことではあるけれど。
そうした金銭的な面だけではなく、高速バスが持っている哀愁のようなものが好きだからというのもある。
太宰治の『人間失格』の中で、あらゆる名詞を悲劇に出てきそうな「悲劇名詞(トラ)」と喜劇に出てきそうな「喜劇名詞(コメ)」の二つに分ける遊びというのが出てくる。
例えば「汽車や汽船はトラ」「市電やバスはコメ」「煙草はトラ」「医者はコメ」といった具合だ。曰く、「喜劇に一個でも悲劇名詞をさしはさんでいる劇作家は、既にそれだけで落第、悲劇の場合もまた然り」らしい。
ここで太宰が想定しているバスは多分市バスのようなもので、そちらは確かにコメかもしれない。だけど、遠く離れた都市間を結ぶ高速バスはトラだと思う。そして新幹線はどう見てもコメだ。
高速バスには何かちょっと切ない感じがある。あの、電車と違って一旦乗り込むともう引き返せなくて有無を言わさずそのままどこか遠くに連れて行かれてしまう感じとか、深夜の高速道路を走り続けているときの宇宙の中をあてもなく漂流しているような感じとか。
バスターミナルという空間の持っているちょっと不安げな雰囲気も好きだ。
高速バスのバスターミナルには遥か遠くの都市へ向かうバスが絶え間なく発着し、行先案内の掲示板には東西南北のさまざまな都市の名前が表示されている。待合室では大きな荷物を抱えてバスを待つ人たちがうずくまって黙り込んでいる。そんな光景を見ると、昔バックパッカーの真似事をして外国をふらふら一人旅したときのことを思い出す。
日本ほど鉄道が整備されている国はあまりないから、海外の旅の主な移動手段はバスになることが多かった。荷物はトランクを引きずっているとバスに乗りこむときに大変なので全部バックパックに詰めて背中に背負う。
よく分からない言葉が飛び交う異国の埃っぽいバスターミナルで行先案内の現地語表記の隣に小さく書かれているアルファベットの地名だけを頼りに「本当にこのバスでいいのか」「このチケットちょっと安すぎなかったか」とか不安に思いながら大きな荷物を背負ったまま地べたに座ってバスを待っているときのあの感じ。ああいうのは楽しかったな、とバスターミナルに来るたびに記憶が蘇る。
一般的に、進路がレールに縛られない分、鉄道よりもバスのほうが多くの都市に接続できる。だから鉄道の駅よりもバスターミナルのほうが多くの都市の名前が並んでいる。それも良い。
鉄道ってやつは確かに便利なんだけど、レールの上しか走れないし時刻通りにきっちり来るし、そのへんが風情がないよなあと思う。ちょっとシステマチックすぎるのだ。
高速バスのバスターミナルの真ん中に立つと、「その気になればここからどこにでも行けるのだ」という万能感と、「一旦乗り込んでしまうともう簡単には戻ってこれないのだ」という不安感の二つを同時に持つことができて、そのなんとも言えない気分のミックスが、すごく旅っぽいと思う。
高速バスには夜行便と昼行便があるけれど、僕は昼行便がお気に入りなので、できるだけ昼行便に乗るようにしている。
夜に出発して朝に目的地に着く夜行便に乗れば、眠っているうちに着くし、宿代が一泊分浮くし、次の日朝から行動できるし得だ、という人もいる。
でもそれは体力のある人向けのプランだ。僕は体力がないのでそういうのはちょっとキツい。
夜行バスの座席ではうまく眠れないことも多いし、眠れたとしても不自然な体勢で眠るせいで疲れが溜まって、結局その次の日は半日くらいだるくてずっと寝て過ごしてしまう。どうせ半日が潰れてしまうのなら、昼行便を使ってバス移動の時間自体を楽しんだほうがいい。
高速バスに乗り込んで最初の一時間くらいはあまり落ち着かないかもしれない。各地のバス停で乗客を拾っていくたびに車内放送が流れたりするし、高速に入るまではしばらく下道を走るので信号などでの停車も多いからだ。この時間帯はとりあえず準備段階として、おにぎりを食べたりメールを打ったりして過ごそう。
出発して一、二時間くらい経つと、だんだん背中がシートに馴染んできて、心の中が静かな感じに整ってくる。ここからが一番の楽しみどころだ。
昼行便の良いところの一つ目は、景色が見えることだ。
一番の特等席はバス特有の巨大なフロントガラスから前を眺められる最前列の席だ。席を選べる場合は最前列を狙おう。
車を運転する人ならみんな、高速道路を走っているとだんだん意識がぼーっとしてくることを知っているだろう。景色は単調で道もまっすぐで信号もないため、運転的にあまりすることがないからだ。
高速道路を運転中は、前の景色を見ても中心にある風景の消失点から周辺に向かって放射状に白線やガードレールや騒音防止フェンスが流れていくのを眺め続けるだけで、音も静かで振動も少ない。まるでこちらを催眠術にかけようとしているかのような状況だと思う。
だからといって運転中にぼーっとすると超危険だ。なので、高速道路を運転するときはガムを噛んだり人と話したりして意識を覚醒させ続ける必要がある。助手席に座っている場合も、運転手に話しかけたり定期的にお菓子をあげたりするなど気を遣わないといけない。
それは事故らないためには仕方ないことなのだけど、だけどこれはせっかくの心地よくぼーっとできる状況を自ら捨てて覚醒しなければいけない、もったいないことだ、といつも思ってしまう。
バスの乗客として高速を走るときは、何も気を遣わず思う存分ぼーっとしていい。誰にも遠慮することなく高速道路の催眠性に存分に浸ることが許される。これはすごく贅沢なことだと思う。(後編に続く)
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