幼少期、私はおじいちゃんっ子であった。
私の母は仕事をしていたわけではなく、はじめての孫である私を溺愛したおじいちゃんに対して、ダチョウ倶楽部のように、どうぞどうぞと、私を差し出していたようである。
今、子供が産まれ、一緒にカタツムリを育てたり、公園に行って砂遊びをするというような『育メン』ブロガーとして名を馳せる私に言わせてもらうと、上記のような私の親の行動は『育児放棄』に他ならず、絶対にやったらあかん育児リストに載ってもおかしくない愚行なのである。
以来私は、母性と野菜が不足してお肌と心がガサガサになり、それはニベアソフトで解消できずに、ささくれ立ったまま思春期に突撃した私は、セックスピストルズ、クラッシュ、ラモーンズ、ダムド、パティスミスなどの初期パンクという、『やさしさ』でその寂しさを埋め合わせるしかなくなってしまったのである。
その結果、私はナチスドイツの鉤十字が描かれたテーシャツ、ピチピチのズボンにジョージコックスを履いて、「クソッタレ!」とゲームボーイや、ゲームギア、ミュータントタートルズのピザが発射される玩具、ピカチュウのぬいぐるみなどを壁に叩きつけて破壊するような腐れパンクスに成り下がってしまったのである。
ある日、そんな感じでヤンキーにもなれず、孤独に過ごしていた私に、母が一冊のアルバムを持ってきた。
表紙に『おいたち』と書かれたこのアルバムは、私の成長の記録であった。
母曰く、私はとても愛されていて、そのたくましく成長する様を随時、バカチョンカメラで撮影してここに残したと。
堕落した日々を過ごすのはよせ、あなたは望まれて生まれてきて、愛されてここにいる。
その記録をその目に焼きつけろと。
そう言って、母はアルバムをめくり始めた。
あなたは圧倒的に絵がテクかった、マジでそれは常人の比ではなく、幼稚園の発表会で後ろに張り出されたあなたの絵は、文字どおり爆発していたわ。
母はそれが誇らしかった、こんなスゲー息子を持てて、激烈にハッピー、そりゃちょっとおじいちゃんを頼った部分はあるけどね、あなたは紛れもなく、お母さんの子よ。才能がほとばしる母の子よ。アムウェイの歯ブラシを使いなさい。
そう言って母はあるページを私に見せた。
幼稚園の時の、母の絵よ。
凄まじい画力と筆圧によって描かれているわ。
もう母と言うより鳥ね。
クチバシがあるものね。
茶色をチョイスするなんてナイスセンスだわ、もうこれ茶色しか使ってないんじゃない?
そしてこれが父よ。
右ね、右どうしたの?燃えたの?
燃やし殺そうとしたのね、ナイスセンス。
少しだけ肌色があるわね、なぜかしら?
母よりも人間らしかったという事かしらね。
ヒゲや髪の毛もなかなか綿密に描けていてとてもアグレッシブないい作品。
他の追従を許さなかったわ。
最後にこれがおじいちゃんよ。
ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁあんと描けとるやんけえええぇぇぇぇっっっ!!
そう言って私は、そのアルバムをピートタウゼントのように地面に叩きつけ、粉砕。
母の作戦は失敗に終わり、私は暗黒の青春時代に突撃することとなっのである。
最後に、お子さんがおられる人は子供が描く絵を良く見てあげて下さい。
その色使い、構図、筆圧からはその子の現在の感情が読み取れます。
私の絵がそうであったように。