6月26日は、“世界格闘技の日”
何でなの?っていう方へ…👇
『1976年6月26日に、アントニオ猪木(プロレス)VSモハメッド・アリ(当時プロボクシング世界ヘビー級チャンピオン)による、“格闘技世界一決定戦”が行われたことから、アントニオ猪木、モハメド・アリの両氏が制定。現在の世界レベルの総合格闘技の礎となった日を想い、総合格闘技の魅力をより多くの人に知らせるのが目的である。制定の日付は格闘技史上、伝説となったその戦いの日にちなんでいる。そして2016年は、伝説の一戦から40年目となる。』
2016年5月16日 “日本記念日協会” 発表
“ドリームすぎる戦い“として、世界中の格闘技ファン…じゃない人々にまで関心を向けさせたという“世紀の対決”だったが為に、何と何とリングサイド席は30万円也!😱
当時我が家ではデイリースポーツを購読していたんですが、時には一面を使って、試合当日までの経過が逐一記事になっていたのを思い出します。
プロレスに関わるニュースが一般スポーツ紙で大々的に扱われるなんてそれまでまるで無かった事でした😉
試合は衛星生中継との兼ね合いにより、土曜日の“午後”から日本武道館にて行われ、私も朝からワクワクが止まらず、学校が終わって一目散に家に帰り、テレビに釘付けになったものです😄
しかも夜には再放送も行われ、この日世界中で“便乗開催”された様々な格闘技のイベントの中から、ロサンゼルスでのウィリアム・ルスカ(柔道)対ドン・ファーゴ(プロレス)戦と、ニューヨークでのアンドレ・ザ・ジャイアント(プロレス)対チャック・ウェップナー(プロボクシング)戦も抱き合わせ放送されるという超盛り上がりぶりでした👍
まさに“世界格闘技の日”と呼ぶにふさわしい一日だったのです✨
ここで裏話を…
実はアリは、猪木戦がプロレスラーとの最初の試合ではないんです。
現在確認出来るのは3試合。
You Tubeにもアップされてます。
但し、全てアトラクションというか、エキシビションマッチ。
なので、真剣勝負ではありません😓
アリはビッグマウスで有名でしたが、現役世界チャンプでありながら、こういったオファーを引き受けちゃう程、とことんサービス精神が旺盛な人物だったようですね😁
同様に猪木戦も、“アジア人との初のエキシビションマッチ”…程度に軽く考えていたのが、
「600万ドルもファイトマネーを支払うのに、何がエキシビションだ!(`_´)」
との、猪木側の真意を後に知る事となり、それならばと、試合ルールにしばりをかけてきたのです💧
まともな技が出せるはずもない不利な状況に陥った中、我らがアントニオ猪木は、
「勝ち負けよりも、やる事に意義がある。」
との精神で、アリ側の全ての条件を受け入れ、ガチの戦いに挑んだのでした!👏
裏話その2
アリは入場の際、すでにグローブをはめた状態でリングインしてきました。
これは一体何故?
しかもグローブのチェックも拒否したらしいのです…
試合後、猪木の左おでこには全く覚えのないコブが出来ていたそうで、やはり疑惑の通り、アリのグローブには石膏か何かが注入されていたのでしょうか??
裏話その3…
当時、アリと一緒に来日した取り巻き連中(通称アリ・アーミー)の悪行がマスコミ報道された事がありました。例えば、銭湯の女湯に乱入し、女性にワイセツ行為を働いた末に逃亡等…
真偽のほどは定かではありませんが、今以上に当時のアジア人が欧米人にナメられていた事は確かです。
裏話その4…
この試合から3年後の1979年6月10日に、黒いヒトラーと呼ばれたウガンダの独裁者、“アミン大統領”と猪木の異種格闘技戦が行われるとの記者会見が年頭にありました😱😱😱
大統領の失脚の為、結局は幻の対決に終わりましたが、実現していれば、この試合のレフェリーはモハメッド・アリが務める事になっていたのです😲
という事で、後にも先にも“あの戦い”以上にワクワクした格闘技の試合など他にない!
リアルタイムで体験する事の出来た我々は本当に幸せ者だったと思います😂
そして6月3日…
残念ながら、モハメッド・アリ氏は天国へと旅立たれてしまった…
もし元気なままだったら、この記念日に合わせて再来日し、猪木氏との思い出話に花を咲かせていたかも知れません。
40年は長すぎました😰
謹んでアリ氏のご冥福をお祈り致します。