小学生全員がなぜプログラミングを学ばねばならないのか。

 その議論がまだ十分に熟しているとは言いがたい。

 プログラミングとは、コンピューターに動きを指示するプログラムを作ることだ。

 その教育の小学校での必修化について、文部科学省の有識者会議が議論をまとめた。

 プログラミング教育は、特別な技術を教えるのが目的ではなく、コンピューターを考えた通りに動かす体験を通じて、必要な手順を論理的に考える力を育むことだと定義づけた。

 論理的な思考力を養うことは大切だ。そのために、プログラミングによる学習を選ぶ子どもがいてもいい。しかし、果たしてそれが小学生全員に必要なのかは疑問である。

 小学校の時間割は既に満杯状態だ。2020年度からの新しい学習指導要領は、5、6年で英語を正式な教科として学ぶ。その英語も十分時間がとれず、各校の判断で10~15分程度の細切れの時間などを使う方針だ。

 プログラミング教育については新しい教科はつくらず、「総合的な学習の時間」や教科の中で行う、と有識者会議はいう。

 例えば総合学習でプログラミングを体験しながら暮らしとの関係を考える、算数で図の作成に使うなどの例を挙げている。

 どの学年やどの教科で教えるかは学校が決めるというが、文科省や自治体がよほど支援しなければ、難しいだろう。

 そもそも小学校の教員のほとんどは、プログラミングを学んだことがない。

 文科省は授業の事例集を教員向けにつくるというが、どの授業のどんな場面で教えるかを判断する力が要る。研修と、それをうけるだけの時間的余裕が確保されなければならない。

 実施の前提となる機器や教材、ネットワーク環境の整備状況も、学校や自治体間の差がかなり大きい。豊かではない自治体への後押しが欠かせない。

 必修化は安倍政権の成長戦略に盛り込まれた政策でもある。

 有識者会議は中央教育審議会で進んでいる新しい指導要領の議論に間に合わせようと、わずか3回で議論をまとめた。拙速といわざるを得ない。

 学校は既に環境教育、食育、金融教育など「○○教育」でいっぱいになっている。社会で必要だからといってあれもこれも指導要領に詰め込めば、教員だけでなく子どもがパンクする。

 無理が現場にしわ寄せされる結果を招いてはならない。中教審は指導要領の全体の中に位置づけて検討してもらいたい。