長崎原爆資料館を米国の学生たちが研修旅行で訪れ、被爆者の体験を聴いた。国際教育交流プログラムの企画・運営を手がける福岡県の企業が主催し、2000年ごろから続く取り組み。学生たちは、真剣な表情で耳を傾けた。

 「たくさんの死体が浦上川を流れていきました」。前田稔さん(81)は今月6日、自身と妻の被爆体験を30人ほどの学生たちを前に英語で語った。自身は爆心地から約4キロの長崎市東立神町で被爆した。

 「やけどをした人たちが水を求めて死体の上を歩きました。墓が建てられず、死体は火葬することになりましたが、ひどくいやなにおいがしました」