話題の書。とりあえずの全体の感想としては、著者の熱い思い入れが伝わってくる本ですけど、その「思い入れ」が「思い込み」に転化してしまっている部分もあるな、というものです。
ただ、著者が切り込んでいかなければ、「日本会議」という組織についてきちんと検討しようとする機運も高まらなかったわけで、そうした意味で貴重な仕事と言えるでしょう。
Amazonのページにある本書の紹介文は以下の通り。
2014年の衆議院選挙後に成立した第三次安倍内閣は、閣僚19人のうち16人が「日本会議国会議員懇談会」に所属していました。もっとも、「神道議連」は19人中18人(公明党の太田昭宏国交大臣以外全員)、「靖国議連」は19人中16人なので、日本会議だけが突出しているわけではないのですが、神道議連や靖国議連と違ってどんな団体なのかがよくわからないのが日本会議の特徴といえるでしょう。
まず、この本を読むと日本会議と宗教団体の関係が見えてきます。
この本の31pに載っている日本会議の役員の表を見ると、神社本庁から靖国神社、明治神宮、比叡山延暦寺、黒住教、霊友会、崇教真光など、さまざまな宗教団体の関係者が名を連ねています。
また、この本の第4章では、日本会議が主導する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が主催した2015年の11月10日の「今こそ憲法改正を! 武道館一万人大会」の模様がレポートされていますが、そこでは「崇教真光から3000人」など、宗教団体を通じての動員が行われていました(123ー128p)。
宗教団体という確実に票や動員を計算できる団体とのつながりが日本会議の強みの一つなのです。さらに政治家とすると、根強い批判のある新興宗教に直接支援を受けるよりも、日本会議というワンクッションが入ったほうが付き合いやすいという面もあるのかもしれません。
このさまざまな宗教団体を通じて動員を図るという日本会議の手法が確立したのが、1977年に始まった「元号法制化運動」でした。
日本会議の前身は「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」であり(39p)、特に「日本を守る会」は「元号法制化運動」の中心となって元号法制化を成功させました。
このときに使われたのが、地方会議での意見書採択運動や各地でのデモ、シンポジウムの開催といった手法であり、この手法が現在の日本会議の運動にも生かされています。
では、この日本会議や前身の「日本を守る会」をつくったのはどのような人々なのか? 著者はそれを「生長の家」の関係者だとします。
「生長の家」は、1930年に谷口雅春によって設立された宗教団体で、現在はエコロジー路線をとり政治とは距離をおいているものの、かつては反共意識に基づく右派的な教義を説く団体でもありました(42p)。
「生長の家」は、学生運動がさかんだった60年代後半に「生長の家学生会全国総連合」(生学連)を結成。左翼的な学生組織に対抗しようとしました。
そんな「生長の家」が主導した学生運動の輝かしい成果が、左翼学生が選挙し授業が中断していた長崎大学の「正常化」でした(44p)。
この運動の中心となったのが椛島有三であり、彼こそが現在の日本会議の事務総長になります。
この「生長の家」の関係者には、一時期「参院の法王」とよばれた村上正邦、安倍首相のブレーンの一人とも言われる日本政策研究センター所長の伊藤哲夫、平和安全法制において合憲の立場をとった憲法学者の百地章、「親学」を提唱する高橋史朗、安倍首相の補佐官を務める参議院議員の衛藤晟一などがいるされています。
村上正邦は別としても、残りの人物はいずれも安倍首相と近い距離にあり、安倍首相の靖国神社参拝に米国政府が「失望」を表明したことに対し「我々の方が失望した」と発言した衛藤晟一を見ればわかるように、「復古的」とも言える価値観を主張する人々でもあります。
著者はこうした一群の人々の存在を指摘した上で、さらにこれらの一群の人々を束ねるキーパーソンとして安東巖という人物の名前をあげています。
安東巖は、椛島有三とともに長崎大学の「正常化」を成し遂げ、その後、「生長の家学生会全国総連合」(生学連)の書記長となりました。この生学連の委員長にはのちに一水会を結成し有名となる鈴木邦男が就任しましたが、安東の謀略によって失脚したそうです(278-283p)。
この本は、この安東のカリスマ性についていくつかエピソードを紹介し、安東こそが中心人物であると結論づけています。
ただ、安東巖がいくらカリスマ性に満ちた人物であったとしても、それが現在の日本会議に大きな影響を与えているとは結論付けられないのではないかと思います。
例えば、この本には「いまだに、樺島さん伊藤さん百地さん高橋さんは、毎月、安東巖さんの家でミーティングしているはずです。少なくとも、元号が平成に変わる頃までは、毎月、安東さんの家に集まっていた」という関係者の証言を載せています(292p)。しかし、「元号が平成に変わる頃」とは四半世紀も前のことであり、現在の日本会議との関係をこの証言で裏付けるのは厳しいと思います。
この本に書かれている安東巖の影響力というのは、あくまでも可能性の話でしかないと思います。
また、2015年の12月に最高裁が「女性の再婚禁止期間」については違憲判決を、「夫婦同姓義務」については合憲判決を出しましたが、著者はその裏に「夫婦別姓阻止」を掲げる日本会議の存在を見ています。
「最高裁の判断にまで、日本会議の影響を考えるのはいささか陰謀論めいてはいる」(93p)と断ってはいますが、やはりこの部分は陰謀論でしょう。最高裁の判断はある程度予想通りのものだったはずです。
このように著者の「思い込み」が目立ってしまっている部分もあるのですが、日本会議が陳情や署名活動、デモなどの民主的な手法を地道に積み重ねながら影響力を増してきたという指摘は重要なものだと思います。政治には組織力や持続力が必要であり、日本会議に対抗すべきリベラル勢力にはそれが欠けていたと考えられるからです。
政治に興味がある人は目を通しておいたほうがよい本だと思います。
日本会議の研究 (扶桑社新書)
菅野 完

ただ、著者が切り込んでいかなければ、「日本会議」という組織についてきちんと検討しようとする機運も高まらなかったわけで、そうした意味で貴重な仕事と言えるでしょう。
Amazonのページにある本書の紹介文は以下の通り。
「右傾化」の淵源はどこなのか?
「日本会議」とは何なのか?
市民運動が嘲笑の対象にさえなった80年代以降の日本で、めげずに、愚直に、地道に、
そして極めて民主的な、市民運動の王道を歩んできた「一群の人々」がいた。
彼らは地道な運動を通し、「日本会議」をフロント団体として政権に影響を与えるまでに至った。
そして今、彼らの運動が結実し、日本の民主主義は殺されんとしている。――
安倍政権を支える「日本会議」の真の姿とは? 中核にはどのような思想があるのか?
膨大な資料と関係者への取材により明らかになる「日本の保守圧力団体」の真の姿。
2014年の衆議院選挙後に成立した第三次安倍内閣は、閣僚19人のうち16人が「日本会議国会議員懇談会」に所属していました。もっとも、「神道議連」は19人中18人(公明党の太田昭宏国交大臣以外全員)、「靖国議連」は19人中16人なので、日本会議だけが突出しているわけではないのですが、神道議連や靖国議連と違ってどんな団体なのかがよくわからないのが日本会議の特徴といえるでしょう。
まず、この本を読むと日本会議と宗教団体の関係が見えてきます。
この本の31pに載っている日本会議の役員の表を見ると、神社本庁から靖国神社、明治神宮、比叡山延暦寺、黒住教、霊友会、崇教真光など、さまざまな宗教団体の関係者が名を連ねています。
また、この本の第4章では、日本会議が主導する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が主催した2015年の11月10日の「今こそ憲法改正を! 武道館一万人大会」の模様がレポートされていますが、そこでは「崇教真光から3000人」など、宗教団体を通じての動員が行われていました(123ー128p)。
宗教団体という確実に票や動員を計算できる団体とのつながりが日本会議の強みの一つなのです。さらに政治家とすると、根強い批判のある新興宗教に直接支援を受けるよりも、日本会議というワンクッションが入ったほうが付き合いやすいという面もあるのかもしれません。
このさまざまな宗教団体を通じて動員を図るという日本会議の手法が確立したのが、1977年に始まった「元号法制化運動」でした。
日本会議の前身は「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」であり(39p)、特に「日本を守る会」は「元号法制化運動」の中心となって元号法制化を成功させました。
このときに使われたのが、地方会議での意見書採択運動や各地でのデモ、シンポジウムの開催といった手法であり、この手法が現在の日本会議の運動にも生かされています。
では、この日本会議や前身の「日本を守る会」をつくったのはどのような人々なのか? 著者はそれを「生長の家」の関係者だとします。
「生長の家」は、1930年に谷口雅春によって設立された宗教団体で、現在はエコロジー路線をとり政治とは距離をおいているものの、かつては反共意識に基づく右派的な教義を説く団体でもありました(42p)。
「生長の家」は、学生運動がさかんだった60年代後半に「生長の家学生会全国総連合」(生学連)を結成。左翼的な学生組織に対抗しようとしました。
そんな「生長の家」が主導した学生運動の輝かしい成果が、左翼学生が選挙し授業が中断していた長崎大学の「正常化」でした(44p)。
この運動の中心となったのが椛島有三であり、彼こそが現在の日本会議の事務総長になります。
この「生長の家」の関係者には、一時期「参院の法王」とよばれた村上正邦、安倍首相のブレーンの一人とも言われる日本政策研究センター所長の伊藤哲夫、平和安全法制において合憲の立場をとった憲法学者の百地章、「親学」を提唱する高橋史朗、安倍首相の補佐官を務める参議院議員の衛藤晟一などがいるされています。
村上正邦は別としても、残りの人物はいずれも安倍首相と近い距離にあり、安倍首相の靖国神社参拝に米国政府が「失望」を表明したことに対し「我々の方が失望した」と発言した衛藤晟一を見ればわかるように、「復古的」とも言える価値観を主張する人々でもあります。
著者はこうした一群の人々の存在を指摘した上で、さらにこれらの一群の人々を束ねるキーパーソンとして安東巖という人物の名前をあげています。
安東巖は、椛島有三とともに長崎大学の「正常化」を成し遂げ、その後、「生長の家学生会全国総連合」(生学連)の書記長となりました。この生学連の委員長にはのちに一水会を結成し有名となる鈴木邦男が就任しましたが、安東の謀略によって失脚したそうです(278-283p)。
この本は、この安東のカリスマ性についていくつかエピソードを紹介し、安東こそが中心人物であると結論づけています。
ただ、安東巖がいくらカリスマ性に満ちた人物であったとしても、それが現在の日本会議に大きな影響を与えているとは結論付けられないのではないかと思います。
例えば、この本には「いまだに、樺島さん伊藤さん百地さん高橋さんは、毎月、安東巖さんの家でミーティングしているはずです。少なくとも、元号が平成に変わる頃までは、毎月、安東さんの家に集まっていた」という関係者の証言を載せています(292p)。しかし、「元号が平成に変わる頃」とは四半世紀も前のことであり、現在の日本会議との関係をこの証言で裏付けるのは厳しいと思います。
この本に書かれている安東巖の影響力というのは、あくまでも可能性の話でしかないと思います。
また、2015年の12月に最高裁が「女性の再婚禁止期間」については違憲判決を、「夫婦同姓義務」については合憲判決を出しましたが、著者はその裏に「夫婦別姓阻止」を掲げる日本会議の存在を見ています。
「最高裁の判断にまで、日本会議の影響を考えるのはいささか陰謀論めいてはいる」(93p)と断ってはいますが、やはりこの部分は陰謀論でしょう。最高裁の判断はある程度予想通りのものだったはずです。
このように著者の「思い込み」が目立ってしまっている部分もあるのですが、日本会議が陳情や署名活動、デモなどの民主的な手法を地道に積み重ねながら影響力を増してきたという指摘は重要なものだと思います。政治には組織力や持続力が必要であり、日本会議に対抗すべきリベラル勢力にはそれが欠けていたと考えられるからです。
政治に興味がある人は目を通しておいたほうがよい本だと思います。
日本会議の研究 (扶桑社新書)
菅野 完