昨日、父が亡くなりました
そのタイミングもすべパーです
実は、昨日
前々から計画していた
九州への旅に出かける予定でした
その前に
彼と会う約束をしていたのです
ある、重要なことを確認するために
実は私、生理がもう6日遅れていました
私は、割と正確に
28日周期で生理が来る方だったので
2日ほど早くなることはあっても
6日も遅れることは無かったんです
年齢的なことでも
そろそろそういうお年頃なこともあり
どっちなのか、わからなくて
とりあえず
彼には事実をそのまま
伝えたのが19日の8ヶ月記念日でした
どういう反応か
気にならなかったわけではありません
ですが
私は心から彼を信用していたので
心配はしていませんでした
そのことを話した時
彼は
びっくりはしてたけど
すごく嬉しそうに喜んでくれて
もしそうだったら
産んでほしいと思ってる
って、言ってくれました
年齢的なこともあるけど
私も、もしそうだったとしたら
自然の流れに任せたい
と思っていました
私たちは
けっこう頻繁に行為には及んでいましたが
そこは分別のある大人だし
私は体感で排卵日がわかる方なので
妊娠を避けるようには注意を払っていました
それにもかかわらず
もし妊娠していたのだとしたら
よほど私たちのところに
来たかった子だよね!
だったら、もしそうだったとしたら
大切にしてあげよう
彼とは、この数日
そういう話をしていました
そして、昨日
私は夕方から九州へ旅立つことにしていたので
その前に妊娠検査薬で
確認することにしました
そのことを彼に伝えると
その時にいっしょにいたい
って言ってくれて
ホテルで一緒に確認することにしました
検査薬の結果・・・
陰性でした
でもまだ
生理も来ていなかったし
検査は生理が遅れて
1週間後からが本来は有効だったので
時期が早い可能性もあるのかも・・・
まだわかんないね~
なんて話して
彼と別れ、九州に向けて出発するために
いったん家に帰っている途中でした
父が亡くなった
と連絡をもらったのは。
父はもう、行きたがっていた
それはもう、随分前から
そう思っていました
だけど、きっと父は
母のために生きているのだなって
ここ最近は思っていました
心臓が悪くなってからは
もう10年ほどになります
数回、カテーテルを入れるオペをしていました
8年前にはバイパス手術をしていました
遺伝性の糖尿病を若いことから患っていた父は
血管ももろかったのです
その後でしょうか?
薬の副作用で
全身に湿疹が出て
緊急入院することになりました
そして
高熱をだし、生死をさまようような
事態に陥ったのです
もう駄目かもしれない
そんな電話を母からもらったのは
当時やっていたパン教室の
その年最後の講座の最中でした
高熱にうなされ
いったんは本当に危険な
今夜が山田
な状態を乗り越え
帰ってきた父は
一瞬、全くの別人になったようでした
常にいかり、怒鳴り散らし、にこりともしない人でした
私は子供のころ
父の影に怯え
いなくなればいいのに
って、いつも思っていました
私の息が浅くなってしまったのも
父に怯えながら生きてきたからでした
そんな父でしたが
生死をさまよい
帰ってきたその日1日は
今までそんな父を見たことないってくらい
満面の笑顔でずっと笑っているんです
何言っても
仏さまのようにニコニコと
声をあげて笑っているんです
今考えたら
もうその時は
父の人生でやりたかったことをやり終え
母の人生に影響を及ぼすためだけに
その後の人生を母にささげるために
帰ってきたのではないかな
って思えます
その奇跡の生還の
仏のようなニコニコした父を見たのを最後に
父は認知症になったのです
いきなり
急にです
まだ、65歳前半の話しです
まだ若かった
今みたいに、介護の法律も
整備されていない時代
若くして、認知症になってしまった父を
ずっと寄り添い支えてきた母の人生
8年はとても長かったと思います
いろんな意味で
たくさんの人の人生に
影響を与えてきた人でした
私も
あんなにおびえて生きてきた父が
亡くなったことで
私の中で一つの時代が
終わった気がしました
昼ごはんもしっかり残さず食べ
姉とも昼にはいつも通り
言葉を交わしていたようです
誰もが
こんな急に、行ってしまうとは
思ってもいないタイミングでしたが
でも不思議なことに
私も前日にヘアサロンへ行き
髪をきれいに整えていました
実は母と祖母も同じタイミングで
美容院できれいに整えたばかり
そして父も
つい最近、床屋さんにきてもらい
髪をきれいに整えたばかりだったようです
そして今まさに
九州に向けて旅立とうと
している直前のタイミング
すべてがすべパーでした
そして
父の枕元にいるうちに
いつのまにか
私の生理が始まっていました
8年間
本当に私たちの人生に影響を与えるためだけに
父が生きていたのだとしたら
最後の最後にも
ちょっとしたおちゃめなサプライズを
私に授けてくれたのかも?って思えました
もし妊娠していたら・・・
って、彼と確認できたのは
すっごく幸せな時間でしたもの
この後
お通夜と告別式
最後のお別れ
感謝を十分にして来ようと思います
そして満月の日を選んだもの
すべぱーだなって(^^)
満月のピークは
22日の午前6時14分だからw


A Spoonful of Sugar ~一杯のお砂糖をあなたに~
すぷでした(*´∇`*)
いつも応援いただきまして
ありがとうございます(^^)
皆さまのおかげで↓高ランキングin 出来ています(*_ _)人ありがとう



そのタイミングもすべパーです
実は、昨日
前々から計画していた
九州への旅に出かける予定でした
その前に
彼と会う約束をしていたのです
ある、重要なことを確認するために
実は私、生理がもう6日遅れていました
私は、割と正確に
28日周期で生理が来る方だったので
2日ほど早くなることはあっても
6日も遅れることは無かったんです
年齢的なことでも
そろそろそういうお年頃なこともあり
どっちなのか、わからなくて
とりあえず
彼には事実をそのまま
伝えたのが19日の8ヶ月記念日でした
どういう反応か
気にならなかったわけではありません
ですが
私は心から彼を信用していたので
心配はしていませんでした
そのことを話した時
彼は
びっくりはしてたけど
すごく嬉しそうに喜んでくれて
もしそうだったら
産んでほしいと思ってる
って、言ってくれました
年齢的なこともあるけど
私も、もしそうだったとしたら
自然の流れに任せたい
と思っていました
私たちは
けっこう頻繁に行為には及んでいましたが
そこは分別のある大人だし
私は体感で排卵日がわかる方なので
妊娠を避けるようには注意を払っていました
それにもかかわらず
もし妊娠していたのだとしたら
よほど私たちのところに
来たかった子だよね!
だったら、もしそうだったとしたら
大切にしてあげよう
彼とは、この数日
そういう話をしていました
そして、昨日
私は夕方から九州へ旅立つことにしていたので
その前に妊娠検査薬で
確認することにしました
そのことを彼に伝えると
その時にいっしょにいたい
って言ってくれて
ホテルで一緒に確認することにしました
検査薬の結果・・・
陰性でした
でもまだ
生理も来ていなかったし
検査は生理が遅れて
1週間後からが本来は有効だったので
時期が早い可能性もあるのかも・・・
まだわかんないね~
なんて話して
彼と別れ、九州に向けて出発するために
いったん家に帰っている途中でした
父が亡くなった
と連絡をもらったのは。
父はもう、行きたがっていた
それはもう、随分前から
そう思っていました
だけど、きっと父は
母のために生きているのだなって
ここ最近は思っていました
心臓が悪くなってからは
もう10年ほどになります
数回、カテーテルを入れるオペをしていました
8年前にはバイパス手術をしていました
遺伝性の糖尿病を若いことから患っていた父は
血管ももろかったのです
その後でしょうか?
薬の副作用で
全身に湿疹が出て
緊急入院することになりました
そして
高熱をだし、生死をさまようような
事態に陥ったのです
もう駄目かもしれない
そんな電話を母からもらったのは
当時やっていたパン教室の
その年最後の講座の最中でした
高熱にうなされ
いったんは本当に危険な
今夜が山田
な状態を乗り越え
帰ってきた父は
一瞬、全くの別人になったようでした
常にいかり、怒鳴り散らし、にこりともしない人でした
私は子供のころ
父の影に怯え
いなくなればいいのに
って、いつも思っていました
私の息が浅くなってしまったのも
父に怯えながら生きてきたからでした
そんな父でしたが
生死をさまよい
帰ってきたその日1日は
今までそんな父を見たことないってくらい
満面の笑顔でずっと笑っているんです
何言っても
仏さまのようにニコニコと
声をあげて笑っているんです
今考えたら
もうその時は
父の人生でやりたかったことをやり終え
母の人生に影響を及ぼすためだけに
その後の人生を母にささげるために
帰ってきたのではないかな
って思えます
その奇跡の生還の
仏のようなニコニコした父を見たのを最後に
父は認知症になったのです
いきなり
急にです
まだ、65歳前半の話しです
まだ若かった
今みたいに、介護の法律も
整備されていない時代
若くして、認知症になってしまった父を
ずっと寄り添い支えてきた母の人生
8年はとても長かったと思います
いろんな意味で
たくさんの人の人生に
影響を与えてきた人でした
私も
あんなにおびえて生きてきた父が
亡くなったことで
私の中で一つの時代が
終わった気がしました
昼ごはんもしっかり残さず食べ
姉とも昼にはいつも通り
言葉を交わしていたようです
誰もが
こんな急に、行ってしまうとは
思ってもいないタイミングでしたが
でも不思議なことに
私も前日にヘアサロンへ行き
髪をきれいに整えていました
実は母と祖母も同じタイミングで
美容院できれいに整えたばかり
そして父も
つい最近、床屋さんにきてもらい
髪をきれいに整えたばかりだったようです
そして今まさに
九州に向けて旅立とうと
している直前のタイミング
すべてがすべパーでした
そして
父の枕元にいるうちに
いつのまにか
私の生理が始まっていました
8年間
本当に私たちの人生に影響を与えるためだけに
父が生きていたのだとしたら
最後の最後にも
ちょっとしたおちゃめなサプライズを
私に授けてくれたのかも?って思えました
もし妊娠していたら・・・
って、彼と確認できたのは
すっごく幸せな時間でしたもの
この後
お通夜と告別式
最後のお別れ
感謝を十分にして来ようと思います
そして満月の日を選んだもの
すべぱーだなって(^^)
満月のピークは
22日の午前6時14分だからw
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まだ気付いてないの?あなたは凄いんです♪
そんなお話しから、1人パートナーシップがこの世のすべてって話し
まだまだしあわせになるのに躊躇してる方に
一杯のお砂糖を(*ゝω・)ノ♥♥♥ ・゚:*:゚
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