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第八十三話「王女と騎士と術師」
シルフィの生活は激変した。
ただの村娘から、王族の護衛という生活へ。
まず、服装が一新された。
死んだ守護術師の使っていたマントと靴、手袋。
通常の数倍の速度で走れるようになる『疾風の靴』。
熱を通さず、使用者を一定の温度に保つ『煩熱のマント』。
掌に受ける衝撃を半減させる『圧倒の手袋』。
全て魔力付与品である。
そしてシルフィのために新たに誂えられた下着。
『鋼糸蚕のビスチェ』。
これは防刃繊維によって作られており、剣神流の剣を受け止める事はできないが、投げナイフ程度なら傷もつかないという代物である。
さらに、特定の人物に危機が迫った時に色を変える事で知らせ、その人物の方向を示す魔道具。
『救難』のサングラス。
顔を隠すと同時に、王女の危機を瞬時に察知することができる。
これらの装備は逸品揃いである。
冒険者が見れば、喉から手が出るほど欲しがるだろう。
さらに杖も持たせようという意見もあったが、シルフィはこれを拒否した。
現在自分が使用している初心者用の杖は、ルーデウスにもらったものだ。
唯一の自分の財産であった。
ゆえに、これは手放したくなかった。
初心者用の杖でターミネートボアを一撃で倒した魔術師の言う言葉だ。
誰も無理強いはしなかった。
食生活も大きく変わった。
ブエナ村においては、黒パンと野菜のスープが主食であった。
そこに父の取ってくるウサギや鳥がメインディッシュとして追加される。
シルフィの知る食事とは、そうしたものだ。
シルフィの家は貧しいとはいえ、ブエナ村はアスラ王国の一部であり、飢えとは無縁であった。
それが、アスラ王国の宮廷の食事に変わった。
真っ白くて柔らかいパンに、深いコクのある具沢山のスープ。
香辛料をふんだんに使い、長時間掛けて調理した肉と魚。
それに生野菜のサラダや、デザートまでついてくる。
シルフィにとって贅沢すぎる食べ物だった。
もっとも、そんな贅沢な料理であっても、あくまで護衛の食べるものであり、上級貴族の食べているものから見れば数段下がる。
同じ護衛であるルークのそれよりも低い。
だが、ブエナ村での食事とは天と地ほどの差があった。
シルフィにとっては、夢のような生活であった。
唯一不満があるとすれば、自由時間が少ないことぐらいか。
それでも、体を鍛えたり、魔術の練習をする時間はとれたが。
無論、ブエナ村やルーデウスの事は心配だった。
情報は集められているものの、領主となったジェイムス・ボレアス・グレイラットが保身に走り、捜索がほとんど進んでいないのだ。
ダリウス大臣が動き、かつて領主だったサウロスの執事であるアルフォンスという人物を手助けして難民キャンプを作ったようだが、先行きは暗かった。
シルフィは自分の足でも探しに行きたいと主張したが、却下された。
お前は護衛の仕事を全うしながら、待っていればいいのだ、と。
シルフィは言われるがまま、護衛の仕事をした。
最初の頃は、失敗続きだった。
特に、人前に出る時は。
いくら礼儀作法が出来た所で、全てを完璧にこなせるわけではないのだ。
テーブルマナーで失敗し、廊下で挨拶する時に失敗し、式典の場でも失敗した。
失敗は第二王女に敵対する貴族たちの嘲笑の的となった。
「天才少年といえど、作法まで完璧にこなせるわけではないのだな」
むき出しではないにしても、聞けばわかる悪意。
シルフィはイジメられていた頃を思い出した。
足がすくみそうになった。
だが、蹲りはしなかった。
言われているのが自分への悪口ではなかったからだ。
ルーデウスへの悪口だったからだ。
シルフィにとって、それは我慢できないものであった。
ルーデウスなら、ルーデウスならこんな状況でも、きっとうまくやるだろう。
自分はそのルーデウスと並び立てるようにならなきゃいけない。
そう考えると、シルフィの胸の内に熱いものが湧き出てきた。
以後、同じミスを二度としないように、細心の注意を払って動いた。
一度わからなかった事は、すぐに聞いて、反復練習をした。
言葉遣いも一人称を『ボク』と改め、ルーデウスの真似をして、男っぽく振る舞うようになった。
その行動を好意的に受け止めたのはルークであった。
彼は自他共に認める女好きである。
女を落とすためにはよく観察し、その嗜好を分析する、それが彼のモットーである。
よく観察するがゆえ、人の持つ良い部分を見つける事ができる。
それが彼の特技だ。
もっとも、女に限定した話であるが。
ルークはシルフィの必死さを見ぬいた。
貴族の女にはない、ひたむきさを見ぬいた。
ある一点をひたすらに見続け、目指し続ける懸命さを見ぬいた。
ルークは、努力するシルフィを見て、自然と彼女のサポートに回るようになった。
足りない部分はこっそり補い、分からない部分はこっそり教え、
何かあれば影ながらサポートをするようになった。
影ながら、である。
ここらへんが、彼がモテる所以である。
シルフィはそれに気づいていた。
だが、シルフィはルークには惚れなかった。
彼女の心には、ルーデウス以外の人物の入る隙間はなかった。
ルークもまた、長耳族特有のまな板には興味はなかった。
代わりに、二人の間に芽生えたのは、奇妙な友情であった。
ルークは友人が少なかった。
ノトスという家に生まれ、父親の愚かな判断で第二王女を擁立する派閥に入り、
歳が近いという事で、半ば無理矢理、守護騎士に任命され、修行の日々を送った。
対等といえる者はおらず、見下す者と見上げる者だけがいた。
シルフィの前任である守護術師デリックも、年齢差や経験を考慮すれば、対等とは言いがたかった。
そんな中でシルフィは唯一、対等といえる存在になりえた。
彼にとって、唯一の友と言ってよかっただろう。
---
ルークと仲良くなる裏で、
シルフィはアリエルとも交友を深めていく。
しかし、その最初の一幕は、決して優しいものではなかった。
当時、アリエルは極度のサディストだった。
痛めつけるということに興奮を覚える少女だった。
それは、幼少の頃に何度も暗殺されかけた事に起因しているのだが、それは置いておこう。
最初、アリエルは自分のお付きのメイドに全裸で掃除をするよう申し付けたり、
乗馬用の鞭で、小間使いの少年を打ったりしていた。
言ってみれば、弱い者イジメが好きだったのだ。
もちろん、その性癖は極力隠すようになっていったが、すでに宮廷内では周知の事実である。
最初は弱い者ばかりを狙っていたアリエルだったが、
次第にアリエルは弱い者に興味を失い、「強い者」に惹かれるようになる。
「強い者」が、自分の権力や立場にひれ伏し、為すがままになる。
そんな事に興奮するようになった。
ルークはダメだった。
彼はアリエルに対して強い部分を見せようとはしなかった。
それはルークのアリエルに対する想いに起因するものであるが、それは割愛しよう。
シルフィの前任、守護術師デリックもそうだ。
彼らは、主君たるアリエルに対し、決して強さを見せなかった。
ひたすらに従順であった。
精神的な強さ、反骨心、そうしたものを見せようとしない彼らは、アリエルの「好み」ではなかった。
もっとも、アリエルの「好み」ではないからこそ、彼らは護衛という立場を全うできていたのだとも言えよう。
ではシルフィはどうか。
無詠唱魔術でターミネートボアを一撃で殺し、
見知らぬ場所、見知らぬ相手、見知らぬ作法に対してひたむきに頑張っているシルフィはどうか。
好みだった。
魔術の腕前にしても、
歳若い年齢にしても、
真っ白い髪にしても、
長い耳にしても、
ひたむきさにしても、
そしてどうやら好きな男がいるらしいという事にしても。
全て、アリエルの好みであった。
好みだったが、アリエルも最初は我慢した。
なにせ、シルフィは自分を救ってくれたのだ。
命の恩人なのだ。
ターミネートボアを目の前にした時の恐怖は今でも覚えている。
守護術師に突き飛ばされなければ、アリエルの頭は脳漿をまき散らして破裂していただろう。
ルークが庇ってくれなければ、自分の胸とお腹は離れていただろう。
そして、シルフィがいなければ、自分もルークも生きてはいなかっただろう。
ターミネートボアは、ゴブリンとは違う。
女と見て、犯すような事はしない。
ただ食い散らかすだけだ。
命を救われたのだ、誇り高きアスラ王族として、それに報いなければいけない。
しかし、そんな思いは、次第に霧散していった。
毎日ごはんを美味しそうに食べているシルフィ。
毎日一生懸命生きているシルフィ。
こんな美味しいものを食べたのは初めてです、とアリエルに感謝の言葉を述べるシルフィ。
アリエルの目には、それが凄まじく幸せそうに見えた。
もちろん、シルフィはシルフィで、当然ながら、両親やルーデウス、彼の家族の事を心配していた。
だが、同時にシルフィには、『アリエルに保護されている』という認識もあった。
それが、態度に出ていた。
そんな態度を見て、アリエルも思った。
これはいいのかな、と。
我慢しなくてもいいのかな、と。
そんな勘違いは、アリエルを蛮行へと導いた。
ある晩、アリエルはアスラ王国御用達のロイヤルな張形を持ってシルフィの寝所へと特攻した。
めくるめくピンク色の夜。
王族相手に逆らえるものはいない。
シルフィの貞操は風前の灯火だった。
と、思いきや、シルフィは反撃した。
血走った目をして襲い掛かってくるアリエルに反撃した。
半狂乱になって反撃した。
シルフィは礼儀作法を学んではいた。
しかし、王族を敬う気持ちというものは持ち合わせていない。
そして、リーリャより、夜の営みについては聞き齧っていた。
自分が強姦されているという認識があった。
もちろん、アリエルに感謝はしている。
だが、それとコレとは別の話である。
シルフィは魔術により、アリエルに半死半生の傷を負わせた。
もしシルフィ自身が治癒魔術を使えなければ、大問題になった所である。
実際、問題になりかけた。
シルフィの悲鳴を聞いて駆けつけたルーク。
彼が見たのは、ボロボロになったアリエルと、それを治すシルフィだった。
アリエルが、守るべき第二王女が、ズタボロにされているのである。
ルークは、一瞬で状況を悟った、アリエルの悪い癖が出たのだ、と。
同時に、これはまずい、と考えた。
いくら自分でもかばいきれない。
アリエルが一言命じれば、自分はシルフィの首を落とさなければいけない。
そう直感的に悟った。
ルークは揺れた。
保身に走り友を殺すか、ダメ元で友をかばうか。
しかし、その葛藤は杞憂に終わった。
「いたぶられるのも、意外といいのですね……」
アリエルは新たな性癖に目覚めていた。
アスラの王族・貴族は、誰もが奇妙な性癖を持っている。
マゾヒズムについても、例外ではなかった。
ゆえに、今回の一件は、プレイの一つという事で落ち着いた。
『被害者であるアリエル』が『加害者であるシルフィ』を庇ったのだから、当然であろう。
アリエルはそれ以降、シルフィに襲いかかるような真似はしなかった。
とはいえ、普通なら気持ち悪いと忌避する所である。
しかし不思議な事に、シルフィはその日より、アリエルからの信頼感を感じるようになった。
生まれつき同年代に忌避され、
唯一友人となったのもルーデウスという特殊な少年。
また、シルフィ自身の年齢も幼く、二次性徴もまだであったゆえ、危機感がやや薄かったのも関係していよう。
あるいは、自分に向けられた無防備な好意に惑わされただけかもしれない。
キッカケは歪だが、アリエルとシルフィの間にも友情の糸が結ばれた。
以後、友人として、少しずつアリエルとも仲良くなっていった。
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事態が動いたのは、転移事件より一年の歳月が流れた頃である。
否、事態はすでに動いていた。
シルフィの知らぬ所で、転移の日よりずっと。
発端はリストン卿の妄言だ。
彼は偶然の出来事を、さも第一王子の仕業であるかのように喧伝した。
少なくとも、誰かが手引きしなければ魔物が王宮に現れる事など無いと思っていたからだ。
そして、なすりつける相手は誰でもよかった。
無実の相手を犯人扱いする方法はいくらでもあった。
しかしながら、人の手によるものではないとなれば、話は別である。
忌むべき天災を利用して相手を貶めようとした、という事で、第一王子派から猛攻撃を受けた。
忌むべき天災を利用して誰かを貶める。
貴族の大半がやっていた事である。
しかし、リストン卿は機を誤った。
天災と確定しないうちに、相手の派閥を攻撃したという事実が生まれてしまった。
隙を見せてしまった。
第一王子派の筆頭、ダリウス上級大臣はここぞとばかりにリストン卿を攻撃した。
リストン卿は権威を失墜。
領地の大半を失い、中級貴族となった。
彼の失墜により、ただでさえ力の弱かった第二王女派は、さらなる攻撃を受けた。
ダリウス上級大臣が、苛烈に第二王女派の貴族を攻撃したのだ。
有力貴族は次々と力を失っていき、あるいは寝返り、第二王女派は瓦解した。
有力な擁立者を失った事で、アリエルは事実上、王になる道を失った。
だが、アリエルのカリスマ性は極めて高い。
民衆の人気も高く、生きていれば、必ず邪魔になることが予想された。
ダリウスは第一王子に進言し、トドメとしてアリエルに暗殺者を差し向けた。
すでに有力貴族は抑えられ、彼女を守る兵はいない。
兄が、妹を暗殺。
アスラ王国の王座を手に入れるという事は、そうした権力闘争に勝ち残るという事でもある。
現在の国王もまた、そうして王座についたのだ。
第二王女派を守る戦力は無い。
政治的な手段で暗殺を止める手立ても無い。
アリエルの命は風前の灯に思えた。
しかし、暗殺は阻止された。
シルフィの手によって。
彼女は暗殺者を返り討ちにしたのだ。
死闘であった。
もし、彼女が、ルーデウスの弟子でなければ。
無詠唱による混合魔術や、衝撃波による高速移動を知らなければ。
彼のやっていた事を間近で見て、なんでそんな事をしているのと聞いていなければ。
その理論と理屈を聞いて、真似しなければ。
そして、相手が子供だと侮っていなければ。
シルフィは命を落としていたであろう。
結果として、シルフィは生き残った。
暗殺者の用いた毒により、3日ほど生死の境をさまよったが、運良く後遺症もなく、生き延びた。
これにより、シルフィこと『フィッツ』の名前は王宮内に広く知られることとなる。
天才少年の噂は聞いていたが、しかし偽物か、あるいはハリボテであろうと思っていた者も多かった。
そもそも、守護騎士や守護術師というものは、古来より伝わる王族のボディガードであるが、そのほとんどは、有力貴族の次男や三男によるお飾りである。
暗殺者を差し向けられれば、王族を守って潔く死に、
親は我が息子は勇敢に戦って死んだのだ、と大げさに嘆き悲しむ。
王族はその貴族に対し褒章を送り、絆を深める。
そうした存在である。
いわば捨て駒、見栄の道具である。
しかし、シルフィは違った。
彼女は実戦経験には乏しいものの、実力のある魔術師であった。
暗殺者撃退の報を聞いて、ダリウスが警戒を露わにするぐらいに。
放たれた暗殺者は、それだけの腕を持つ者だったのだ。
警戒する第一王子派。
対するアリエル達は恐怖した。
このまま王宮にいれば、いずれ殺されるだろう、と考えた。
すでに味方は少ない。
有力貴族を含め、数名しか手元に残っていない。
暗殺者が堂々と王族の部屋に現れ、それを誰も咎められない。
それどころか、問題視さえされない、そんな状況である。
アリエル派の筆頭貴族ピレモン・ノトス・グレイラットは、この状況を詰みだと結論付けた。
「お逃げください、アリエル様。ここにいては死を待つばかりです」
「逃げてどうするというのですか」
「私はダリウスとは懇意です、第一王子派の内部に入り込み、その力を削ぎます。アリエル様は異国の地にて力を蓄え、味方を揃え、機を見て戻ってきてくだされば、立て直しも出来ましょう」
ピレモンは小賢しい男であった。
彼にとって、アリエルが王になる事こそ、最も利益のある結末である。
その道を残しつつ、しかしアリエルが死んでもノトスが滅びぬようダリウスに取り入った振りをしておき、状況次第でどちらに転んでもいいように手をうった。
アリエルはそんな事は知らない。
だが、このままでは殺されるのは明白である。
その言葉に従い、遠い異国の地に避難することにした。
そこで力を蓄え、雌伏して時を待つのだ。
留学先の候補はいくつかあった。
王竜王国、ミリス神聖国といった大国もその候補に入っていた。
だが、アリエルは北を選んだ。
ラノア王国の魔法都市シャリーアを目指した。
魔法三大国の誇る魔法大学を。
他の国では、大国たるアスラの政権争いに負けたアリエルに力を貸すものは少ないだろう。
誰も、潤沢な資金を持つ化け物国家を相手に喧嘩などしたくない。
だが、世界各国のあらゆる種族の集まるこの大学であるなら、
あるいはアスラ王国における復権の足がかりになるやもしれない。
アリエルはまだ諦めてはいなかった。
生きる事を。
そして、王になる道も。
貴族に言われるだけではない。
彼女はアスラ王族に生まれた自分の宿命を理解していた。
「シルフィ、ごめんなさい」
アリエルは、その旅路にシルフィが同行する理由が無いことを承知していた。
すでに、シルフィの疑いはほぼ晴れている。
フィットア領捜索団にパウロの名前があり、転移事件とは無関係であると判明している。
サウロスは何も知らずにノコノコと王都に出てきた所を、ピレモンや第二王子派の策略によって処刑された。
この時点ではフィリップ、ルーデウスの行方はしれていなかった。
だが、サウロスの言い分やアリエルに対する献身を見る限り、シルフィは潔白であった。
彼女は、転移事件の被害者にすぎないのだ。
「……こうなった以上、貴女を自由にすべきだとは思うのですが。お願いします、私の身を守ってください。貴女しか頼れる人がいないのです」
「俺からも頼む、俺の剣は未熟だ。アリエル様を守り通せる自信がない」
アリエルとルークは、自分たちよりはるかに身分の低いシルフィに頭を下げた。
シルフィとしても、自分の足で家族やルーデウスを探しに行きたかった。
だが、この一年間で、シルフィも彼らの事を友達だと思っていた。
少々変な所の目立つ友達で、ルーデウスとの関係とはちょっと違う。
だが、しかし友達は友達である。
シルフィにとって、片手で数えられる程度の友達である。
「わかった。ボクがアリエル様を守るよ」
シルフィが本当の意味で王女の守護術師になったのは、この時だったかもしれない。
---
彼らは、留学という形でアスラ王国を後にした。
その姿は、暗殺を恐れ、全てを投げ捨てて国から逃げ出したようにしか見えなかった。
半分は事実であったが。
第一王子はというと、さらに追手を差し向けた。
彼はアリエルの危険性をわかっていた。
彼女のカリスマ性は、魔術ギルドを虜にする場合もある。
大学に通う生徒には、アスラ王国貴族の子弟もいる。
次代を担う事のない次男坊、三男坊が中心だが、彼らが当主になる方法など、いくらでも存在している。
また、他国・他種族の王族もいる。
極めて高いカリスマ性を兼ね備えたアリエルが、他国との深い繋がりを得て戻ってきたら……。
第一王子派はそう考え、過剰な攻撃を加えた。
追手は王女一行がアスラ王国から出るまで続いた。
残った貴族が付けてくれた従者は十五人いたが、
襲撃のたびに一人、また一人と命を落とした。
特に、国境である『赤竜の上顎』での襲撃は苛烈を極めた。
十名近い剣士と、それをサポートする魔術師、治癒術師が待ちぶせしていたのだ。
それまでの襲撃は、全てこの待ち伏せのための布石であった。
必殺の布陣は、しかしシルフィの手によって打ち砕かれた。
ルーデウスの編み出した無詠唱による戦闘術は有効であった。
シルフィは護衛の仕事をしつつも、己の体を鍛えることは怠ってはいない。
時にはルークに教わりながら、剣を振った事もある。
この頃、彼女の体は、うっすらとだが闘気を纏い始めていた。
そして、『赤竜の上顎』を通り抜けると、襲撃はぴたりと止まった。
その頃、シルフィとルークを除く従者は二人まで減っていた。
第一王子派は、目の届かない他国に襲撃者を送りつける程の度胸は持っていなかった。
必殺の布陣を砕かれ、国内ですら仕留め切れない相手を、他国で仕留めきる自信がなかった。
もっとも、これは第一王子派の失策である。
実際の所、あともう二、三度襲撃を繰り返せばアリエルは命を落としていた可能性も高かったのだ。
従者が体を張って王女を守らなければ、シルフィ一人で王女を守りきれるはずもなかった。
だが、第一王子の判断ミスを誘ったのは、間違いなくシルフィの戦闘力のお陰であろう。
それから、彼らはラノア王国へと移動した。
他国での旅には慣れない五人。
残ったのは二人の従者。
エルモア・ブルーウルフ。
クリーネ・エルロンド。
どちらも、歳若い少女であった。
旅のイロハを知る、中年の従者はすでに死んでしまった。
段取りは悪く、移動には時間がかかり、途中で冬になった。
追手を危険視していた彼らは、村人の静止を振りきって移動をはじめ、危うく遭難しかけた。
危うい彼らは、野盗や魔物にとって美味しい鴨に見えたのだろう。
道中、何度も襲われた。
だが、全て撃退した。
それ以外にも、幾つもの困難が彼女らを待ち受けていた。
紆余曲折を得て魔法都市シャリーアについた時、彼らはそれまで以上の強い絆を感じていた。
仲間であった。
---
シルフィたちは魔法大学に入学した。
魔法大学、並びに魔術ギルドはアスラ王族を歓迎し、特別生としての扱いを約束した。
だが、アリエルはこれを拒否。
あくまで一般生徒に交じる事で、他生徒たちとの交流を得ていくこととなる。
アリエルは緻密に計算した。
この地で権力を得るにはどうするべきか。
ただアスラ王族という立場に甘んじては、大業は成せないだろう。
手駒は有効に使う。
まず、シルフィは護衛として、アリエルの『力』を見せる役とする。
ルークは同じ護衛であるが、力でなく、寛容さや緩さ、身近さを見せる役だ。
アリエル自身は象徴として、憧れの的となる。
二人の従者、エルモアとクリーネには、影に徹してもらう事とした。
シルフィの変装はそのまま続けられた。
アリエルの護衛をするに当たっては、女の格好をしていた方が便利である。
しかし、『謎』という部分を強調させる事は、『力』を見せる上では有効である。
顔も見せない、声も出さない、少年なのか少女なのかもわからない。
無詠唱で魔術を使う、極めて強い護衛。
それが王女を守っているという、その事実こそが重要であった。
王女の存在をより大きく見せることが出来る。
また、相手のことがわからなければ、手を出すのを躊躇する者もいるのだ。
二人の従者の主な任務は情報収集である。
普通の一般生徒にまじり、細かな噂などを収集したり、情報を操作したりする。
隠密、諜報員としての仕事である。
彼女らは、時にはルークの取り巻きとしてさり気なく接触し、情報を持って来る。
フィットア領の捜索団の情報や、在校生徒の個人情報、アスラ王国の現在状況、周辺の有力冒険者の情報、等など。
ルークはそれを自然と受け取るため、道化を演じる。
身近な存在として、気さくなポーズを取り続ける。
もっとも、彼は元々女好きであったため、ポーズではない行動も多々行なっていたが。
知らない土地で、知らない、文化の違う人々を相手にして成り上がる。
失敗は許されない。
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アリエルは次第に憔悴していった。
失敗は許されないという状況の中、一切気を抜く事なく、象徴として振舞い続けたがゆえの事である。
心休まる時は無く、小さな出来事一つで大きく心を削られた。
それでも、最初の数ヶ月はなんとか持っていた。
シルフィがアリエルの話し相手となり、ストレスを発散させていたからだ。
しかし、ある情報が届いてしまう。
フィットア領の死亡者名簿の更新……。
すなわち、シルフィの両親の死の情報である。
これにより、流石のシルフィもふさぎ込んでしまった。
これまで必死にやってきたシルフィだが、両親の死は、こたえた。
一つの希望が砕かれた瞬間だった。
ふさぎ込み、一人になりたいと思ったが、状況がそれを許さなかった。
アリエルは憔悴し、
シルフィはボロボロ。
従者二人も、なれない生活で、決して他人を気遣えるような状況ではなかった。
元気なのはルークだけだった。
彼はグレイラット家特有の楽観的かつ豪胆な性格を持っていたがゆえ、どこにいても同じ状態でいられた。
アスラの上級貴族というだけで女が入れ食い状態な事も、彼の精神の安定に一役買っていた。
ルークは、この状況をどうにかしなければならないと考える。
とはいえ、自分の知識の中には、女が落ち込んでいたら、抱いて慰めるぐらいしかなかった。
従者二人はともかく、アリエルとシルフィを抱くつもりはなかった。
ルークにとって、この二人は恋愛感情を飛び越した特別な存在であった。
彼は悩んだ。
どうすれば、と考えた。
そこで、ふと思い出した。
かつて、ボレアスの凶暴な猿に勉強を教えたという例の天才少年は、七日だか十日だかに一度、休日というものを作り猿の怒りを鎮めた、と。
放蕩癖のある彼も、息抜きというものが重要であることには感づいていた。
十日に一度、ハメを外して遊ぶ。
それによってガス抜きをしようと提案した。
アリエルは効果があるのかと悩みつつも、それに同意した。
シルフィもまた、一人になれる時間というものを欲していたため、同意した。
しかし、懸念がひとつあった。
アリエルは象徴となるべき存在である。
そんな存在が、数日に一度ハメを外して街で遊んでいたら、他の者はどう思うだろうか。
アリエルは、象徴でなければならない。
そこらの娘と同じような部分を見せてはならない。
せっかく築きあげ始めたものを、今崩すわけにはいかない。
そんな懸念は、ある魔道具の存在によって解決した。
他人の姿に化ける魔道具である。
この魔道具は二つの指輪の形を取っている。
緑の指輪と赤の指輪。
緑の指輪を装着した方は、赤の指輪をした者と同じ顔形と髪色になる。
これはアスラ王国に代々伝わる秘伝の魔道具である。
アスラ王国の影武者は、この魔道具によって仕立てあげられてきた。
アリエルやシルフィも、国内を逃げまわる際、これを使う事でアリエルの偽物を作り、襲撃者の目を欺いた。
もっとも、この魔道具では、背丈や体系、声、目の色などが変わらない。
よく観察されたり、会話をしてしまえばすぐにバレる。
とはいえ、それで十分であった。
これを使い、アリエルはシルフィに化けた。
シルフィは普段からサングラスをし、さらにほとんど声を出さない生活をしていた。
魔術はすべて無詠唱で行うのも、都合がよかった。
背丈もアリエルと変わらない。
好都合であった。
アリエルはこれを使い、『フィッツ』となった。
『フィッツ』として、街中を出歩く事が可能となったのだ。
その間、シルフィは人気のない場所にいる必要があった。
彼女は自分の居場所として、静かな図書館を選んだ。
丁度、両親が死んだ事で、あの事件について調べたいとも思っていたのだ。
こうして、シルフィ達は魔法大学での生活を営んでいく。
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