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第七十九話「白い仮面 後編」
ナナホシ・シズカ。
漢字で書けば、七星静香。
彼女はトリッパーだ。
トリッパーとはすなわち、転移者。
死に、赤子としてこの世界に生まれ変わった俺が転生者だとするなら、
彼女はそう、迷い人という感じだろうか。
それと合わせ、俺も自分が転生者であることを打ち明けた。
トリッパーではなく、転生者である、と。
死因については事故死。
しかし、その状況についてはボカした。
生前の姿は酷いものだ。
思い出されれば、きっと偏見の目で見られるだろう。
人の見た目ってのは大事だからな。
まあ、もしかしたらナナホシは俺のせいでトリップした可能性もあるわけで。
そこん所を突かれるのも嫌だしな。
---
俺はナナホシと話をした。
懐かしい日本語で。
お互い知らない間柄であるがゆえ、フィッツ先輩にも同席してもらった。
だが、会話した言語は日本語。
フィッツ先輩には、つまらない時間を過ごしてもらったと思う。
申し訳ない事だ。
話をするにあたって、彼女は最初に、こう宣言した。
「私はこの世界に興味は無いわ。
くだらない召喚モノの漫画やラノベのように、
元の世界の知識を使ってこの世界に繁栄をもたらすつもりもない。
ただ自分のため。元の世界に戻るためだけに全力を尽くすつもりよ」
その考えは、この世界で生きていこうとする俺とは、真っ向から反するものだった。
くだらない、くだらないと連呼されるのは、さすがの俺も気に食わない。
だが、わからないでもない。
彼女はきっと、『馴染めなかった』のだ。
自分の居場所がない所を、興味がないものを、くだらないと切って捨てる気持ちは、わからないでもない。
ゆえに、その事について、彼女の考え方を正すつもりはない。
だが、ナナホシは俺を警戒していた。
最初に非協力的な言動をとったのがまずかったのだろう。
恐らく知っているであろうことを、秘密にされた。
当然だろう。
敵か味方かわからない相手を全面的に信用してどうする。
俺だってナナホシを警戒しているのだ。
とはいえ、少々失敗したかな、とは思う。
もしあそこで顔を見て逃げ出さず、その後も「僕はこの世界に残りますが、帰る方法を探すのは手伝います」とでも言っておけば、彼女も警戒を緩めただろう。
まあ、過ぎた事を言っても仕方がない。
---
ナナホシは、気づいたらアスラ王国にいたらしい。
何もない草原で、アスラ王国とわかったのは後日だったそうだ。
何もなく、周囲には誰もおらず、どうすればいいかわからず困っていた所、
オルステッドが現れて、保護してくれたらしい。
「なぜオルステッドが?」
「……さぁ、ただ、彼が呼び出したわけではないみたいね」
彼女はアスラ王国で、この世界について学んだらしい。
言語に始まり、魔法の存在や、通貨、生活習慣などなど。
このへんは俺と一緒だ。
凄い事に、彼女は一年ほどで人間語をマスターしたそうだ。
オルステッドが嫌われ者な呪い持ちなので、早急に憶える必要があったのだろう。
必要に駆られれば、誰だってモノを憶えるのは早くなる。
さらに一年、アスラ王国で過ごした。
その際、料理やら被服技術やらを伝授し、金を稼いだそうだ。
その利権を使って金が入ってくる仕組みを作り出した。
七大列強の龍神が後ろ盾に付いているという事を喧伝して信用を掴み、自身の話術で持って、流通ルートを確立。
現在はすでに一生遊んで暮らせる資産があるらしい。
すごい事だな。
言語も覚え、金という基盤もできた。
それらは全て、元の世界に帰るという事への踏み台でしかない。
彼女はオルステッドに連れられ、元の世界に帰るための情報を集めるべく、そして知り合い二人もこの世界にトリップしているかもしれないとして、一年ほど世界を旅して回った。
オルステッドには敵が多く、あちこちで戦いになったのだとか。
オルステッドは強く、大抵の相手は一撃で打倒せしめた。
俺との戦いもそのうちの一つだが、
俺だけはどうにも様子が違ったようなので、進言して生き残らせてもらったらしい。
それについては、素直に礼を言っておいた。
原因や過程はどうあれ、ナナホシの一言が無ければ、俺は死んでいたわけだからな。
「それにしても、どうしてオルステッドさんは人神と争っているんですか?
いきなりだったんでびっくりしましたよ」
「私も詳しいことは知らないわ。けど、個人的な恨みだって言ってたわね。
あと、人神の使徒はほうっておくと強大になるから、早めに叩いておくものだ、って」
個人的な恨みでいきなり襲われるのは勘弁してほしい。
あと、俺は人神の使徒じゃない。
最近はいいなりだが、会うのは年に一度ぐらいだ。
使徒というほど密接な関わりもない。
ともあれ、彼女は世界中を回り、そこで色んな人に出会った。
オルステッドは嫌われ者だが、龍神の名前は利用価値があり、
彼の書いた手紙一つで、高名な魔術師や騎士団長、王などに会えたらしい。
「一年で世界中を回った……?」
その部分に引っかかりを覚えた。
俺は世界を一周するのに三年掛かったのだ。
「ええ、ある特殊な方法を使ってね」
「どういう方法なんですか?」
「そうね、分かりやすく言えば、ワープ装置よ」
旅の扉か。
「この世界では『転移魔法陣』と呼ばれていたわね。知ってる?」
「名前だけは聞いたことがあります」
聞いたのはいつだったか。
確か、魔大陸から帰るときだったな。
ルイジェルドから聞いたのだ。懐かしい。
「転移魔法陣はすでに存在しないと聞きましたが?」
「人魔大戦の頃に作られた遺跡には残っているらしいわよ」
「へぇ、遺跡。どこにあるんですか?」
「それは口止めされているから言えないわ。この世界では、禁忌だそうだから、あまり人には言うべきじゃないって」
「……そうですか」
「もっとも、私はついて回っただけだから、あまり覚えてないしね」
という事らしい。
世界中を回ったといっても、転移魔法陣から別の転移魔法陣へと歩きまわる旅。
覚えていないというのは嘘ではないだろう。
地図も持たずにあちこちワープで連れ回されては、正確な場所もわかるまい。
出来れば、そういう便利そうなものは一つぐらい知っておきたいものだ。
またいつ、何が起こるとも限らんからな。
話を戻す。
ナナホシは探し人には会えなかった。
だが、数々の人物に出会った。
そのうち、ある人物から、こう言われたそうだ。
『お前は何者かの手によって、この世界に召喚されたのではないか』
と。
「何者ですか、その人は」
「言えないわ。会ったことは誰にも言うなと言われたの」
「なぜ?」
「『自分と知り合いだとわかれば、面倒な奴らが寄ってくる。面倒事を起こしたくなければ名前は伏せておけ』と言ってたわね」
名前を言えないあの人。
だが、その人物は召喚術の世界的な権威であるらしい。
しかし、その人物をもってしても、
異世界から人間を召喚する術はないそうだ。
そもそも、異世界からでなくとも、人間は召喚できないはずだしな。
ともあれ、彼女は召喚魔術の事について調べるべく、魔法大学に拠点を置く事にした。
稼いだ金で多額の寄付を行い、魔術ギルドのBランクと特別生の地位を購入。
さらに、アスラ王国でのツテを使い、学生服などを導入。
教育制度の見直しや、教育に使う道具を一新。
あっという間に魔術ギルドのA級に上がった。
さらに持ちうる知識を提供するならS級の地位もという話もあったそうだ。
だが、彼女はそれを辞退した。
「もう一度言うけど、
私はこの世界を良くしてやろうとか、
この世界で成り上がってやろうなんて、
これっぽっちも思っていないのよ」
ゆえに、自分に必要な物しか作らないし、提供もしない。
彼女はそう宣言した。
俺としては少々不満だった。
世の中が便利になるのは、悪いことではないだろうに。
そんな俺の空気を感じ取ったのだろう。
ナナホシはため息を一つついて、こう述べた。
「あのね、私達はこの世界では異物なのよ。あまり歴史を大きく変えるような事をすれば、世界に排除されるかもしれないわ」
「世界に排除? なんですかそれは」
「SFとか読んだことないの? 要するに、本来の自然な歴史に戻そうとする力のことよ」
本来の自然な歴史に戻そうとする力。
そういえば、昔そんな漫画を読んだ記憶がある。
因果律とか言ってたか。
「……そんなもの、本当にあるんですか?」
「わからないけど、注意はすべきだと思っているわ」
彼女はそう言った。
そういうものは、過去にタイムスリップした奴が気にするべきことで、
俺たちのような異世界人はあまり気にしないでいいんじゃなかろうか。
……まあいい。
誰がどう行動しようが自由だ。
何も邪魔されない環境を作った彼女は、召喚についての研究を始めた。
偽名を使ったのは、ナナホシの名前で寄ってくる奴らがいたからだそうだ。
それにしても、サイレント・セブンスターとは。
もう少し捻ってもいいと思うが……。
ああ、残り二人が聞いてわかるようにしてあるって事か……。
てか、他にも二人いるのか?
ナナホシ以外の名前は聞いたこともないが……。
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召喚魔術の研究。
それには、まず魔法陣の基礎について習う必要があった。
この世界の召喚魔術は、基本的に魔法陣を利用して行われる。
攻撃や治癒といった動的な魔術を詠唱主体とするなら、
召喚や結界といった静的な魔術は魔法陣が主体なのだそうだ。
彼女は文献を読みあさり、魔法陣とはどういうものかを知った。
教師に聞くのではなく、本や過去の文献から、独力で知識を得たらしい。
「この世界の人間は考え方が凝り固まっているわ。
生きる上では仕方がない事なのでしょうけれど、
今までにない事をやるのだから、人に教わってもできないもの」
そんな事をいうと、
人に教わってばかりいた俺はどうなるんだろうか。
まあ、俺は今までに無い事をやろうとはしていないから、いいんだが。
「それに、私達は魔力が無いでしょう?
だから、魔力があることを前提に話されても困るのよね」
「……え?」
我ながら変な声が出た。
なに。
魔力が無い?
「どうしたの? 何かおかしいことを言った?」
「僕は魔力がありますよ。魔術だって使えますし。
先日も、この世界でトップクラスの魔力を持っているって言われました」
俺がそう言うと、彼女は仮面を抑えた。
仮面のせいで表情がわからないが、感情に動きがあったのは見て取れた。
「…………そう、転生だから、違うのかしらね。
私の魔力総量は……ゼロだそうよ」
魔力総量ゼロ。
まったく魔術が使えないという事か。
「ちなみにこの世界では、ありとあらゆる物が魔力を持っているそうよ。そこらの死体でもね。私は魔法なんてない世界からきたから、それも当然かと思っていたけど……」
そこらの死体でも、魔力を持っている。
そうなのか、初めて知ったな。
しかしそうなると、魔力が無いというのはかなりきつい事なのではないだろうか。
「あと、そう、これもあなたに当てはまらないのかしら」
彼女はそう言うと、仮面を外す。
なつかしい、日本人の顔だ。
美少女、というほどではないが、平均よりすこしは上だろう。
とは思うが、俺もこの世界に来てから、綺麗な顔はたくさん見てきた。
案外、ナナホシもクラスで一番とか二番とか、そういったレベルの顔なのかもしれない。
「私ね、この世界にきて、5年になるんだけど、歳を取らないのよ」
不老。
五年。
彼女の年齢は16,7歳ぐらいか。
「それは羨ましいですね」
そう言うと、彼女は顔をしかめた。
ハッと笑い、仮面を戻す。
「…………まあ、知らない土地で老け衰えていくよりはマシでしょうね」
そういえば、人神の夢に出てくる俺も、老けていないな。
生前のままだ。
異世界人ってのは、基本的に歳を取らないのだろうか。
「どういう原理かはわからないけど、ふざけたことよね」
「僕は普通に年をとってるんですが」
「……そう。体の問題なのかしらね。また機会があったら調べましょう。
何かの手がかりになるかもしれないわ」
ナナホシはそう言うと、手元の手帳に何かを書いていた。
気づいたことや、後で調べようと思った事を書いているのだろうか。
思っただけで忘れてしまう事の多い俺も、真似するべきか。
「じゃあ、話を戻すわね」
彼女は魔法陣を習得した。
魔法陣というものは、魔力結晶を粉状にし、いくつかの決まった材料を混ぜあわせて作った塗料で描くらしい。
塗料は付着すれば対象物に溶け込み、そう簡単には消えないのだとか。
塗料は魔力が流れるとその力を増幅させ、魔法陣の形に見合った効力を発揮する。
基本的に、塗料は1回使っただけで蒸発してしまうらしい。
さらに、魔法によって使うべき塗料の材料も決まってくるそうだ。
一応、王級以上の大規模な魔術を使うためには特殊な塗料が必要となるらしいが、
実際に用意するとなると国家予算並の金が必要なのだとか。
「じゃあ、遺跡の転移魔法陣も1回で消えるってことですか?」
「あれはそういう塗料で書かれていないから、また別よ」
という事だそうだ。
塗料を使う魔法陣は、あくまで現在の基本。
魔法陣が全盛期だった時代には、もっと色んな形があったそうだ。
現在でもその方法は残っており、
例えば、石などに魔法陣を彫って直接魔力を流し込む、という方法もあるらしい。
ナナホシは自分が使えないので、よく調べてはいないそうだが、
魔道具を作るときにはそうした技術を使うんだとか。
「ていうか、むしろ、そっちが基本なんじゃないんですか?」
「私には使えないんだから、どうでもいいわ」
なんと自分勝手な。
魔法陣は、形、塗料、魔力があれば、大抵の魔術を実現できる。
だが、一つ問題がある。
魔法陣の『形』は口伝で伝えられていたため、大半はすでに失われてしまったそうだ。
今では魔法陣を新しく作り出せる者は存在しない。
遺跡の奥地にある壁画や、
古の王の宝物庫の奥深くにて忘れられたスクロール。
そういった物から書き写したりしなければ、新たな魔法陣は誕生しない。
が、ナナホシはそんな状況を覆した。
魔法陣の法則性について調べ。
大量の魔法陣を書き、実験を繰り返す事で、
いくつかの独自魔術の開発に成功したのだという。
凄い事だ。
ぜひとも、俺にも教えてもらいたい。
そう思った時、彼女は釘を刺すように言った。
「でも、私の調べたことは、おいそれとは話せないわね」
なんでや、と思ったが。
彼女はたたみかけるように言葉を続ける。
「取引をしましょう」
と。
ここからが本題であると言わんばかりに。
「私は魔力もないし、戦う術も持たない。多分、不老だけど不死じゃないわ」
「ええ」
「私はこの世界が嫌いよ。現実味はないし、ご飯は美味しくないし。
倫理観はおかしいし、不便だし……。
……知ってると思うけど、この世界にはシャンプーもないのよ?
それに、元の世界には、残してきた人もいる。
だから帰りたい。
あなたはどう?」
聞かれ、俺は即答する。
「僕はこの世界は好きです。こっちに知り合いも多いですし、帰りたくありません」
「そう、元の世界に残してきた家族とかはいないの?」
「何の未練もありません」
生前のことは、思い出したくもない。
俺はこの世界でやっていくと決めた。
あれから十五年だ。
その間、色々な事があった。
良い事もあったし、嫌なこともあった。
けど、結構充実しているのだ。
いまさら帰れと言われても、全力で抵抗するだろう。
「そう、大往生だったのね」
ナナホシは勝手にそう納得した。
繰り返すが、彼女には俺があの時、割り込んだ人間だとは言っていない。
死因は事故と言ったが、具体的な状況は伏せてある。
「私とあなたでは、目的が違う。
けど、互いに欲しいものを持っている。
だから、取引よ」
「俺が持っているものでナナホシさんが欲しいものがあるんですか?」
「さっき、自分で言ったでしょ? トップクラスの魔力があるって」
魔力が欲しいのか。
なるほど。
しかし、彼女の研究室には、大量の魔力結晶があったように見えたが。
それでは足りないということなのだろうか。
「あなたには、私の実験を手伝ってもらう。
そして、あなたが知りたいことを、私が教える。
知らない事なら、調べるわ。
私は顔が広いし、調べ物には自信があるのよ。
他にも、何かあったら手伝うわ」
「ようするに、ギブアンドテイクの関係になりましょう、って事ですか?」
「そうよ。理解が早くていいわね」
彼女は賢いようだし、俺が手伝わなくてもいいんじゃないか。
そう思う所だが。
しかし、やはり同じ世界の出身となると、思う所があるのかもしれない。
同じ地球人は頼もしいとか言ってたしな。
「わかりました、では協力しましょう」
「そう、ありがとう。その言葉を聞けて助かるわ。
先に言っておくけど、後になってやっぱりヤメた、とかは無しよ」
「男に二言はありません」
「……日本の言葉を聞くとなんだか感動するわね」
「こっちだと、誰もネタがわかりませんからね」
ナナホシは、さて、と言って、椅子に座り直した。
ポケットから指輪を取り出し、それを身につける。
3つもだ。
何のまねだろうか。
コホンと一つ、咳払いをする。
「じゃあ、さしあたって、何か知りたい事はある?
転移事件について調べていると聞いたのだけど」
「えっと、誰から聞いたんですか?」
ちらりと目線を送ると、俺たちの会話に混じれず、ちょっとムッとしているフィッツ先輩。
なるほど、俺が気絶している間に、彼と少し話をしたのか。
『えっと、何? どうしたの?』
いきなり視線を向けられて、彼は不安そうに首をかしげる。
『これから、例の事件について話を伺います。
ナナホシさん、ここからは人間語でお願いします』
『わかったわ』
フィッツ先輩が俺の隣に座る。
ナナホシに向き直る。
ここからは日本語ではなく、人間語だ。
「例の事件の仕組みについてはわからないわ。
けど、五年前、ちょうど私がこの世界に来た時と合致するわね」
ナナホシはやや言いにくそうにしていた。
五年前、アスラ王国。
この時点で、いくら鈍い俺でも、予想はついている。
そして彼女も、俺が別の場所に転移させられた事を、フィッツ先輩から聞いたのだろう。
「つまり?」
「おそらくあの事件は、私がこの世界にきた時の反動で起こったものね。つまり……」
ナナホシはそこで一旦、言葉を切った。
そして、言った。
「つまり、私が原因という事になるのかしらね」
やはりか。
半ば予想していた答えだった。
召喚と転移がよく似ている事。
そして、ナナホシが召喚された事。
いくら俺がバカでも、これだけ条件が揃えば、わかる。
むしろ、俺が原因じゃなくてほっとしているぐらいだ。
が、フィッツ先輩はそうではなかった。
「おまえがあぁぁぁ!」
普段聞いたことのないような大声で叫ぶと、ナナホシに向かって手を振り上げた。
「……そっちっ!?」
ナナホシが指輪をつけた手を上げる。
指輪が光る。
フィッツ先輩の魔術が発動しない。
なんだあの指輪。
「ボクが、ボクたちがどれだけあの災害で!
お父さんも、お母さんも……!
お前のせいかぁ!」
魔術が出ないと分かった瞬間、フィッツ先輩はナナホシに飛びかかった。
しかし、2つ目の指輪が光ると、その拳が中空でガツンと何かにぶち当たる。
あの指輪、魔道具か。
「ちょっと、ルーデウス・グレイラット、みてないで助けなさいよ!」
ナナホシの焦る声。
フーフーと息をはき、なおも拳を叩きつけようとするフィッツ先輩。
彼の手を掴む。
「フィッツ先輩、落ち着いてください」
「これが、落ち着いていられるか!
こいつが原因だって、今自分で言ったんだよ!
どうしてそんな冷静でいられるんだよ!
君だって、君だって大変だったじゃないか!」
フィッツ先輩は、普段見たことがないほど興奮していた。
普段は吹っ切ったような態度だが、
やはり転移事件において大切な人を失っていたのだ。
五年経ってある程度は割り切ったとはいえ、
引き起こした張本人を目の前にして、冷静でいられるはずもない。
しかし、俺が聞いた話によると、
あの事件を引き起こしたのはナナホシではない。
俺は生前、彼女が転移したと思われる瞬間に居合わせている。
つまり、彼女もまた、巻き込まれただけと言える。
あ、そうか。
その辺の話をしたのは日本語だった。
つまり、フィッツ先輩は聞いていないのだ。
勘違いしてもおかしくない。
「すいません。説明が足りませんでしたね。
彼女も、自分できたくてきたわけじゃないそうです。
つまり、被害者なんです」
「被害者……そ、そうなの?」
フィッツ先輩はまだ肩で息をしていた。
だが、俺の言葉を信じたのか、大きく息をはくと、椅子に座った。
「ごめんなさい。ちょっと配慮に欠ける言い方だったわね。謝罪するわ」
「いや、いいよ、ボクの方こそ、いきなりごめん」
ナナホシは、俺が逆上して襲い掛かってくる可能性もあると考えて指輪をつけたのだろうか。
意外としたたかだな。
ていうか、便利そうな指輪だな。
自衛手段なんだろうか。
俺もひとつ欲しい。
「とにかく、例の事件については、私もよくわかっていないわ。
あの事件によって私が召喚されたわけだけど、
誰が、どんな目的で、そしてどうしてあんな災害になったのか。
そのへんは、誰もわかっていないのよ」
「オルステッド……さん、は何も言ってなかったんですか?」
「ええ、こんな事は初めてだ、としか言ってなかったわね」
そうか、わからないか。
まあ、神と名の付く連中がわからないのなら、そう簡単には解明しないだろう。
人神は、オルステッドが引き起こした、とか言ってたような気もするが……。
まあ、オルステッドは嫌われる呪いが発動しているようだし、人神もその呪いでオルステッドを嫌っている。
オルステッドも個人的な恨みがあるようだし、あの二人の仲は悪いのだ。
案外、人神も先入観で言ったのかもしれない。
ナナホシの話を全面的に信用するなら、オルステッドが引き起こしたとは到底思えないしな。
召喚したのに、帰ろうとするのを全面的に支援するとか、意味わからん。
「じゃあ、なんで自分が原因なんて言ったんですか?」
「後になってから、あーだこーだ言われたら嫌でしょう。
だから先に言っておいたのよ。恐らく私が原因だって」
「なるほど」
隠すより、先に言っておくか。
そして、実は違うんだと訂正する。
後から知られるより怒りは収まりやすそうだな。
ちょっと耳が痛い。
もっとも、ナナホシかオルステッドが嘘を付いている可能性も考慮には入れておくか。
「でも、そうですか、まったくわかりませんか」
「わからないわね。けど、研究の目処は立っているわ」
「研究が進めば、転移事件の真相もわかると?」
「少なくとも、理論的には説明が付けられるはずよ」
わかるとは断言しないか。
むしろ信用できるな。
「そのためには大量の魔力が必要なのよ」
「なるほど、僕の存在は渡りに船だったというわけですか」
「渡りに船……ふふ、そうね、その通りだわ」
俺たちの会話に、フィッツ先輩が不機嫌そうにしていた。
彼はまだ、ナナホシを疑っているのだろうか。
まあ、あとでゆっくり説明しておくとしよう。
それにしても、まさかあの温厚なフィッツ先輩があそこまで取り乱すとは。
知り合いの一人は見つかったと言っていたが……そうか、父親も母親も死んでしまっていたのか……。
少し、落ち着いてから話した方がいいか。
「わかりました。ナナホシさん。
今日の所は僕も整理しきれていないので、後日、また改めて伺います。
具体的な手伝いの内容は、その時にでも」
「わかったわ。それじゃ」
最後に短く言葉を交わし、俺はフィッツ先輩を連れて、その場を離れた。
---
フィッツ先輩に一からナナホシの事情を話してあげたら、少し落ち着いていた。
無理矢理この世界に連れてこられて、帰ろうと必死になっている。
そう教えると、フィッツ先輩も怒りを収めたようだ。
しかし、最後に一言、こう聞いてきた。
「それで、ルーデウス君は、彼女のこと、どう思う?」
どう思うか。
これは、決して顔の事ではないだろう。
信用するのか、しないのかという話だ。
転生してきた俺にとっては、彼女の話はすんなり飲み込める。
だが、この世界で生まれ育ってきたフィッツ先輩には、にわかには信じられない話なのかもしれない。
しかし、ナナホシの口調からは、どうにもこの世界の事をどうでもいいと考えている感じがした。
まるで、早く用事を終わらせて家に帰りたい、とでも言わんばかりの。
彼女は俺と違い、この世界に来てからも成功続きだったようだし。
色々と軽く考えているフシがあるのかもしれない。
苦労自慢をするわけではないが……。
少々、気に食わないな。
「正直、気に食わない部分はありますが、一応は信用します」
「……そう、気に食わないんだ……うん、ならいいんだ」
フィッツ先輩は、苦笑していた。
もしここで、ナナホシを全面的に信用するように言えば「もっと警戒すべきだよ」とでも忠告をくれたのだろうか。
こちらから押しかけて行って騙すも何もないと思うのだが……。
まあ、それだけ突拍子もない話だしな。
あっさり信じた俺が心配になるのはわからないでもない。
「心配してくれたんですね先輩、ありがとうございます」
「えっ!? い、いや、し、心配ってわけじゃ、ないよ、うん……ど、どういたしまして」
しどろもどろになるフィッツ先輩。
ほっこりした。
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ともあれ、こうして俺とナナホシは協力体制を結んだ。
聞きたいことはまだまだあるが、焦ることはない。
少しずつ聞いていけばいいのだ。
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