ルイです。
うつ病です。
この病気にかかってから、人間関係にはいろいろな変化がありました。
失ったものもありましたし、得たものもありました。
うつ病への偏見も体験しましたし、優しくされたこともありました。
うつ病が意外に身近な疾患であったことも知りました。
「わたしの父、実はうつ病だったんだよ」
「わたしも妹がうつだったんだよ」
そんな話をたくさん聞きました。うつになる前は、全く知らないことでした。
うつについて、この1年間でたくさんのことを知りました。
皮肉にも、自分がうつ病患者になったことで。
うつなのに今まで生きてこられたわたしはラッキーだ
メンタルの病気は怖いです。
自分で自分の命を失う可能性があるからです。
わたしも今年の3月ごろ、かなり危うい状態にいました。
3月は「自殺対策強化月間」だったので自治体の相談ダイヤルに電話したこともありました。
カウンセリングを受けて、不安定な精神状態をカウンセラーに洗いざらい話したこともありました。
そのころはもう家族も友人関係もすさまじい衝突があり、お互い相当消耗したと思うのですが……今はとりあえず小康状態を保っています。
自分で言うのもなんですが、わたしはラッキーな方です。
ぎりぎりまで追い詰められても、いつも何かに助けられて、踏みとどまって生きていくことができている。
お金持ちの家でもありませんし、目を引く美人でもありませんし、世界を変える大発見をできるほどの素晴らしい頭も持っていません。
人を羨むし、嫉妬するし、腹黒いものを抱えているくせに八方美人に振る舞う、イヤな人間です。
パワハラには遭うし、そのおかげでうつにはなるし、うつ地獄では大暴れして周囲の人間に迷惑をかけました。
それでもわたしはなんとか今生きています。
それはわたしが「ラッキーだったから」と言うしかありません。
最近、本当にそう思うんです。
世の中には「ラッキーな人」と「ラッキーじゃない人」がいる。
そういう星の下に生まれたとしか言えないほど、ラッキーじゃない人は、いる。
「ホットポテト」と呼ばれるそうです。どこにいても、運が悪い人。
先輩が死んだ。うつで。
先日、訃報を聞きました。
学生時代の先輩でした。
お世話になっていた方でした。
卒業後もイベントなどでたまにお話ししていた方でした。
はためには元気そうでした。
ある時期から先輩の姿を見かけなくなりました。
友人経由で聞いた話では、「仕事を休んで療養しているらしいよ」ということでした。
それくらいならよくあることだろう、とわたしも聞き流していました。
まさか想像もしていませんでした。
先輩は死んでしまいました。
うつを患っていたためです。
自分で自分の命を絶ってしまいました。
葬儀はひっそりと行われたそうです。
身近な人たちだけで行われたそうです。
なので、その人が死んだことも知らない知人も多いそうです。
身近な人もいちいち他人の訃報を話しませんからね。
わたしはたまに、その人が死んだことを知らない知人から「あの人、最近どうなんだろうね」って聞かれます。
わたしは何も答えられません。どう答えれば適切なのかわかりませんので。
「ラッキーな人」が生き残る、うつという病気
これを言うと身もふたもないかもしれません。
だけど最近、わたしは本当にそう思うんです。
ラッキーな人が生き残る。
本人の努力とか、願望とか、関係ない。
ラッキーな人が、うつから生還できるんだと思います。
わたしが今生きているのは、抗うつ薬の効果とか、友達や家族や医師のサポートとか、日々の感情を書きなぐるブログを使えるとか、たくさんの要因があるおかげです。
生き残るための要素がたくさんあった。だから、生きていくことができた。
わたしはラッキーです。
何回もへこたれそうになりましたけど、淵に叩き落とされても、その都度、生きていくためのラッキーチャンスをつかむことができた。
だから、今でもなんとか命をつないでいます。
わたしとその先輩は紙一重です。
詳しい事情は省略しますが、その先輩は、わたしが持っていたものを持っていませんでした。
一言で言えば、身近な環境に恵まれませんでした。
わたしが先輩の環境だったなら、きっと先輩と同じ運命をたどっていたでしょう。
うつから生き残れるのは、ラッキーか、そうじゃないか、ということ。
あんまりじゃないか、って話ですが、そういうことだと思うんです。
運は、人生を左右します。
ラッキーなら、なんとか生きていけるんです。
ラッキーでいられる限り、生きていきます
この年になるといろんな人の訃報を聞きます。
わたしまだ20代なんですけど…周りの人の訃報をよく聞きます。それも同年代の。
誰かの訃報を聞くのと同日に、誰かの結婚の報告を聞いたりします。
混乱してしまいます。
人生っていったいなんなんだろう。
当たり前のように生きている人がいる隣で、誰かの命が消えていく。
とても残酷なことのように思えます。
それとも、これはSNSが発達した現代ならではの現象でしょうか。
だれかの生きざまがすぐに他者と共有される。
こんな時代じゃなければ、ここまで誰かの訃報を聞くこともなかったのでしょうか。
自分より幸せな人の話を聞くと嫉妬で腹の中の魔物が煮えくり返りそうになります。
今に見ていろ、あんたより幸せになってやる!!と息巻いている自分がいます。
あるいは、いいなあいい旦那さんがいて、それに比べてわたしなんて…と不遇っぷりを見返していじけたりすねたりしてる自分がいます。
とても性格が悪いです。本当に意地の悪い人間です。
だけど、自分と同じうつの人の訃報を聞くと、本当に胸が苦しくなります。
そして、自分は「生きなきゃ」って思わされます。
わたしはラッキーです。
うつ地獄のさなかで死なずにすんだのは、ひとえにラッキーだったからです。
わたしは、自分がラッキーである限り生きていこうと思います。
生きていく義務があると思います。
命を捨てずに済んだ幸運を、できる限り引き延ばしていきたいんです。
そうすることで、またさらに大きな幸運に飛び乗ることができるかもしれませんから。
生きていくことはとてもつらいことです。
楽しいことなんてあんまりありません。
悲しい事や苦しい事の方が多いです。
思い通りにいかないことばっかりです。
それでも、「つらいのに生きていられること」じたいは、ラッキーと言うほかないでしょう。
わたしの先輩のように、身近な環境に恵まれなかった人もいるのですから。
この先わたしはどうなるかはわかりませんが、一日一日の積み上げが、未来につながるとしか言いようがありません。
ラッキーである限り、わたしは生きていきます。
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