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亀山 千広(かめやま ちひろ)

1956年静岡県生まれ
早稲田大学政治経済学部卒業
フジテレビ入社後、ドラマのプロジューサーとして「あすなろ白書」「ロングバケーション」「踊る大捜査線」などの数々の人気ドラマを世に送り出す。「海猿」「スウィングガールズ」「THE 有頂天ホテル」などの映画製作でも活躍。99年、04年には、「踊る大捜査線 THE MOVIE」「踊る大捜査線 THE MOVIE2」を大ヒットに導いた功績により、第18回、第23回藤本賞を受賞。
現在、フジテレビ映画事業局長 。

―― 早稲田祭での思い出はなんですか?

一番印象深いのは、二・三年生のときにクラスの有志で妙なサークルを作って、日本女子大の女の子と4号館のラウンジで、占い喫茶みたいな模擬店をやったことですね。僕はカレーを作る係りでした(笑)

―― 学生時代に力を注いでいたことはなんですか?

僕はどうしても映画監督になりたかったので、早稲田に入ってすぐに地元の映画監督の家の前で座り込みをしたんです。「お会いしたい、もしくは他の監督を紹介して欲しい」ってね。座り込みを続けて三日目になってようやく家に上げてもらえた。そこから現場で撮影に入って、映像製作のプロの中でアルバイトを必死にやりました。当時の学生の中には、自分で8mmを撮っている人も沢山いましたが、そういうグループに入るよりも、プロに習ったほうが近道だと思っていました。だから早稲田の飲み屋では、そういう人達とよく喧嘩もしましたね。

―― 亀山先輩にとって早稲田大学とはどういう場所でしたか?

大学ってどこでもそういう場所なのかもしれないけど、色々と考えたし、考えさせられたし、いい意味でも悪い意味でも色々と経験したね。それから他の大学に比べて早稲田はある種一匹狼に優しい所があるから、僕はサークルに入るみたいに人と群れてなかった。早稲田はどこにも所属せずに自分自身を自分で拓いていく人間が集まる場所だった気がしますね。

―― 早稲田で学んだことは役立っていますか?

はっきり言って、大学で学んだことは役立っていません。政経の政治学科でしたが、ジャーナリズムや政治に進まなかったしね。ただ、そこで過ごした4年間は一番多感な時期であり、一人になって色々なことを考えたりしたことは色々な意味でよかったです。沢山時間があったから、「東京中の安い映画館で名作と呼ばれる映画を全部で見てやろう」という気持ちで沢山の作品に触れましたしね。当時見た作品は今も僕の記憶の中にちゃんと留まっていて、それは財産になっていますね。時間は有効に使えたと思いますよ。

―― 「早稲田祭2006」は「なんとなくで回る世界をぶっこわす」ということをコンセプトに掲げています。これには「『早稲田祭2006』のエネルギーに触れ、その人の価値観や世界観を変えてほしい。何か新しい行動を起こすきっかけになってほしい」という願いが込められていますが、亀山先輩でしたら、このコンセプトをもとにどのような作品を創作されますか?

え〜!?(笑)う〜ん…。「このコンセプトをもとにどのような作品を」というよりは、このコンセプト自体が、僕が作品を創っていく中で日々実践していることなんだと思います。
僕は作品の中で主人公を壁をぶっ壊す人として描く。「なんとなくで回る世界をぶっこわす」奴が常に主人公になっているんですよ。『踊る大捜査線』の青島君がその典型でしょう。
ドラマやフィクションを作るには「壁をぶっ壊す」ことをやり続けなきゃいけない。創作活動とはそういう物だと思う。ただ、壊してから創ったんじゃ後に残るものが見えないから不安になる。だから、創るものを先に見せてあげる必要はあると思うね。まず「創る」ということを常に考え、それが面白ければ、前の価値観は自然と壊れる。いや、このコンセプトは素晴らしいと思いますよ。

―― 最後に、「早稲田祭2006」に応援メッセージをお願いします。

映画を例にすると、スタッフが何十人も集まって何ヶ月もかけてつくる。でもそれじゃただの音と絵のついたフィルム。お客さんが見て初めて、「映画」と呼べるものになるんです。「早稲田祭2006」というイベントも来る人にどれだけ楽しんでもらえるかで、そのイベントの価値が決まる。見る人と創る人が一緒の気持ちになれたら、それが一番素敵なことだと思います。
とは言っても、やっぱりアマチュアが創るイベントなんだから、自分たちが楽しみつつ、人のリアクションを見て喜んだり反省したりすることが大切だと思うよ。常に、来場者を意識しながらイベントを創ってほしいと思います。

―― 本日はお忙しい中、どうもありがとうございました。