真田丸で茶人である千利休が切腹しましたが、豊臣秀吉から切腹を命じられた真相はいくつか説があるので、紹介しましょう。
真田丸!石田三成の陰謀説?
千利休が切腹に追い込まれたのは、石田三成に疎まれて、切腹に追い込まれたという説があります。しかし、石田三成は欲の無い人物で、民が苦しい時は年貢を軽くして、佐和山城(石田三成の居城)は財産が全くなかった事が判明しているのです。
そのような欲のない人物が、陰謀をめぐらして千利休を切腹に追い込むのは信じがたいものがあります。ただし、石田三成は豊臣家に忠義をつくす人物で、豊臣秀吉の無茶苦茶な命令でも、石田三成が自ら泥をかぶる事がしばしばありました。そのため、力を持ちすぎた千利休を排除したほうが豊臣家のためと石田三成が考えて陰謀をめぐらしたのなら、この説は有力かもしれません。
真田丸!千利休の木造
真田丸では、茶々のすすめによって、千利休が大徳寺に寄進をしたので、大徳寺の三門に千利休の木造が置かれた事になっています。
しかし、史実では大徳寺が寄進をしてくれた千利休に感謝して木造を作ったと言われているのです。実際のところ山門に千利休の木造を置いた事によって、山門を通った者は、利休から足で踏みつけられる事を意味します。
そのような事から、豊臣秀吉が激怒して切腹を命じたと言われています。実際に豊臣秀吉が激怒したのは間違いありませんから、この説は有力と言えるでしょう。
真田丸!闇の商人
千利休は、茶人であると同時に商人でした。武器を売り渡していた事も史実に載っています。しかし、千利休が北条家に武器を売り渡していた事は、真田丸以外で聞いた事がありません。
恐らく脚本の三谷幸喜さんが「このような可能性があるよ」という感じで、ドラマを脚色したのでしょう。しかし、このような商人で財力があり豊臣秀吉に意見をするような所が、千利休が追い落とされるきっかけになった事は予想できます(千利休は黄金の茶室を作るような豊臣秀吉と価値観が合わなかったと言われています)。しかし、史実に載っていないので北条に武器を売ったために切腹に命じられたのは少し無理のある話かもしれません。そのような事が豊臣秀吉に発覚でもしたら、千利休ほどの人物でしたら、どのような事態に発展するか分かるはずですから。