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【沖縄戦没者追悼式】遺族ら石碑触れ涙「平和は犠牲の上に」

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【沖縄戦没者追悼式】
遺族ら石碑触れ涙「平和は犠牲の上に」

沖縄戦の犠牲者の名前が刻まれた「平和の礎」の前で、手を合わせる遺族 =23日午前、沖縄県糸満市の平和祈念公園 沖縄戦の犠牲者の名前が刻まれた「平和の礎」の前で、手を合わせる遺族 =23日午前、沖縄県糸満市の平和祈念公園

 沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園には23日早朝から遺族らが訪れ、戦没者の名前が刻まれた「平和の礎(いしじ)」の前で祈りをささげ、不戦を誓った。

 澄み切った青空に立ち上る入道雲。沖縄はこの日、朝から気温が上がり、公園には強い日差しが照り付けた。「子供だけでも生き抜いてほしいと思ったんだろうかね」。砲弾が飛び交う沖縄戦のさなか、負傷した父と生き別れた糸満市の山城米子さん(77)は、石碑に刻まれた父の名前を触り、涙を手で拭った。

 当時、父から「私はもう動けないから先に逃げなさい」と言われた。戦後、父は野戦病院で亡くなったと聞いた。「イクサ(戦争)は多くの人の命を奪う。二度と起こしてはならない」と願う。

 祖父に手を合わせるため、子供を連れて訪れた南城市の幼稚園教諭、仲本留美子さん(40)は「多くの犠牲の上に平和が成り立っていると知ってほしい」と訴え、息子の樹生君(9)は「ずっと平和でありますようにとお願いしました」と話した。

 沖縄市の山内盛洋(せいよう)さん(79)は、防衛隊に動員された父と兄、学童疎開船「対馬丸」の撃沈事件で犠牲になった3人のきょうだいの名が刻まれた碑の前にひざまずき、目を閉じた。「これからも家族を見守ってください」

 自身は当時、沖縄本島中部から北へ避難。米軍が撃つ照明弾で夜も昼のように明るくなり、直後に激しい艦砲射撃が続いた。転がる死体を踏みつけ、必死に逃げた。「夏になると当時を思い出す。人間がすることじゃない」と漏らした。

 石碑のそばには地元で「クワディーサー」と呼ばれる南国の樹木が植えられている。枝葉が風に揺れる音に、参列者の一人は「死を悼む人の泣き声に聞こえる」とつぶやいた。

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