あー、今月は久しぶりに40記事以上を書くことができました。過去を遡ってみたところ、昨年の10月が最後だったようです。ちなみに、45記事以上を書くことができたのは、昨年の9月以来でした。やっと復活してきたなー。
今年に入ってからはずっと不調が続いていて、最もひどかったのは、4月の9記事でした。昨年は少なくても20記事は書いていたので、それに比べたらまあひどいものです。
記事数が全てではありませんが、やはりブロガーたるもの書いてナンボな部分というのは確実にあると思っています。書かないとPVの底上げにもならないし、それだとやはり読んでくれる人も増えないし。どうせ書くなら、そこらへんは追求していきたいですよね。
で、今回はその不調の原因を考えてみました。細かくすれば沢山ありますが、一番大きかったのは「変化が少ない環境にいた影響で、マンネリしていた」という事が考えられます。このブログを始めた当初は埼玉のベッドタウンで暮らし、東京へ仕事へ行く、という生活をしていました。
最初はその仕事に関するネタだったり過去の思い出をひねり出しながら書いていたのですが、いかんせんブログを書くためのネタが無くなってきた。それが、昨年の10月頃でした。要は、環境にマンネリを感じてしまっていたんですよね。仕事内容は変わりないし、そもそも働きたくなかったし…(笑)
ただ、当時の僕にはそれしかなかった。なので、そこからネタをひねり出しながら、何とかやっている状態でした。で、そのマンネリさにイライラもしていたのかもしれません。11月に、こんな記事を書きました。
これがまあ…荒れました(笑)はてブ数は僕の記事の中で3番目ぐらいだったのですが、今まで書いた記事の中では1、2を争うぐらい賛否を呼び、言及も多数されました。初めて、全く知らない人にいきなりツイッターで罵倒されるという経験もしました(笑)
思い返せば、これが良くも悪くもターニングポイントになりました。なんというか、疲れてしまったんですよね。もちろん炎上を狙ったわけではなく、本音を語った記事でした。が、ここまでボロクソ言われんのかー…と思うと、ドッと疲れました。
辛うじて12月は年末ということもあり、翌2016年に関するネタもたくさんありました。それらを拾いながら書いていたので、記事数自体はまあまあ稼げていました。しかし、これが最期の悪あがきと言わんばかりに、ここから書きたいネタも、僕自身の書きたい意欲も、どんどん失われていきました。
その頃、イケハヤさんなどの影響で「note」が流行りはじめたこともあり、気分転換も兼ねてそっちを集中的に更新したりもしました。が、効果はあまりありませんでした。
それと同時期に、埼玉に借りていたアパートの更新がありました。2年間の定期更新だったのですが、更新するためには家賃1ヶ月分が必要だという話でした。東京や埼玉などの首都圏で生活することに少し疲れたし、ブログに書きたいネタもここには無くなったし…いい機会だ。動くか。という感じで、僕は東京を後にして、新潟へ移動しました。これが2016年1月下旬の話でした。
新潟市は政令指定都市なので、仕事はすぐ見つかろうと思っていたし、実際すぐ見つかりました。合わせて、ブログに書きたいこともすぐに溢れんばかりになるだろう。最初はそう思っていました。しかし、そう上手くはいきません。すぐに、東京時代と同じようにネタは枯渇していきました。
原因として考えられるのは、前述した「新潟市が政令指定都市だ」ということ。NGT48などのタイムリーな話題はありましたが、生活のリズムとしては東京時代とほぼ同じ。平日は会社勤めをして、休日は街中を散策するも、街並みは埼玉で住んでいた所沢市と似ている。ご飯は安いし美味しいけど、それでネタを引っ張るのも限界がある。と次第に感じていきました。
その時の職場も、東京に本社がある会社の新潟支社。仕事内容も、東京でやっていた事と似ている内容。東京に本社がある会社だったので時給は良かったのですが、僕の中では「東京時代の延長」になってしまっていたのでしょう。ブログを書くモチベーションは、あまり回復しませんでした。
そのマンネリからか、記事数は減っていく一方。先々月の4月の更新数は、まさかの9記事…1ヶ月生活して1桁しか書かない、書けないのは初めてでした。ショックでした。
そして、先月の5月。職場の人間関係も上手くいかず、4ヶ月勤めた会社を辞めました。東京時代も散々勤めて辞めてを繰り返していて、僕は完全に長く勤めるということが出来なくなっていました。
このまま入って出てを繰り返していても、何のいい事はない。もういっそのこと、会社勤めはせずに生きていく方法はないか?それを探そうと思いました。しかし、当面の生活費すら危うい状態で、ブログの稼ぎも全然足りない。親に頼ることもできない。どうしよう…と不安に襲われていました。市内にある「地域若者サポートステーション」という場所にも行き、今後の相談をしました。
しかし、結局出た結論は「親元に帰れ」ということ。仮に親元に帰ったとしても、親は「早く仕事を見つけて出ていけ」としか言いません。3年前に初めて会社を辞めて一時的に実家に戻った時も、そんな感じでした。だから、実家には戻らずに何とかしようと思いました。
でも、どうすればいいのかは出てこない。失業保険のことも考えましたが、支給までに3ヶ月以上かかるしな…本当にどうしよう。万策尽きたかな…やっぱり実家に帰るしかないのかな?と考えていた時、僕のツイッターアカウント宛てに
@yoshiki_niigata はじめまして!どうしようもなくなったらぜひ十日町へいらしてください😊新潟移住されたときから応援しています!
— コバ湯(お休み中) (@hacoaco3) 2016年5月18日
こんなメンションが送られてきました。
これは、現在僕が新潟市と合わせて滞在させてもらっている「ギルドハウス十日町」の方からのメッセージでした。万策尽きたと思っていた僕は、速攻でギルドハウスのマスターである西村さんと連絡をとり、すぐに十日町へ行きました。この時ほど、人との縁に感謝したことはありませんでした。これが、5月19~20日の間での出来事でした。
ギルドハウス十日町に関しては、こちらの記事をご覧ください。
そんなこんなで、現在僕は何とかブログの稼ぎだけで生きていくことが出来ています。紆余曲折あり、一時はブロガーとして生きていくのをやめようかとも思いましたが、ギリギリのところで踏ん張ることができました。
ギルドハウスがある十日町市というのは、
・住みやすいコンパクトシティ
・地方移住に物凄い力を入れている
・祭りやイベントが大好きな人ばかり
・ド田舎の豪雪地帯というネタには困らない環境(笑)
といった、ブログのネタになりそうなことが目白押しです。だからこそ、僕も十日町市に行ってから記事数を増やすことができました。
最近本当に感じるのは、環境というのはめちゃくちゃ大事だということです。特に僕のようなブロガーは、日々の生活を通じてインプットとアウトプットを繰り返し、それを記事にしていくスタイル。なので、環境がもたらしてくれるものはとても大きいということを、今回の経験で思い知らされました。
ただ、ここまで書いておいてアレですが、昔から僕は日本全国をフラフラしたいという願望があります。ブログを書きながら旅をするなんて、考えただけで最高じゃないですか。なので、ずーっと十日町市にだけ居ようとは思っていません。まあ、基本的に自由奔放な人が多いのも十日町の人々の良いところなので、「おお、好きなところへ行けばよろし!」なんて言われそうですけどね(笑)
最後に何が言いたかったかというと、「アウトプットの量と質というのは、環境に依る割合が非常に高いよ!」ということです。僕はこれからも、自分のアウトプットが最大限発揮できるような場所へ行きたい。ただそのためには、今の自分の周囲にいる人を大事にする事も重要だと思いました。「ご縁」というのは、お金では買えませんからね。