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無職転生 - 異世界行ったら本気だす - 作者:理不尽な孫の手

第7章 青少年期 入学編

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第六十八話「入学初日・後編」

 ホームルーム終了後、ザノバらは授業に行ってしまった。
 彼らは授業免除ではないのだ。

 クリフは真面目そうだから当然として、
 リニア、プルセナは授業なんかボイコットしそうな感じに見えたが、真面目に出席しているらしい。

 ザノバによると、2時間ほどしたら昼休みになるらしい。
 一緒に食事を取りましょうとにこやかに誘われた。
 嬉しいことだ。

 俺もそのうち授業を取ろう。
 しかし、目的を履き違えてはいけない。
 俺は決してこの学校に勉強しにきたわけではないのだ。

 とはいえ、2時間もボケッとしているわけにはいかない。
 遊びにきたわけでもないからな。

 さしあたって。
 まずは学校内の施設を見て回ることにした。
 一応、各教室の場所は聞いたし、地図でも見た。
 だが、実際に自分の足で見て回った方がいいだろう。

 そう思い、俺は歩き出した。

 まずは保健室。
 この学校の保健室は広い。
 ベッドが8つほど並び、二人の治癒術師が常駐している。
 それだけ、魔術による事故でケガをする人が多いのだろう。
 今も、俺の2倍ぐらいの身長を持つ男が担架で運ばれてきている。
 片腕を抑えており、足が変な方向に曲がっている。
 治癒術師の片方が患部を抑えつつ、早口で詠唱する。
 中級の治癒魔術だ。
 男はすぐに苦悶の表情を和らげた。

 邪魔になるといけないので、その場を立ち去る。
 ていうか、入り口のプレートをみてみると「第一医務室」と書かれていた。
 保健室じゃなかったよ。


 次に赴いたのは体育倉庫だ。
 この部屋は、先日試験をした修練場に隣接した場所にある。
 もちろん入り口には鍵が掛かっている。
 教員棟から鍵をもってくるか、体育教師から借りるか。
 もしくは無詠唱魔術でちょちょいと解錠しなければ開ける事は出来ない。

 俺は無詠唱魔術でちょちょいと解錠し、中に入り込んだ。
 中はややかび臭く、埃っぽかった。
 見た感じ、体育倉庫というより、普通の倉庫という感じだった。
 棚には剣道の仮面のように、皮の兜や胸当てが並び、
 隅には魔術杖が傘立てに突っ込まれた傘のように何本も置いてある。
 鉄で出来たカカシや、よくわからん白い粉の入ったツボが置いてある。
 だが、求めるものはなかった。
 この学校では高飛びや床運動はしないらしい。
 ていうか、名前も体育倉庫じゃなくて「修練用具室」だった。


 次は屋上にしようかと思ったが、この学校に屋上は無い。
 雪が多く降る地域だというのもあり、基本的に傾斜の深い屋根がついている。
 屋根裏部屋もあるらしいが、とりあえず今回はやめておいた。

 屋上がダメなようなので、図書館を目指す事にする。
 この学校の図書館は独立した建物になっている。
 校舎から出て十数分ほど歩くと、2階建ての建物にたどり着く。

 中に入ろうとすると、玄関のような場所で守衛に止められた。

「止まれ!」
「え?」
「見ない顔だな、新入生か? 授業はどうした?」
「えっと、はい、新入生です。特別生で、授業は免除です」
「生徒証を見せろ」

 俺は若干きょどりつつも、懐から先日もらったばかりの生徒証を取りだして渡す。
 守衛は俺の顔をジロジロと見つつ、よし、と確認。
 入念なボディチェックをされる。
 その後、図書館の利用についての注意事項について大雑把に話された。

 図書館の中では魔術は禁止。
 本の持ち出しは基本的に厳禁だが、一部は貸出し可能。
 その場合、内部にいる司書に許可を得て、名簿に記入する必要がある。
 当然ながら、本を破いたり汚したりすると罰則がある。

 どこにでもある図書館の決まり事だが、
 本を激しく損壊させた場合、罰金や退学もありえるそうだ。

 ちなみに基本的に図書館にある本は、全て写本だそうだ。
 写本でも損壊させれば退学。
 この世界では本は高価だから当然か。

「それにしても、ずいぶんと厳重ですね」
「以前、本のすり替えを行った不届き者がいたからな。あろうことか市場に売り払っていたのだ」

 という事だそうだ。


 図書館に入ると、ふわりと本のにおいがした。
 カビ臭いとも、インクの臭いとも、紙の臭いとも取れる、あの独特の香りだ。
 ふと見ると、入り口のすぐそばにはトイレがあった。
 青木まりこ現象への対策だろうか。

 俺は司書に軽く挨拶をし、奥へと進む。
 入口付近には机やテーブルが並び、その奥には背の高い本棚がずらりと立ち並んでいた。

「おお」

 俺は思わず感嘆の声をあげていた。
 この世界にきてから本は何冊も読んだが、
 これほどまでに大量の書物が並んでいるのを見るのは初めてだ。
 吹き抜けの構造になっており、二階はやはり本棚に占拠されている。
 各所に机と椅子があるのは、やはりここで勉強する者が少なからずいるからだろうか。
 調べ物をするにも丁度いいだろうし。

「あ」

 と、そこで俺は人神の助言を思い出した。

『ルーデウスよ、ラノア魔法大学に入学しなさい。
 そこで、フィットア領の転移事件について調べなさい。
 そうすれば君は男としての能力と自信を取り戻すことができるでしょう』

 今まで、最後の一文ばかり気にしていた。
 だが、『転移事件について調べろ』とも言われていたのだ。
 危ない所だった。
 すっかり忘れていた。

 丁度いい。
 これだけ本があるなら、転移について詳しく調べる事もできるだろう。
 しかし、さて、これだけの本だ。
 どこから手を付けていいのやら。

「司書に聞くべきかな……?」

 いや、と俺は首を振った。
 とりあえず、今からすぐに始める必要はないはずだ。
 あの転移事件の真相については、アスラ王国でもまだ判明できていないようだし。
 俺がちょっと調べてすぐに分かるというものでもなさそうだ。
 とりあえず、どのジャンルの本がどこにあるかを把握しておくだけでいいだろう。

 そう思い、俺は本棚の間を練り歩く。
 実に色んな本があった。
 人間語の本が大半だったが、中には魔神語や獣神語のものもある。
 闘神語の本もあった。
 見知らぬ文字は天神語だろうか、それとも海神語だろうか。
 俺の読める文字に翻訳して欲しい所だ。

「あっ!」

 背後から、小さな叫び声が上がった。
 振り返る。
 白髪にサングラスを付けた少年が俺の方を見ていた。
 フィッツだ。
 彼は数冊の本と巻物を抱えていた。

 俺は慌てて直立不動の姿勢を取り、頭を下げた。

「先日は申し訳ありませんでした。
 僕の浅はかな行動で先輩の顔を潰すような事になってしまいました。
 いずれ菓子折りでも持って挨拶にでも出向こうと思っていましたが、
 何分新入生ゆえ、あれこれと忙しく……」
「うぇぁ!? ……い、いいよ、頭を上げて」

 生前、俺が尊敬していた人にマサという人物がいた。
 彼は世間の荒波を土下座だけで乗り切っている社会人だ。
 彼のテクニックの一つに『何かしでかした時、トイレ等で先に平謝りしておく事で、重要な場で唐突に怒鳴られないようにする』というものがある。
 俺に対してよろしくない感情を持っていたフィッツは慌て、やや許す方向へと感情が流れている。
 成功だ。

「ルデ……えっと、ルーデウス君? 君はここで何を?」
「少々調べ物を」
「何について?」
「転移事件です」

 そう言うと、フィッツは眉根を寄せた。
 何か変なことを言っただろうか。

「転移事件を? なんで?」
「僕もアスラ王国のフィットア領に住んでいましてね。例の転移事件では魔大陸まで飛ばされました」
「魔大陸!?」

 フィッツ先輩は、やや大げさに驚いていた。

「ええ、かえってくるのに三年も掛かりました。その間に家族は見つかったようですが、まだ知り合いの一人も見つかりませんし、いい機会だから、詳しく調べて見ようと思いましてね」
「……もしかして、それを調べるためにこの学校に?」
「そうです」

 まさかエレクティル・ディスファンクションを治療するためとはいえない。
 もっとも、転移事件について調べたいというのも嘘ではない。
 あの事件がどうして起きたのか、知っておきたい気持ちもあるのだ。

「そっか、やっぱり……すごいや」

 フィッツはそう言って、ポリポリと耳の裏を掻いていた。
 まだ何も発見していないうちにすごいとはどういう事だろうか。
 というか、やっぱりってどういう事なんだろうか。
 まあいい。

「先輩はここで何をしてるんですか?」
「あっと、そうだ。資料を運ぶ所だったんだ。ボクはもう行くよ。ルーデウス君。またね」
「あ、はい、また」

 フィッツは慌てた様子で言うと、踵を返して司書の方に行こうとする。

「あ、そうだ。転移についてならアニマス著の『転移の迷宮探索記』を読むといいよ。
 物語形式だけど、分かりやすく書いてあるから」

 フィッツは最後にそう言い残し、去っていった。

 あまり喋るのが得意そうではない感じだったが、
 しかし悪い感じはしなかった。
 試験の事も根に持っていないようだ。
 目線が強いから誤解していたが、わりと良い人なのかもしれない。


---


 俺は司書に『転移の迷宮探索記』の場所を聞き、
 昼食までそれを読みふけって過ごした。
 分厚い本ではなかった。
 手帳ぐらいの厚さで、ページ数は100ページもない。

 アニマス・マケドニアスという北方大地出身の冒険者が迷宮に挑む、という話だ。
 彼の挑んだ迷宮は『転移の迷宮』。
 全ての罠が転移罠という珍しい迷宮だ。
 そこに住む魔物は五種類。
 全て知能が高い魔物で、迷宮の構造や、転移罠で飛ばされる場所を理解している。
 運悪く転移罠で一定の地点に足を踏み入れると、大量の魔物が待ち構えていて、殺されてしまう。
 戦闘中に転移罠を踏まないようにするのは困難だ。
 少しでも乱戦になれば、すぐパーティがバラバラにされる。
 極めて難易度の高い迷宮に分類される。

 アニマスは仲間と共にその迷宮に挑みつつ、そこにある転移罠について調べていく。

 転移罠は主に3種類存在する。
 一つは、一方通行の転移。必ず同じ場所に出るが、戻る方法が無い。
 一つは、相互通行の転移。転移した場所に、戻るための魔法陣がある。
 一つは、ランダムの転移。どこに出るかわからない。

 転移の迷宮では、基本的に魔法陣での転移を繰り返しつつ、奥地を目指していく。
 だが、その魔法陣の中にはランダム転移が混じっている。
 間違ってそれを踏んでしまえば、パーティはバラバラになり、一人で魔物の大群と戦うハメになる。

 ランダム転移魔法陣の見分け方についての考察も載っていた。
 アニマスは物語の中盤で発見されたその方法を使い、どんどん迷宮の奥地へと進んでいく。
 アニマスたちは次第に調子に乗る。もはやこの迷宮は攻略したも同然だと。
 だが、見分ける方法は確実ではなかった。
 物語の終盤で見分けるのに失敗し、ランダム転移を踏んでしまう。
 アニマスは大量の敵に囲まれ、片腕を失いつつも、なんとか生還。
 しかし、一度に三人の仲間を失ってしまった。
 アニマス自身もすでに戦えない体となり、冒険を断念。
 物語はそこで終わり、これを読んだ者にあの迷宮の攻略を任す、と書かれていた。
 フィクションだかノンフィクションだかわからん話だ。

 それにしてもパーティ分断でモンスターハウスとは、かなりエグいな。

 生前のRPGなんかでも、似たようなダンジョンはあった。
 しかし、クリアできる事を前提としたゲームと違い、この世界の迷宮はゴールに辿りつけないという可能性もある。
 他の冒険者も言っていたが、迷宮は必ず最奥の魔力結晶までたどり着けるようになっている。
 だが、一つぐらいゴールのない詐欺ダンジョンがあったとしても、俺は驚かんよ。

 巻末には、ランダム転移についての考察が載っていた。
 ランダム転移はランダムとは言われているが、魔法陣によって転移する範囲はある程度決まっているらしい。
 また、洞窟内であっても、土の中などに転移する事は滅多にないそうだ。
 アニマスの推察だと、これは転移先の魔力と転移物の魔力が反発するからで、他人の体内に直接攻撃魔術を生成する事が出来ないのと同じ原理だろう、と書かれていた。

 他人の体内に直接攻撃魔術を生成することは出来ない。
 ということに関しては、俺もなんとなく知っていた。
 だが、治癒魔術は相手の体内で行う。
 このへんは俺が治癒魔術を無詠唱で出来ない理由の一つだが……今は置いとこう。 

 転移に関しても、そうした例外理論的なものが働くのだろう。
 攻撃魔術は土の中に発生させることができるが、転移は無理。
 案外、理論としては単純で、人の身体を何かある空間に移動させるには、余計な魔力が必要とされる、という程度の事かもしれない。

 などと考えていると、正午の鐘が鳴った。
 時間が経つのは早いものだ。


---


 ザノバとの待ち合わせ場所に移動し、食堂に行く。
 食堂も独立した建物だった。
 三階建てで、階層によって生徒の住み分けが出来ているそうだ。

 三階は人族の王族や貴族。
 二階は人族の平民や獣族。
 一階は冒険者や魔族。

 これは差別というより、区別だろう。
 人族の貴族が冒険者や魔族といった者と一緒に食事を取ると、余計な諍いが起きる。
 テーブルマナー一つ取っても大きな違いがあるしな。

 俺は冒険者だから一階でいいだろうと思っていたのだが、

「ささ、どうぞこちらへ」

 カウンターにてザノバのオススメとかいう定食を受け取った俺は、
 彼に引きずられるように三階へと移動する。

「うっ……」

 俺が階段から姿を現すと、階上にいた人々の視線が一気に集まるのがわかった。
 にじみ出る平民臭というのもあるだろうが、俺の今の格好も悪い。
 外に出るのは寒いからと、制服の上からローブを着込んでいるのだ。
 五年前に購入した鼠色のローブは、裾の方はすでにボロボロで、胸には大きな縫い跡が残っている。
 最近背が伸びてきた事もあって、微妙に小さい。
 ハッキリ言って、みすぼらしい。

 寒さ対策にローブを着ている奴は1~2階には何人かいた。
 だが、3階には一人もいない。
 暖かそうなマントやカーディガンを付けている者ばかりだ。
 分かりやすく例えるなら、みんなスーツを着ている所に、ジャージが俺一人。
 服装に頓着しない俺でも、さすがにこの空気は読める。

「ザノバ、ちょっとここの空気は僕と合わないと思うので、せめて2階で食べませんか?」
「2階はいけません、リニアとプルセナがおりますゆえ」
「じゃあ1階は?」
「1階はテーブルマナーも知らぬ粗野な者が多く、仮にも王族たる余が混じるべきではありませんゆえ」
「じゃあもう別々に食いましょうよ」
「そんな殺生な。余がいままで師匠に会えず、どれだけ我慢してきたと思っているのですか。せめて食事ぐらいは……」
「師匠に我慢させないでくださいよ」

 階段の端で押し問答。
 階段は広めに作られているが、通りゆく生徒はやはり迷惑そうにしている。
 と、その時である。

「キャー、ルーク様よ!」

 階下から何やらかしましい声が聞こえ始めた。
 その黄色い声はだんだんと近づいてくる。

「ルーク様ー、次はあたしとー」
「いやん、ルーク様のいけず」
「ねえルーク様、今度のデート、あたしも行ってもいいですか?」

 女に囲まれて登ってくるのは一人の色男だ。

「いやー、ごめんね。デートは一度に二人までって決めてるんだ。ほら、腕は二本しか無いし、三人以上連れてあるいたらあぶれる子が出ちゃうだろ?」
「えー、残念ですぅー」
「フフッ、悪いね、ほら俺って人気者だから。また次の機会にデートしよう。確か、来月なら左側が空いてるからさ」

 階下からスゲーセリフを吐きつつ現れたのは、パウロ似の少年だった。
 両脇には制服の胸元が窮屈そうな女の子。
 彼女らの腰に手を回しつつ、ヘラヘラと笑いながら、階段を登ってくる。

 確か、入学式で見た奴だ。
 ルークとか言ったか。
 苗字はなんだ、ス○イウォーカーか?

 などと考えていると、眼があった。

「お前……」

 ルークの目が細められた。
 ヘラヘラとした顔が、だんだんと険しくなっていく。

「確か、フィッツの……」

 言われ、俺は即座に頭を下げた。
 この人もフィッツと俺の試合を見ていたらしい。
 フィッツはもう怒っていないようだが、彼は仲間をやられてご立腹なのかもしれない。
 こういう奴らはグループ全体のメンツを気にするからな。

「はじめまして、ルーデウス・グレイラットです。
 本日からこの学校でお世話になります、よろしくお願いします先輩」
「ああ、知ってるよ。フィッツから聞いた」

 ルークは不機嫌そうに俺を見てくる。

「で、お前は俺の名前、知ってるのか?」
「いえ……」

 世紀末覇者の弟のような事を唐突に聞かれ、俺は首を振った。
 ルークという名前は聞いたが、本名は知らない。

「そうか、眼中に無いか、そうだよな」
「す、すいません。よろしければお名前を聞かせてもらえますか?」

 ルークはしばらく、俺の顔を不機嫌そうに眺めた後、
 フンと鼻息を一つ。

「ルーク・ノトス・グレイラットだ」

 吐き捨てるように言って、俺の前を通り過ぎた。

「えー、なにあれ、ありえなくないですかー」
「てゆーか、あのローブ、ダサすぎー、端とかスリきれてるしー」
「破けたんなら新しいの買えばいいのにねー」

 取り巻き系女子の批難する声が、聞こえるように降り注ぐ。
 が、俺の耳にはそんな事は入っていなかった。

 ルーク・ノトス・グレイラット。

 俺の父親であるパウロの旧名は、パウロ・ノトス・グレイラット。
 隠し子ですか?
 いいやまさか。
 パウロはもう、ノトスの名前を捨てている。
 それを堂々と名乗っているってことは、恐らく……従兄弟か何かだ。

「師匠、厄介な奴に目を付けられましたな」
「やっぱり、今ので目を付けられてしまったことになりますか」
「奴はルーク、アスラ王国の上級貴族で、一応は生徒ですが、アリエル王女の護衛ですな」
「……何にせよ、ここで食べるのはやめておきましょう」
「仕方ありませんな」


 その後、俺たちは妥協案として外で飯を食べる事にした。
 天気もよかったし、土魔術でちょちょいと椅子とテーブルを作り出し、即席のカフェテラスの出来上がりだ。
 ザノバはそんな魔術一つに「うおお」と叫び声を上げて感動していた。
 目の前でこれだけ感動してもらうなら、俺としても嬉しい。

 食事中、彼からアリエル王女とその御一行様の事について聞いた。

 アリエル・アネモイ・アスラ。17歳。
 正真正銘のアスラ王族。
 第二王女。
 子宝に恵まれなかったアスラ正妃のたった一人の娘で、王位継承権は若くして三位。
 正妃は彼女を産んだ後、産後の肥立ちが悪く、子供の産めない身体になったそうだ。
 アスラ正妃が生んだ、たった一人の正当なる血筋の子供。

 アスラにはアリエルの他に、次期国王を目指す二人の王子が存在している。
 第一王子と、第二王子。
 彼らの傘下にはアスラ王国でもトップクラスの有力者がひしめいている。
 擁立する王子が国王になれば、その下で甘い汁を吸うことが出来る。
 だが、人数も多く、必ずしも甘い汁が吸えるというわけではないらしい。
 大臣グループにも序列があるから、当然だ。
 序列の低いものは、蔑ろにされる。

 そこで、新たに生まれた第二王女に、甘い汁が吸えそうにない者達が飛びついた。
 第二王女派と呼ばれる派閥が出来上がった。
 が、4年ほど前に、そのグループの最大権力者が失脚。
 第二王女は留学という名目で、この学校へと流刑になった。

 そんな王女には、二人の護衛が付いている。

 片方が、フィッツ。
 『無言のフィッツ』。
 無詠唱で魔術を行使する人物。
 失脚騒動で王女が暗殺されかけた時、凄まじい戦闘力で暗殺者を返り討ちにしたのだとか。
 長耳族なのはわかっているが、どこで生まれ、何をして生まれ育った人物なのかまったくの謎。
 無詠唱を教える事のできる人物など限られている。
 なのに、師匠がわからないそうだ。
 アリエル一行も彼の存在を隠そうとしている傾向があるらしい。
 その事からフィッツは、アスラ王宮が秘密裏に育て上げた血も涙もない戦闘機械(キラーマシーン)か何かである、とか言われているそうだ。

 護衛のもう片方はルーク。
 ルーク・ノトス・グレイラット。
 ノトス家の現在の当主である、ピレモン・ノトス・グレイラットの次男。
 彼は元々、アリエル王女の守護騎士として、生まれた時から英才教育を受けていたらしい。
 失脚してもなお守護騎士を続けているのは、万が一、王女が失脚から立ち直り、再び王位争いに戻ってきた時の保険だからだそうだ。

 彼らは入学当初から脚光を浴び続け、羨望の的であると同時に、畏れ敬われているそうだ。

「もっとも、この話には余の推測も含まれていますので、ご注意を」

 ザノバはそう締めくくった。

「ああ。ありがとう……ていうかザノバ、よく知ってるな」
「調べさせられましたので」
「誰に?」
「愚かな二人の獣族に、です」

 リニアとプルセナか。
 ザノバの表情は苦悶のそれだった。
 パシリにでもされてるのだろうか。

「ザノバ……君は、あの二人にイジメられてるんですか?」
「イジメ? いえ、ただ余は戦いに敗れ軍門に下った、それだけの事ですゆえ」
「軍門にね」

 ザノバはやや難しい顔をしている。
 だが、声音は平坦だ。
 彼が納得しているならいいんだが……。
 イジメってのは外に出ないように行われるからな。
 もしこいつが悩んでいるのなら、助けてやりたい。

 とはいえ、相手の力は未知数だ。
 ザノバと徒党を組めばあるいは、と思うが。
 ドルディア族って獣族の中では特別な種族らしいから、他の獣族も敵に回しそうで怖いんだよな。
 あいつらすぐ偏見でモノを見るし。常識違いすぎて怖い。
 いや、もちろんいい奴もいるんだけどな。
 ギレーヌとか。
 それに、俺はいじめられっこの味方だ。

「何か嫌なことをされそうになったら言って下さい、微力ながら力になります」
「ハハハ、師匠にお手数は掛けませぬゆえ、ご安心を。
 そんなことより人形の話をしましょう!」

 ザノバはそう言って笑っていた。
 ふーむ……。
 まあ、もう少し様子を見るか。


---


 昼食後、俺は散策に戻った。
 しかしながら、他に見ておくべき場所も思いつかなかったので、
 ざっと校舎内を見て回った後、図書館へと戻ってきた。

 転移についての文献を漁る。
 が、そもそも俺は図書館というものを今まで利用した事がない。
 文献を探すだけで、かなりの時間が掛かってしまった。

 司書さんに蔵書リストを見せてもらい、
 そこから「転移」という単語をタイトルに含むものをピックアップ。
 さらにそれを本の海から探しだす、と。
 それだけで数時間だ。

 しかも、持ってきた本は転移についての詳しい文献ではなかったり、
 専門用語や難しい言葉で書かれているものであったり。
 俺の知らない言語で書かれていたり……。
 知識を知らなければ読み解けない本が大半だった。

「とりあえず、本格的に調べるなら、せめてノートぐらい欲しいな」

 読んで憶えるにも限界がある。
 そう思い至った俺は、本をキープしといてもらい、外に出た。


 外は夕暮れ時だった。
 授業を終えた生徒達が、チラホラと寮へと戻り始めている。
 図書館に入っていく者もいるようだ。

 俺はその流れに逆らうように購買へと向かった。

 購買は、本校舎の入り口付近にある。
 購買というより、雑貨屋といった感じのする区画だ。
 中に入ると、数人の生徒が和気あいあいとしながら買い物をしていた。

 ざっと見渡すと、魔術教本や魔石、ローブ、木剣、初心者用の杖などが置いてある。
 他にも、カバンや靴、石鹸といった日用品も置いてあった。
 また、干し肉や燻製肉といった食料や、飲料水・酒といった飲み物の瓶も置いてある。
 要するに、なんでも置いてある感じだ。

 俺は適当に紙束とペン、インク、そして紙束をまとめるための紐を購入し、その場を後にした。
 そもそも、俺は学校にいくのにそんなものも買っていなかったのだ。
 まったく何をしにきたんだろうか。
 もちろん、病気を治療しにきたのだ。
 今のところ、取っ掛かりは無いが。


 購買を出ると、周囲は暗くなっていた。
 街灯のようなものはなかったが、道がぼんやり光っていたので、そのまま歩く。
 すでに冬は終わったとはいえ、まだ道には雪が残っている。
 足元に気をつけつつ、寮への道を急いだ。

 周囲には誰もいない。
 遠くから喧騒が聞こえるが、ちょうど人のいない空間に迷い込んでしまった感覚を受けた。

 本校舎からだと、女子寮、男子寮順に並んでいる。
 女子寮の前を横切るように道は続いている。
 俺は特に深く考えず、その道へと足をまっすぐに進んだ。
 その時だ。

「ん?」

 ふと上から何かが落ちてきた。
 白い。
 だが、雪ではない。
 反射的に掴みとった。

「おおう」

 広げてみると、それは純白の布であった。
 やや飾りのついた、しかし派手ではなく、清楚な印象を受ける布だった。
 具体的な名称を上げると、おパンティだった。

 誰かが陰干しでもしようとしたのかもしれない。
 そう思って見上げると、落とし主と目があった気がした。
 が、暗くてその顔が判別できない。
 でも、どこかで見たような……。

「……えっと、おとしまし」
「キャァァァァ! 下着泥棒!」

 えっ?

 女生徒の叫び声。
 上からではない。
 後方から聞こえた。
 慌てて振り返ると、俺の方を指さし、叫んでいる人影。

 誤解だ。
 と、思った時にはもう遅い。

 叫び声と時間差で、ベランダの窓がバンバンと開く。
 そして、一階からそのまま飛び出してくる影。影。影。
 気づけば、俺はパンツを掲げ持った姿勢のまま、包囲されていた。
 何がなんだかわからない。

「あ、えっと、あの……」
「ふん!」

 先頭に立っているのは、やたらとガタイのいい女子だった。
 女子というか、女というか、山賊というか、ゴリラというか。
 そんな感じの方だった。
 肩幅が俺の2倍近くある。
 獣族か……? いや、魔族かもしれない。

「変態のクズが」

 混乱する俺に、その女子はペッと唾を吐いた。
 いきなりの罵倒。
 森の賢者の所業とは思えない。

 なんだ。
 どうなってるんだ。
 なぜいきなり下着泥棒扱いされてるんだ。
 確かに俺は下着に興味津々な15歳の少年だが、
 今回は盗もうとしたわけでも、嗅ごうとしたわけでもない。
 上から落ちてきたものを落ちる前に拾い、持ち主に返そうとしただけだ。

「ちょっと、待って下さい、僕は何もしていません」
「何もしていない?」

 ゴリラ系女子に腕を掴まれる。
 でかい手だ。

「じゃあ、その手に持ってるのは、なんなんだい?」

 俺の手には、確かにブツがある。
 それが証拠品だと言わんばかりの顔だ。
 周囲の目線が痛い。
 これは間違いない、敵意の視線だ。
 足が震え出す。

「それ、アリエル様の下着じゃないか。いくら姫様に憧れてるからって、こんな時間に堂々と、恥を知りな!」

 ゴリラさんの啖呵に、周囲の女子も「そうよ!」「変態!」「死ね!」などの罵声を俺に浴びせてくる。
 なんなの、すでに泣きそうなんだけど。

「ほら、こっちにきな、二度とこんなことが出来ないように後悔させてやっから!」

 腕と肩を捕まれ、引きずられる。
 わずかに抵抗を試みるも、俺の靴の裏にズルズルと轍が残るだけだった。
 パワーがダンチだ。
 俺も鍛えているつもりだったが、筋肉量が違いすぎるのか。

 俺はこのまま建物の中に引きずり込まれ、
 見るも無残なリンチを受けるハメになるのだろうか。
 冤罪で。

 逃げるか?
 悪いことをしていないのに?
 逃げたら、俺が悪いと喧伝することになるんじゃないのか?
 どうしよう、電車で痴漢冤罪受けた時ってこんな感じなんだろうか。
 話してわかってもらえるのか?
 すでに決めつけられているようだが……。

 いや、こういう時こそ強気で行くべきだ。
 俺は何も悪いことをしていないんだから。
 そう思って、土魔術を使い、足元を固定した。
 引きずる動きが止まり、ゴリラが意外そうな顔をする。
 それから、見透かしたように嘲笑した。

「へぇ、なんだい、開き直って暴れるつもりかい?
 下着泥棒のくせに図々しいじゃないか。
 この人数相手に勝てるとでも思っているのかい?」

 どうだろう。
 勝てない感じはしないが。
 しかし、下着泥棒。
 ここで暴れても、俺が下着泥棒のレッテルを張られる事には変わらない。
 冤罪でだ。
 それどころか、暴れれば婦女暴行の罪まで重なる。こっちは冤罪じゃなくなる。
 署名活動とかされて退学まで追い込まれる可能性すらありうる。
 参ったな。
 どうすりゃいいんだ。

「待って! その連行、ちょっとまって!」

 そこに、やや甲高い少年の声が響き渡った。

「フィッツ様!」
「えっ! フィッツ様!?」
「フィッツ様が喋った!?」
「どうしてここに!?」

 人混みを割いて現れたのは、白髪頭にサングラスを付けた小柄な少年だった。
 フィッツだ。

「ごめん。その下着、ボクが干そうとして落としちゃったんだ。
 彼は拾ってくれただけなんだよ」

 フィッツは肩で息をしつつ、俺とゴリラの間にはいる。
 そして弁明をしてくれた。
 ゴリラはフンと鼻息を一つ。

「フィッツ……様。あんたがアリエル様に下着の洗濯まで任されてるのは知ってるよ」

 でも、とゴリラが続ける。

「それとコレとは別の話だよ。こいつはこんな時間に、こんな所を歩いていたんだ。
 日没後、この道は女子しか通っちゃいけないって決まってるのにね」

 そうなのか?
 通行止めの看板はなかったが。
 戸惑う俺を尻目に、フィッツは首を振る。

「彼はまだ新入生なんだ。特別生だし、一人部屋だからルームメイトもいない。
 寮の細かいルールをまだ知らないはずなんだ。
 見逃して上げてほしい」

 フィッツは必死だった。
 聞いている俺にも必死さが伝わってくる声音だった。
 なんだかしらんがありがてえ。

 ゴリラの顔がこっちを向く。
 本当かい? と言わんばかりだ。
 俺はコクコクと首を縦に振った。

 ゴリラはしばらく俺の手を掴みつつ、フィッツの顔を見ていたが。

「ふん、あの無口なフィッツ様がここまで弁護してるんだ。本当の事なんだろうよ。けど、こいつが寮の協定を破ったのも本当だ。見せしめとして、罰は受けてもら……う!?」

 そう言って彼女は俺を引きずろうとし、動きを止めた。
 いつのまにか、フィッツが杖を抜いていた。
 その先端をゴリラの顔面に突きつけている。

「彼は悪くないと言ってるだろう。
 いいから、その手を離せ……」
「ふぃ、フィッツ……様?」

 怒気の混じった声。
 周囲がざわめいた。
 暗がりの中、ゴリラの顔が青ざめていくのがわかる。

「それとも、ここにいる全員、医務室送りになりたいのか?」

 かっこいい。
 俺もこんな啖呵切ってみたい。

「チッ……わかったよ」

 やや乱暴に手が離された。
 羽交い絞めにしていた子も離れる。
 手首がヒリヒリする。
 だが、治癒魔術は必要なさそうだ。

「フィッツ様、今日の所はあんたの顔を立てといてやるよ。
 けど、そっちのお前!
 二度と今以降の時間帯に女子寮の近くをうろつくんじゃないよ!
 今度見つけたら、次は容赦しないからね!」

 ゴリラはそんな捨て台詞を残し、自分の飛び出てきた窓へと戻っていった。
 他の女子たちも、俺に強い視線を残しつつ、消えていく。
 一瞬にして、その場から女子がいなくなった。

「ふぅ……まったく、ゴリアーデさんは人の話を聞かないんだから……」

 フィッツはため息をついて、彼女らを見送っていた。
 さっきのゴリラはゴリアーデというらしい。
 力の強そうな名前だ。
 まさにネームイズボディ。

 フィッツは、俺に頭を下げた。

「ごめん。ボクが下着を落としたからこんな事になっちゃって」

 なんで男子であるこいつが、女子寮で下着なんて洗濯しているんだろうか。
 と思う所だが、彼はアリエル王女からの信頼が厚い護衛という話だし、特別に許可されているのだろう。
 誠実そうな人だし。
 全身から無害そうな感じが出てるし。
 頼れるし。
 若いし。
 グラサン込みでイケメンだし。
 イケメンってか、可愛い系男子という感じだけど。
 やばい、上品にいうと恋しそう。
 下品にいうと足を舐めてもいい。

「いいえ、フィッツ先輩は悪くありません……助かりました」
「助かったなんて……君が本気を出せば、彼女たちが怪我をしただろうし」

 と、そこで俺は彼が慌てて助けにきた理由がわかった。
 俺が暴れれば、女子が怪我をする。
 そう考えたのだろう。
 もっとも、それにしては、親身になってくれていたが。

「しかし、突然で驚きました。なんなんですか、今のは」
「あ、うん。ゴリアーデさんも言ってたけど、日が落ちてからは、男子生徒は女子寮に近づいたらダメなんだよ」
「そうなんですか? でも、そんな事は校則には」
「寮に住む生徒同士の間で、そういう取り決めがあるんだよ。日が落ちたら、この道は使わず、遠回りして男子寮に行くこと、っていうね」

 ローカルルールというやつか。
 知らなかったとはいえ、誰か教えてくれればいいのに。
 ザノバとかがさ。

「知りませんでした」
「仕方ないよ。次からは気をつけてね」
「はい」

 言われずともだ。
 例え昼間であっても、俺はこの道を二度と通らないだろう。
 未だ、大勢から敵意のある視線を向けられるのは怖いのだ。
 囲んでいるのが魔物だったり、あるいは片手で数えられる程度の人数なら大丈夫なんだが。

 大勢の女子の視線。敵意。
 思い出して、身震いした。

「とにかく、助かりました。フィッツ先輩が助けてくれなければどうなることかと……」
「いいんだよ、当然の事をしたまでだから」

 当然の事……か。
 思えば、俺はここ数年、誤解と冤罪ばかりを身に受けてきた記憶がある。
 獣族に始まり、パウロ、オルステッドと。
 それほど、疑われやすい顔なのだろう。

 しかし、フィッツ先輩は俺を悪いと決めつけなかった。
 むしろ、俺の側に立って味方をしてくれた。
 公平な立場で。
 その根幹には自分のミスもあったのだろうが、
 試験の事もあったのに……。

 嬉しい事だ。

 フィッツ先輩。
 サッパリした性格のようで、試験の事も根に持ってない。
 図書館でもアドバイスをくれた。
 学校内でも顔がきくし、それを鼻に掛けていない。
 さっきも状況をよく見て助けてくれた。
 見た目はショタっぽいが、人格者だ。
 先輩。
 そうだ、先輩と呼ばせてもらおう。
 フィッツ先輩と、敬意を込めてそう呼ばせてもらおう。

「でもルーデウス君なら、自力でも切り抜けられたんじゃない?」
「そんな事はありません。先輩、本当にありがとうございました」

 頭を下げると、フィッツ先輩は恥ずかしそうにポリポリと頬を掻いていた。

「あはは……ルーデウス君にお礼を言われるなんて、おかしな感じだね」
「え? どうしてそう思うんですか?」

 そう聞くと、フィッツ先輩ははにかんだ笑いを見せた。

「…………ないしょ」

 不覚にも俺は、その笑顔にドキリとしてしまった。


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 こうして、俺の学校初日は終了した。
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