2010年06月28日

「授業料減免制度」に込められた想い

 CARPE・FIDEMには経済的事情により進学が困難な方や、母子家庭、父子家庭などの単親家庭の方を対象に授業料減免措置制度を設けておりますが、これにはいくつか理由があります。

 私がこの仕事を始めた直接のきっかけは、世間が批判し、罵倒する引きこもり当事者の中に、ちょっと自分が及ばない程優れた人々がちらほらいる事実を知ったことにあります。当時は自分も「引きこもり」なるものが何なのかさっぱり分からず、「危険人物の一種」程度にしか考えていませんでした。よって、大学生の時に「引きこもりの方の家庭教師を引き受けて貰えませんか?」と依頼が来たときには、少々身構えたものです。「変なこと言ったら……俺、刺される?」と。

 しかし、実際に出会ったその青年は、口数は少なく、表現の量が少ないものの、話せば話すほどその誠実さ、能力の高さ、そして思考の豊かさに舌を巻かざる得ない、大変魅力ある人物でした。「何故これほどの人間が引きこもりに?」まだまだ若造だった自分にとって、これは全くもって理解不能な話でした。

 結局、その彼は都内の所謂一流大学に進学し、今は友人にも恵まれ、楽しく生活しているようです。私はその後も似たような境遇の方の対応を頼まれ、彼らのサポートをしてきましたが、皆一様に将来性のある人々ばかりでした。今でも、時々暇を見つけて彼らと酒の席を囲むのは、私の楽しみの一つです。

 一方、そんな彼等を見ながら、ふと考えたこともあります。「彼らはたまたま家庭教師という形できっかけを作り、社会へと出て行った。しかし、実際には資金的な面でそれが不可能な人々もいるかも知れない」と。

 こんなことを言うと反発を食らうことは分かっていますが、敢えて言うなら、自分の家庭は経済的に困窮するということを知らない、ある意味そこそこに裕福な家庭でした。それ故、自分には多くの可能性がふんだんに与えられていました。多少の無理も、親は「お前の将来のためなら」と許してくれましたし、反発しても、温かく見守っていてくれました。

 しかし、それは私の実力でも何でもなく、単に生まれ落ちた場所がそこだっただけのこと。別の場所だったら、自分は別の道を歩んでいたに違いありません。それを考えると、能力がありながら、経済的問題で未来を絶たれている人がいるというのは、かなり嫌なものです。「さして能力の無い自分が笑顔でいる一方、能力のある人間が暗い顔をしなくてはならないのはおかしいではないか」と。

 そう思った結果、採算のギリギリまで妥協して作ったのが、この制度です。制度をフルに使った場合、単位時間あたりの授業料は500円です。普通の予備校が1500円〜2000円なのを考えると自滅必至ですが、この額には少々訳があります。

 引きこもり当事者の中には、稀に親を頼れない人もいます。その場合、彼らはバイトをしながら学ばなくてはなりません。しかし、彼らにとって、うちの授業料はあまりに負担が大き過ぎます。授業回数も多いため、どうしても費用が多くなってしまうのです。

 しかし、一時間500円なら、ある程度の可能性も見えてきます。現在、都内でバイトをすると、一時間の時給は大体1000円です。そう考えると、彼らは一時間仕事をすることで、500円を学びのために、500円を自分の未来のために使うことが出来ます。「一時間で500円」の中には、このような気持ちが込められています。

 私も昔からよく言っていることですが、優れた人間は強くならなくてはなりません。そして、今の時代、強くなるためには学ばなくてはなりません。いつまでたっても、ダメージを恐れ、行動しようとしない当事者がいる一方で、現実的に物事を考え、豊かな将来性を見せる人々もいます。そして、そこには貧富の差から来る断絶があってはならない。いつの世も、優れた人はゼロからでも身を立てられるもの。それは引きこもっている人々にも同様に言えることではないでしょうか。

 私にとって、お金を稼ぐことは確かに重要なことですが、貯めたお金はより良く使わなくてはならないのも事実です。では、「より良い使い道」とは何なのか?そう考えたとき、お金は自然と「志ある人々」の未来へと、じりじりと流れ出て行くのです。
posted by Ecodog at 16:56| Comment(0) | 徒然なコメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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