ロックだ/ロックじゃない論争
フジロックと政治についてツイートしたら、「Yahoo!ニュース」などに取り上げられて、いろいろな角度から、いろいろな言葉が飛んできている。参ったなぁとか思いつつも、種を蒔いたのは自分なので仕方がない。
俺のツイートは以下。誤字もあるけれど、原文のママ。
フジロックに政治を持ち込むなって、フジロックのこと知らない人が言ってるよね。これまでいくつものNGOやアーティストがさまざまな主張をステージて繰り返してきたわけだし。ただ、ちゃんと真顔で「うるさいよ、馬鹿」くらいは言い返しておかないと、ちょっとだけ何らかの自由が削られる気がする。
「読経に宗教性を持ち込まないでください」みたいな言説だよね。フジロックと政治について。まあでも、「音楽に政治性を持ち込むな」みたいな意見は、リスナーは自由に言っていいと思う。そういう意見に忖度するかどうかも、作り手の自由。俺はまあ、書きたいことを書く。ってのがフェアだよね。
でも、当の本人(俺)は、音楽に持ち込んでいるのは社会性だと思ってるんだけれどね。政治性じゃない。社会と関わろうっていう、あるいは社会と関わらずにはいられない、ってことなんだけど。まあ、ゆっくり曲を書きながら、説明してゆくしかないね、このあたり。誤解されたとしても。
SEALDsの奥田君やジャーナリストの津田さんが出演するのはアヴァロン・フィールドという小さなステージ(パンパンでも500〜800人くらい?)の、アトミックカフェというトークパートだ。彼らがフジロックのメインステージ(数万人)で何かをするという勘違いをしている人が多そうだけど、フジの中でも環境や政治、社会的なトピックについて取り上げたりしてきたステージの(NGOヴィレッジというテント村もある)、ひとつのパートに彼らは出演するのだ。これまでも俳優や学者、技術者などがトークゲストとして出演したこともある。もちろん、それは「依頼されて」のこと。だから、「来るな」と彼らに凄むのは、お門違いだと思う。
ついでに言えば、アヴァロンくらいの規模ならば、彼らに対して、トークの内容に対して、質問をすることも可能だと思う。暴漢のようなやり方では危険とみなされてしまうかもしれないけれど、熱意を持って声をあげれば、質問や意見を投げかけることが十分可能な場所だと俺は思う。ステージと客席にはほとんど隔たりがなく、低い。出演者も事実、アーティストパスがもらえないくらいだ。そう、アヴァロンに出てもレッドマーキーの裏のアーティスト用のトイレは使えないのだ。苗場プリンスに楽屋もない。弾き語りで出たときに驚いたけれど。笑。
音楽と政治の問題は難しい。歌詞の中にそういう内容があるのは白けるよね、みたいな意見もよくわかる。けれども、世界中のロック、に限らず、大衆音楽が政治的な内容をときに意識的にも無意識的にも含んでいることも、これまた事実だ。俺の好きなロックバンドやアーティストたちにも、政治や社会の有り様について声をあげてきた、あるいは現在進行形で声をあげている人たちが多い。だからといって、それ自体を無闇に格好良いと思っているわけでもない。
社会や政治に対して声をあげることくらい、良い加減「普通のこと」にしてゆくわけにはいかないだろうか。
そのうえで、その「声」の内容について、議論が行われなければマズイのではないかと俺は思う。というのも、Yahoo!ニュースからの反応から見るに、そもそも「声をあげる」ことを奇矯として排除しようとする向きを感じるからだ。まあ、レイシストのような人道に反する言説を流布しているならば、排除されるべきだと思うけれど。それは言論の自由の範疇を超えるから。
はっきり言えば、「ロックとは反体制だ」という意見も俺にはよくわからない。そんなこと、誰かに勝手に決められたくないと思う。それぞれの時代に、それぞれのアーティストが問題意識を抱えて、それが作品に反映させてきた。そうじゃないヤツももちろんいた。そういう歴史のなかで、振り返れば、ロックミュージシャンの多くが社会問題に対して意識的だったのは事実だと思う。けれども、生まれながらにすべてのロックミュージシャンが政治的だとするのは乱暴だと思う。ひとそれぞれ、違っていいじゃないかと思う。
そして、俺は別に、様々な条件から除外されて、明日から「ロックミュージシャンでない」という格付けが下されるとしても、自分の思っていることや考えを述べることをやめない。それは別に、自分がロックかどうかとはまったく関係がなくて、問題があると思うから声をあげているだけなので。何者かであるために、考えを言ってるわけではない、ということ。ポシジョントークでもない。
だって、俺らが登場した頃は「あんなのロックじゃない」なんて言葉を散々投げつけられられたんだよ。笑。誰だよ、ロックかロックじゃないかを決めてるヤツって感じだった。呼び名なんて、なんだっていいんだ、本質的には。震災の直後は「最近の若いバンドは情けない。清志郎みたいにやれよ!」みたいに絡んでくる人がいて、そういうふうにやってみたら逆にむちゃくちゃ怒られたりするんだよ。なんだって言うんだよ。笑。
と、話が個人的な怨念に脱線してしまった。ごめんなさい。
音楽フェスは、違う角度から政治的なものが多い。それは、社会のこととまったく関係のないところで政治的な性質を持っている。取り仕切っているイベンターと普段から付き合いがある/ないだとか、所属事務所の問題とか、出演順の問題だとか、出展/出店ブースの位置だとか、会場や日程だとか、言い出したらキリがないけれど、しがらみだらけ。俺はこういった性質のほうがよっぽど政治的だと思う。
一方で、社会の良し悪しについて考えて意見を述べることは、社会的行為だと思う。社会が豊かじゃないと、音楽は伸び伸びと響かないんだ。氷の中にいるみたいに空気が緊張していたら、音は届かない。だから、みんなが音楽を楽しむくらいのゆとりが社会にあって欲しいと常に思っている。もちろん、経済的にもね。だから、例えば、貧困の問題は放ってはおけない。
まあでも、ステージの上で社会的(いわゆる政治の話を含む)なこと言うな!白けるよ!みたいな意見を観客が演者に向かって言うのは間違っていないと思う。そう思ったのなら、主張する自由がある。会場でブーイングしたっていい。リスナーは自由に意見を持つべきなんだ。ステージを観て、音楽を聴いて、どんな感想を持つかなんてことは、自分以外の誰にも制限されようがないから。
ちなみに、俺はMCがあまり好きではないから、ほとんどしないんだけれども。笑。自分のもとに飛んでくる言葉を読むに、ライブ会場で延々演説でもしているように思ってるひとが多いのかな。こういうバイアスも、減って行くといいなと思う。自ら誤解を招いてんだろ、という声もあるだろうけれど。笑。でも、MCをあまりしないのは事実だ。
俺はミュージシャンだけれども、ひとりの市民だ。市民というと活動家っぽい感じがすると思うひとがいるならば、言い換えて、peopleに含まれるうちのひとりだ。自分の発言の影響力というのは、いろいろなひとが指摘してくれるので、以前にも増してよく考えるようになった。けれども、基本的に、昔から、自分の意見は自分で決めるべきだと思っているので、「俺はこう思う!」という書き方、言い方に務めている。のだけれども、そうじゃないように感じることがあったら謝る。
俺が叩かれることで、議論が進むならばいいじゃないか。
戦後最低の投票率を更新しながら、いつのまにか憲法が改悪されたり、生まれながらにして持っている人間としての権利が抑制されたり、多くのひとが音楽などの文化を楽しむ余裕が持てるような再分配がなくなったり、そんなふうに、息苦しくなって行くのだとしたら、俺は嫌だ。
みんなが黙して、それを望むなら仕方がない。
俺は投票し続けるけどね。政治家だけじゃなくて(これは本当に選ぶのが難しい)、音楽や、素晴らしい映画や、小説、書籍、雑誌、野菜、料理、飲み屋、楽器、機材、洋服、キリがないけれど、全部、選ぶってことは投票だと思っている。
そして、自分の責任で、場所を選んで、言いたいことを言うのだ。