根津弥 岡本玄 大隈崇
2016年6月25日17時35分
広島、長崎に原爆が投下されてから71回目の夏が巡ってきます。被爆者は次代にどのような言葉を残そうとしているのでしょうか。「核といのちを考える」の特集ページでは、朝日新聞が昨夏の被爆70年に実施した被爆者アンケート(有効回答5762人)へ寄せられたメッセージを追加取材の内容とともに順次紹介していきます。まずは、3人の思いから――。
■近藤康子さん「意志を引き継いで」
――平和記念公園へ行くと、本当に平和って良いなあと思います。広島、特にこの公園付近は地獄のようだったと、誰が想像できるでしょうか――
近藤康子さん(75)=広島市西区=はアンケートにこう記していた。
1945年の夏、4歳だった近藤さんは母と生後9カ月の妹と一緒に広島の爆心地から約3・5キロの叔母の家に疎開していた。8月6日朝、小川で遊んでいると、家のガラスが突然飛び散った。妹を抱えた母と防空壕(ごう)へ。「目を白黒させる妹の口に母が手を突っ込むと、口からガラス片が出てきた」。被爆後、近藤さんと妹は下痢と発熱が1カ月ほど続き、血便が止まらなくなったという。
広島市の中心部に移り住んだ後の小学校5年の春、同級生だったいとこが学校に来なくなった。「日光に当たると、体がしんどいんよ」と言うようになり、翌年の春に亡くなった。「なんで死んだんじゃろう」。いとこの死は近藤さんに重くのしかかった。
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