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【調書は語る 吉田所長の証言】(2)苦闘のベント 水素爆発 「早くやれ」一点張り東京電力福島第一原発1号機では、吉田昌郎(まさお)所長ら現地対策本部は、非常用冷却装置(IC)による炉心冷却がずっと続いていると誤認していた。冷却が止まった炉内では、三月十一日夕には炉心溶融が始まっていた。状況は刻々と悪化し、日付が変わるころには格納容器内の圧力は設計値を超え、中の蒸気を抜くベント(排気)を迫られた。 (肩書はいずれも当時) ◆手動弁まで行けない<通常なら中央制御室のボタン操作で弁はいとも簡単に開くが、電気がないと何もできない。真っ暗な建屋内を作業員たちはボンベとともに進み、何度もベント弁に突入。しかし、慣れない作業でもあり、作業は難航を極める>
「私もこの事象に初めて直面しているので、はっきり言って分からないんですよ。細かい現場の状況が。計器が見えていないし、中操(中央操作室)の状況の電源、真っ暗だとか、主要計器が消えている。AO弁(空気作動弁)のエアがない、もちろんMO弁(電動駆動弁)は駄目だと。手動でどうなんだと言うと、線量が高いから(手動弁のある場所まで)入れないという状況が入ってきて、そんなに大変なのかという認識がやっとでき上がる。本店なり、東京に連絡しても、その辺は伝わらないですから。早くやれ、早くやれというだけの話です。本当の現場、中操という現場、準現場の緊対室(対策本部の円卓)、現場から遠く離れている本店と認識の差が歴然とできてしまっている」 「一番遠いのは官邸ですね。大臣命令が出ればすぐに開くと思っているわけですから、そんなもんじゃないと」 −十二日六時五十分に、経産相からベント実施命令が出たが経過は。 「知りませんけれども、こちらでは頭にきて、こんなにはできないと言っているのに何を言っているんだと。実施命令出してできるんだったらやってみろと。そういう精神状態になっていますから。できないんですよと言っている話がちゃんと通じていかなくて、何か意図的にぐずぐずしていると思われていたんじゃないかと思うんですけれども」 <官邸には現場の苦闘が伝わらず、十二日朝、菅直人首相がヘリコプターで福島第一に乗り込んだ>
−首相は何を話したか。 「かなり厳しい口調で、『どういう状況になっているんだ』と聞かれたので、『要するに電源がほとんど死んでいます。制御が効かない状態です』と。『何でそうなったんだ』ということで、『はっきり津波の高さも分かりません。津波で電源が全部水没して効かないです』という話をしたら、『何でそんなことで原子炉がこんなことになるんだ』と原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長に質問していました。『ベントどうなった』というから、『われわれは一生懸命やっていますけれども、現場は大変です』という話はしました。記憶はそれくらいしかない。時間はそんなに長くなかったと思います」 −いかに現場が厳しい状況になっているかは説明したか。 「なかなかその雰囲気からしゃべれる状況ではなくて、現場は大変ですよということは言いましたが、何で大変か十分説明できたとは思っていません」 −首相が来たことで、ベントが遅れたか。 「全くないです。早くできるものは(首相のヘリに汚染蒸気を)かけてしまったっていいじゃないかぐらいですから。私だって、格納容器の圧力を下げたくてしようがないわけですよ。総理が飛んでいようが、炉の安全を考えれば、早くしたいというのが、現場としてはそうです」
◆余震… その都度退避<その後も現場では、何とかベント弁を開けようと奮闘するが、すでに炉心溶融し、放射線量は高く、ベント成功は午後にまでずれ込んだ> 「遠隔で電源だとかやったんですけれども、うまくいかなかったので、最後、手動でやるしかないと、腹を決めてやったのが午前九時なんです。被ばくさえすれば、何とかできるかと腹をくくってやったんだけれども、ベント弁には近づけなかった」 −三時四十五分ごろ、建屋の二重扉を開けたら白いもやもやが見えたとの記録がある。報告は。 「入っています。蒸気だと思いました」 −どこか漏れているんじゃないかと認識したか。 「はい」 −余震もあったのか。 「震度5強とか6近い余震がこの晩、結構起こりましたので、その都度現場退避をかけていました」 <十四時半、やっとベントが成功した可能性が高い。淡水が枯渇し、吉田所長は海水注入を指示する> 「ベントができているかどうかというのは、排気筒の上についている線量計の線量が上がれば分かるんですけれども、それすら監視できないですから。(格納容器の)圧力がどうも下がったみたいだから、ベントできたんじゃないかという推定です。NHKのカメラが1号機をとらえていまして、ぽっと白い煙みたいなのが出るんです。同じような時刻だったので、ベントした可能性が高いと」 ◆建屋が爆発するとは<海水を注入しようとして間もなく、十五時三十六分、1号機で水素爆発が起きた。吉田所長も東電本店もまるで予想しない事態だった>
−水素爆発の可能性は全く考えなかったのか。 「われわれは思い込みが強いんですけれども、格納容器の爆発をすごく気にしたわけです。今から思えばあほなんですけれども、格納容器が爆発するぐらいの水素、酸素が発生しているのに、それが建屋にたまるところまで思いが至っていない。今回の大反省だと思っているんだけれども、思い込みが、あそこが爆発するとは思っていなかった。原子力屋の盲点、ものすごい大きな盲点」 −1号機の爆発をどのように把握したか。 「ちょうど1号機の(核分裂を抑制する)ホウ酸水注入系の起動準備ができたと。中央操作室の操作をすれば、原子炉への注水が完了できますよという状況になっていた。そのときに、下から突き上げるような、非常に短時間のドンというような振動がありましたものですから、また地震だという認識でおりました。そのうちに、現場から帰ってきた人間から情報が入ってきて、1号機の原子炉建屋の一番上が何か柱だけになっているという情報が入ってきました。けがした人間も帰ってきて、現場にいた人間から聞くと、建屋の上が爆発したようだという情報を聞きました」 −格納容器から漏れた水素が建屋上部にたまり、爆発した話はいつごろ。 「いろんな意見がありました。どうもタービン建屋から火花がいっているみたいな話が最初の段階で入ってきました。(発電機を冷却する)発電機の水素か何か、そっち側を疑われたんですけれども、タービン建屋が壊れていないのはおかしいなと。本店とも話をしている中で、格納容器から漏れた水素ではないかと、二時間ぐらいたって、その可能性が高いということになったかと思います」 [その時、政府や東電は…]首相、ヘリ視察強行ベント成功の報が入らない官邸では、いら立った菅直人首相が、ヘリで福島第一に行くと言いだした。だが、首相が官邸を空けることになる。 「政治的には絶対にあり得ない。政治的パフォーマンスとしてやるんだったら、むしろマイナス効果の方が大きい。それは分かっていますね」。枝野幸男官房長官は明確に反対した。 菅氏は「分かっている」と答え、最終的な判断は自分が背負うと考えた。 細野豪志首相補佐官は内心は反対だったが、「あの首相にスイッチが入った」「行くと決めたら行く人」と考え、反対は口にしなかった。「ベントを遅らせたのでは」との念に苦しんだが、後に吉田所長がまったく影響がなかったと聴取に答えていることを聞き、ほっとしたという。 賛成だったのは福山哲郎官房副長官。「原発の状況も確認したい。相当、首相の中でストレスがたまっているのです。『私が直接、吉田所長とやる』という感じ。行かなかったら、現場も見ないで指揮したのかと、マスコミにたたかれる」と聴取に答えている。 海江田万里経済産業相は「原子力の問題で責任を果たさなければいけないのは、自分一人しか今、官邸にはいなくなったな、と思いました」と振り返った。 福島第一で面談した時のことを、吉田氏はあまり快く思っていないようだが、菅氏は「所長は非常に合理的に分かりやすい話ができる相手だと。後々のいろんな展開の中で、非常に役に立った」と強調した。 PR情報
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