英国でEUからの離脱をめぐる国民投票が実施された。私はぼんやりと「何だかんだいっても最終的には英国はEUに残留するだろう」と思っていた。開票前には「離脱騒動でポンドが下落したから英国の出版社への支払いが少なくて済む」という知人の冗談を聞いて笑っていた。
結果は、EUからの離脱が51.9%、EUに残留するのが48.1%となり、離脱が僅差で多数決を制した。私はけっこうなショックを受けた。
このように国制の根本的なことを国民たち自身が決めるのは、被治者と統治者の同一性を軸とする民主主義の理念には適っている。実際、民主制の範型をえがいたルソーの『社会契約論』では定期的に人民集会が開かれて、いまの国制を継続するか否かが問われるのであった。
以下は今日、国民投票についてした会話の一部で、メモ書きとして記しておく。「受けた質問←私の返答」の形だ。
- 英国の離脱は英国だけに関わることではないから英国民だけを有権者にするのは不当ではないか。←そう言いたくなる気持ちは分かるが、英国民の民主主義を(日本が尊重されているのと同様に)尊重するなら、それは彼らの自由ではないか。
- より穏当な他の選択肢はなかったのか。←これはいかにも私が言いそうなことだが、EUから「中途半端に離脱する」選択肢はあまり現実的でないように思う。二択のイエス・ノーの多数決だし、私は今回の多数決の設定に、概ね異論はない。
- 50%より高い割合の賛成を求める「特別多数決」にするべきだったのではないか。←私は多数決サイクルを嫌うので、それが発生しやすい「争点が多次元のケース」なら特別多数決(例 64%-majority-rule)が妥当だと考えるが、今回は一次元(的であろう)なので50%でよい。
というわけで私には、今回の英国民投票の多数決に、民主主義の観点からケチを付けることはできない。これはきわめて民主的な国民投票だと思う。
だが民主主義は価値のひとつに過ぎない。
2012年にEUがノーベル平和賞を受けたのは、国家を超えた共同体を構築することで、国家間の戦争を抑え、人権の擁護を目指していたからであった。私はこうしたカント的な、リベラリズムに根差した「世界連邦」の構想を、人類の長期的なプロジェクトとして支持する。何百年かかるのか知らないが、そこは目指してもよいだろう。
今日、英国の民主主義が、その構想にストップをかけた。その多数決は民主主義の観点から問題があるのではなく、リベラリズムの観点から問題があるのだ。私自身は民主主義よりも、リベラリズムをはるかに上位の価値として置く。
だから私はこの結果を残念に思う。自分は離脱に反対であるにもかかわらず、こんな国民投票を実施したキャメロン首相を、愚かだと思う。エリートが国民投票により大衆の「民意」で威信を得ようとするプレビシットが、大失敗した例なのだろうか。悲惨である。
ヨーロッパで危うい多数決が続いている。先日オーストリア大統領選の決選投票では、中道のファンダーベレンが、極右のホーファーに、50.3>49.7で辛勝した。スイスでは外国人犯罪者の追放を求める国民投票が、59%の反対で退けられた。デンマークのラナース地方では、地方議会で、給食に豚肉を入れる案が、1票差で可決された(イスラム系への嫌がらせである)。何をどうやって決めるのか、決めてよいのか。「決め方」を真面目に考えたほうがよいと思う。
「決め方」の経済学―――「みんなの意見のまとめ方」を科学する
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