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第二十二話「師匠の秘密」
夢をみた。
天使が空から降りてくる夢だ。
昨日と違い、いい夢に違いない。
そう思ったが、
局部にモザイクが掛かっていた。
嫌らしい顔をでゅふふと笑っていた。
どうやら悪夢らしい。
そう気づくと、目が覚めた。
「夢か……」
最近、どうにも夢見が悪い。
目の前には岩と土だらけの世界が広がっていた。
魔大陸。
人魔対戦によって引き裂かれた巨大陸の片割れ。
かつて、魔神ラプラスがまとめあげた魔族たちの領域。
面積は中央大陸の半分程度。
だが、植物はほとんど無く、
地面はひび割れ、
巨大な階段のような高低差がいくつもあり、
背丈よりも高い岩が行く手を阻む、天然の迷路のような土地。
さらに、魔力濃度が濃く、強い魔物が数多く存在している。
歩いて渡ろうと思えば、中央大陸の3倍は掛かるであろう。
そう言われている。
---
長旅になる。
どうやってエリスに説明しようか。
そう考えていたが、彼女は元気なものだった。
魔大陸の大地をキラキラした目で見ていた。
「エリス。ここは魔大陸なのですが……」
「魔大陸! 冒険が始まるのね!」
喜ばれた。
余裕だな。
今すぐ言って不安を煽ることもないか。
「行くぞ、ついてこい」
ルイジェルドの号令で、俺たちは移動を開始する。
---
エリスはルイジェルドと仲良くなっていた。
俺が寝ている間に、会話があったようだ。
喧嘩されるよりはマシだろう。
彼女は家での自分のことを初め、
魔術や剣術の授業のことを嬉しそうに話している。
ルイジェルドは言葉少なだったが、エリスの話にいちいち相槌を打っていた。
最初のあの怯えようはなんだったのか。
この恐ろしい男に、エリスは物怖じしなくなっていた。
たまにすごく失礼な事を言ったりしてヒヤリとしたが、ルイジェルドは特に怒らなかった。
何を言われても、さらりと受け流している。
誰だよ、キレやすいって噂を流したのは。
もっとも、昔はともかく、今のエリスは多少なら空気も読める。
そのへんについては、エドナと一緒にキッチリ教えたから、いきなり相手を怒らせるような事は言わないだろう。
そう願いたい。
ただ、知らない相手はどんな言葉が堪忍袋の緒につながっているのかわからない。
くれぐれも慎重になってほしいと思う。
ついでに言うと、エリスの堪忍袋の緒も非常に切れやすいので、
ルイジェルドにも慎重になってほしいと思う。
などと思っていると、早速エリスが声を荒げ始めた。
「ルーデウスはお前の兄なのか」
「違うわよ!」
「だが、グレイラットというのは家名だろう?」
「そうだけど、違うのよ!」
「腹違いか、種違いか?」
「どっちも違うわよ」
「人族の事はわからんが、家族は大切にしろ」
「違うって言ってるじゃない!」
「いいから、大切にしろ」
「う……」
エリスがたじろぐぐらい、強い口調だった。
「た、大切にするわよ……」
ま、本当に兄妹じゃないんだけどね。
エリスのほうが年上だし。
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魔大陸は岩ばかりで、高低差が激しかった。
地面は固く、少しだけ掘ってみるとパラパラとした土になる。
栄養が無いのだ。
砂漠一歩手前、といった感じだ。
こんな土地に閉じ込められれば、魔族だって戦争を起こすだろう。
植物はほとんどない。
たまにサボテンのような変な岩がある程度だ。
「む。少し待っていろ。絶対に動くな」
十数分に一度、
ルイジェルドはそう言って進行方向上に走りだす。
岩山をぴょんぴょんと飛び越えて、あっという間に見えなくなる。
凄まじい身体能力だ。
ギレーヌも凄まじかったが、敏捷性を数値に表せば、ルイジェルドが上回るかもしれない。
ルイジェルドは走りだしてから、五分もしないうちに帰ってくる。
「待たせたな、いこう」
特になにも言わないが、三叉槍の先から、わずかな血臭がする。
恐らく、俺たちの行く手を遮る魔物を倒しているのだ。
確か、あの額の赤い宝石がレーダーのような役割を持っている。
と、ロキシー辞典に書いてあった。
そのお陰で敵を早期発見できて、
魔物が俺たちに気づく前に奇襲して、一瞬で倒すのだ。
「ねえ! さっきから何をしてるのよ」
エリスが無遠慮に聞く。
「先にいる魔物を倒している」
ルイジェルドは簡潔に答えた。
「どうして見えないのにいるってわかるのよ!」
「俺には見える」
ルイジェルドはそう言って、髪をかきあげた。
額が露わになり、赤い宝石が見える。
エリスは一瞬たじろいだが、よく見るとあの宝石も綺麗なものだ。
すぐに興味深そうな顔になった。
「便利ね!」
「便利かもしれんが、こんなものは無いほうがいいと、何度も思ったな」
「じゃあもらってあげてもいいわよ! こう、ほじくりだして!」
「そうもいかんさ」
苦笑するルイジェルド。エリスも冗談をいうようになったか……。
冗談だよな?
楽しそうだ。
俺も会話に混ぜてもらおう。
「そういえば、魔大陸の魔物は強いと聞いていたんですが」
「この辺りはそうでもない。
街道から外れているから、数は多いがな」
そう、数が多い。
さっきから十数分毎にルイジェルドが動いている。
アスラ王国では、馬車で数時間移動しても一度も魔物になんか遭遇しない。
アスラ王国では騎士団や冒険者が定期的に駆除している。
とはいえ、魔大陸のエンカウント率はひどすぎる。
「先ほどから一人で戦ってらっしゃいますけど、大丈夫なんですか?」
「問題ない。全て一撃だ」
「そうですか……疲れたらおっしゃって下さい。
僕も援護ぐらいはできますし、治癒魔術も使えますから」
「子供は余計な気遣いをするな」
そう言って、ルイジェルドは俺の頭に手を乗せて、おずおずと撫でた。
この人あれかな、子供の頭を撫でるのが好きなんかな?
「お前は妹の側にいて、守ってやればいい」
「だから! 誰が妹よ! 私の方がお姉さんなんだからね!」
「む、そうだったのか、すまん」
ルイジェルドはそう言って、むくれるエリスの頭も撫でようとして、パシンと手を払われた。
哀れルイジェルド。
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「ついたぞ」
歩いたのは三時間ほどだろうか。
何度も立ち止まっていた上、高低差が激しかった。
さらにぐねぐねと曲がりくねる道を通ったため、結構時間が掛かってしまった。
だが、直線距離にして1キロも離れていないだろう。
結構疲れた。
昨日もそうだったが、なんだか身体が重い。
転移の影響だろうか。
それとも、単純に俺の体力が無いだけだろうか。
ギレーヌの指導のもと、体力作りは欠かさずやっていたはずだが。
「村ね!」
エリスは全然疲れていないようで、興味深そうに集落を見ている。
彼女の体力に嫉妬。
エリスは村と言ったが、集落という感じだった。
十数軒ほどの家の集まりを粗末な柵でぐるっと囲んである。
柵の内側には、小さな畑があった。
畑で何を育てているのかはよくわからないが、豊作という感じはしない。
こんな川もない場所で作物を育てるのは、無理があるんじゃなかろうか。
「止まれ!」
入り口で止められた。
見ると、中学生ぐらいの少年が一人、門の脇に立っていた。
青い髪だ。ロキシーを思い出す。
「ルイジェルド、なんだそいつらは!」
魔神語である。
どうやら、ヒヤリングは問題ないらしい。
ちゃんと聞き取れている。オッケー。
「例の流星だ」
「怪しいな、そいつらを村に入れることはできん!」
「なぜだ。どこが怪しい?」
ルイジェルドは険しい顔で、門番に詰め寄った。
ものすごい殺気だった。
出会った時にあんな殺気を放たれていたら、
俺は何も考えずに逃げ出していただろう。
「ど、どう見ても怪しいだろう!」
「彼らはアスラで起きた魔力災害に巻き込まれ、転移してしまっただけだ」
「し、しかしなぁ」
「貴様、こんな子供を見捨てるつもりか……?」
ルイジェルドが拳を握る。
俺は反射的に、その手を掴んだ。
「彼もお仕事ですので、抑えて」
「なに……?」
「ていうか、彼のような下っ端では埒が明きません、
もっと偉い方を呼んできてもらったほうがいいのでは?」
下っ端という言葉に、少年は眉根を寄せた。
「そうだな。ロイン。長を呼んでくれ」
コレ以上ぐだぐだぬかすな、と凄まじい眼光で睨みながら、ルイジェルドがそう言った。
「ああ、俺もそうしようと思っていたところさ」
ロイン、と呼ばれた少年は、そう言って目をつぶった。
そのまま、十秒ほど時間が流れる……。
「…………」
なにしてんだ、早く行けよ。
目なんてつぶりやがって、寝てるんじゃねえだろな。
それともキスでも待ってるのか?
「ルイジェルドさん、あれは……?」
「ミグルド族は同じ種族同士なら、離れていても会話が出来る」
「あ、そういえば、師匠にそんな事を教えてもらった気がします」
正確には、ロキシーにもらった本の中に書いてあったのだ。
ミグルド族は近しい者同士で交信ができる、と。
ついでに、わたしはそれが出来ないので村を出た、とも書いてあった。
不憫なロキシー……。
てか、ここミグルド族の集落かよ。
ロキシーの名前とか出したほうがいいんだろうか。
いや、ロキシーとこの村の関係がわからない以上、
やぶ蛇になる可能性もあるしな。
「長が来るそうです」
「こちらから出向いてもよかったが?」
「里に入れられるか!」
「そうか」
しばらく、居心地の悪い空気が流れた。
エリスがくいくいと俺の袖を引っ張った。
「ねえ、どうなってるの?」
エリスは魔神語がわからない。
「僕らが怪しいから、村長さんが直々に確かめるんだってさ」
「なによそれ、どこが怪しいのよ……」
エリスは眉を潜めながら、自分の服装を見下ろしている。
町の外に出るからと、剣術の時の訓練着姿だ。
ちょっと軽装すぎるが、おかしくはない。
少なくとも、俺の目にはルイジェルドと大差無い。
ドレスとかだったら、ムチャクチャ怪しかっただろうが。
「大丈夫なんでしょうね?」
「なにが?」
「何がって言われても困るけど、なんかこう、そういうのよ……」
「大丈夫だよ」
「そーぉ……?」
さすがのエリスも、入り口でもめているとなると、
少々の不安があるらしい。
けど、俺に大丈夫と言われて、すぐに大人しくなった。
「長がきたようだ」
村の奥から杖をついたとっつぁん坊やみたいなのが歩いてきた。
脇に、二人の女子中学生……ぐらいの歳の少女を連れている。
皆、小さい。
もしかして、ミグルド族って、成人しても中学生ぐらいにしかならんのか?
そんなことはロキシー辞典には書いていなかったが……。
いや、挿絵に描いてあったのは中学生ぐらいの絵だった。
ロキシーの自画像だと思ってほっこりしていたのだが、
もしかすると、あれは成人したミグルド族の姿なのか。
なんて考えていると、長とロインが話し始めた。
「そちらの子たちかね……?」
「はい、片方は魔神語を話せるようです。なんとも怪しい」
「言葉ぐらい、勉強すれば誰だって話せるじゃろう?」
「あの歳の人族が、どうして魔神語なんて勉強するんですか!」
まったくだ。
思わず納得しそうになる言葉だったが、
長はぽんぽんとロインの肩を叩く。
「まあまあ。君はもう少し落ち着いて待っていなさい」
長はゆっくりとこちらに歩いてくる。
とりあえず、俺は頭を下げた。
貴族用のやつではなく、日本式のOJIGIだ。
「初めまして、ルーデウス・グレイラットです」
「おや、これは礼儀ただしい。この集落の長のロックスです」
俺はエリスにも目配せする。
彼女は自分と同い年ぐらいの見た目の、
でもちょっと雰囲気の違う人にどうしていいのかわからず、
腕を組んだり戻したりと、落ち着かなげにしていた。
腕を組んでの仁王立ちをするか迷っているのか。
「エリス。挨拶して」
「で、でも、言葉わからないわよ?」
「授業で習ったどおりでいいから。僕が伝えます」
「うー……。
お、お初にお目にかかります。エリス・ボレアス・グレイラットです」
エリスは、礼儀作法の授業で習った通りに挨拶をした。
ロックスはそれを見て、相好を崩した。
「こちらのお嬢さんは、もしや挨拶をしてくださったのかな?」
「そうです。僕らの故郷での挨拶となります」
「ほう、君のとは違うようだが?」
「男と女で違うんですよ」
ロックスはそうかそうかと頷くと、俺の真似をしてエリスに頭を下げた。
「この集落の長のロックスです」
エリスは突然頭を下げられておろおろと俺を見た。
「ルーデウス、なんて言ったの?」
「この集落の長のロックスです、って」
「そ、そうなの、ふ、ふーん、ルーデウスの言うとおり、ちゃんと通じたのね」
エリスは口の端を持ち上げて、にまにまと笑った。
よし、こっちはこれでいいだろう。
「それで、集落には入れて頂けるのでしょうか?」
「ふむ」
ロックスは俺の身体を無遠慮に、舐め回すように見てきた。
やめろよな。
そんな熱い視線を受けたら脱ぎたくなっちまうじゃねえか……。
ロックスの視点が俺の胸元で止まった。
「そのペンダントはどこで手にいれなさった?」
「師匠にもらいました」
「師匠はどこの誰かね?」
「名前はロキシー」
俺は素直にロキシーの名前を出した。
よく考えてみれば、尊敬する師匠の名前だ。
どうして隠す必要があるのか。
「なんだって!」
と、声を上げたのはロインだ。
彼は凄い勢いで歩いてきて、俺の肩を掴んだ。
もしかすると、やぶ蛇だったか。
「お、お前、い、今ロキシーといったか!」
「はい、師匠です………」
答えると同時に、視界の端で拳を握りしめたルイジェルドに制止を掛ける。
ロインの顔に怒りの色は無かった。
ただ焦燥があった。
「ロ、ロキシーは、今どこにいるんだ!」
「さて、僕は結構会ってないので……」
「教えてくれ! ロキシーは、ロキシーは、俺の娘なんだよ!」
ごめん、なんだって?
「すいません、ちょっとよく聞こえませんでした」
「ロキシーは俺の娘なんだ! あいつはまだ生きているのか?」
ぱーどぅん?
いや、聞こえましたよ。
ちょっと、この中学生ぐらいの男の年齢が気になっただけさ。
見た目、むしろロキシーの弟に見えるからな。
でも、そうか。
へー。
「教えてくれ、20年以上前に村を出ていったきり、音沙汰がないんだ!」
どうやら、ロキシーは親に黙って家出していたらしい。
そういう話は聞いていないのだが、
まったく、うちの師匠は説明が足りない。
てか、20年って。
あれ?
じゃあロキシーって、今何歳なんだ?
「頼む、黙ってないでなんとか言ってくれよ」
おっと失礼。
「ロキシーの今の居場所は……」
と、そこで俺は肩を掴まれっぱなしという事に気づいた。
まるで脅されているみたいだ。
脅されて喋るってのは、なんか違うよな。
まるで俺が暴力に屈したみたいじゃないか。
暴力で俺を屈させたければ、せめてバットでパソコンを破壊して空手でボコボコにしたあと、聞くに堪えない罵詈雑言で心を折ってくれないと。
ここは毅然とした態度を取らないとな。
エリスが不安に思うかもしれないし。
「その前に、僕の質問に答えてください。
ロキシーは今、何歳なんですか?」
「年齢? いや、そんな事より……」
「大事な事なんです!
それとミグルド族の寿命も教えてください!」
ここは聞いておかなければいけない事だった。
「あ、ああ……。
ロキシーは確か……今年で44歳だったはずだ。
ミグルド族の寿命は200歳ぐらいだな。
病気で死ぬ者も少なくないが、老衰となると、それぐらいだ」
同い年だった。
ちょっと嬉しい。
「そうですか……。
あ、ついでに手を離してください」
ロインはようやく手を離した。
よしよし、これで話が出来るな。
「ロキシーは、半年前まではシーローンにいたはずですよ。
直接会ったわけじゃないけど、手紙のやり取りはしてましたから」
「手紙……? あいつ、人間語の文字なんて書けたのか?」
「少なくとも、七年前にはもう完璧でしたよ」
「そ、そうか……じゃあ、無事なんだな?」
「急病や事故に遭ったりとかしていなければ、元気でしょうね」
そう言うと、ロインはよろよろと膝をついた。
ほっとした表情で、目元には涙が浮いている。
「そうか……無事か……無事なのか……はは……よかったぁ」
良かったね、お義父さん。
しかし、この姿を見ていると、パウロを思い出すな。
パウロも俺が無事と知ったら、泣いてくれるだろうか。
ブエナ村への手紙。
早く送りたいものだ。
「それで、集落には入れてくれるんでしょうか?」
泣き崩れるロインを尻目に、長ロックスへと話を振る。
「無論だ。ロキシーの無事を知らせてくれた者を、なぜ無下にできようか」
ロキシーからもらったペンダントは抜群の効果を発揮した。
最初から見せてればよかったよ。
いや、でも会話の流れによっては俺がロキシーを殺して奪った、とか考えられたりしたかもしれない。
魔族は長生きなようだしな。見た目と年齢が違うことも多々あるのだろう。
いくら俺が十歳児の見た目をしているとしても、中身が40歳超えてるとバレれば、変な疑いを掛けられることもある。
気をつけないとな。
せいぜい子供っぽく振る舞うとしよう。
こうして、俺たちは『ミグルド族の里』へと入った。
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