【各党の顔に聞く・私の18歳】自民党・稲田朋美政調会長
今回の参院選は選挙権年齢が18歳以上に引き下げられた初の国政選挙。スポーツ報知は「私の18歳」と題し、主要5政党の「顔」である党首や幹部の18歳当時の素顔に迫る連載をスタートします。第1回は自民党の稲田朋美政調会長(57)。網タイツとおしゃれメガネで話題を集める一方、安倍晋三総裁(61)の信頼が厚く、2014年にわずか当選3回で党三役に上り詰めた。永田町で「初の女性首相候補」とささやかれる稲田氏の青春時代とは…。(江畑 康二郎)
18歳を迎えたのは1977年2月20日。京都府立乙訓(おとくに)高校3年の3学期で、大学受験まっただ中だった。
「進学校というわけでもないので、のんびりした雰囲気の校風でした。塾に通ったこともありません」
高校時代は3年間剣道部で汗を流した。入部のきっかけは森田健作主演のドラマ「おれは男だ!」だった。
「『おれは男だ!』は中学の頃からよく見ていました。森田さんが扮(ふん)したおっちょこちょいの男子剣道部のキャラクターが大好きで(笑い)。青春ドラマは面白かった。影響されやすい人間なんですよ」
熱血タイプの男性に惹(ひ)かれるのか。
「違います(きっぱり)。ドラマは好きでしたけど、男性の好みのタイプは、もの静かな人です」
男女共学で、グループ交際も思い出のひとつだ。
「男の子の友達もたくさんいて。とてもモテました。グループで山に行ってカレーを作ったり。飯ごう炊さんですよ(笑い)。高3の時はボーイフレンドがいました。どんな交際? 『一緒に勉強頑張ろうね』とか言いながら、模擬試験に行く。清純なお付き合いです」
愛読書はフランスの小説家・スタンダールの「パルムの僧院」という文学少女だった。「学年で中の上」の成績で、早大法学部に現役合格。当時の夢は?
「早稲田に受かったら、行ったことのない東京に行ってみたいという気持ちが高まって。一人暮らしってどんなものなのかなとか考えながら。一人娘だったので父に反対されましたが、話し合って納得してくれました」
大学ではオーケストラ部に入部。
「高校教師だった父は『大学時代はいろんな事を経験する時だから、毎日講義に出るようなバカなことはするな』と変わった助言をする人でした。だから、その教えを忠実に守った。楽器を弾きたいと思っていたけど、なぜかパーカッション(笑い)。軽井沢に合宿に行ったり、演奏も楽しかった。初めての経験でしたが、私はやってみたいとなったら、トントンと門を叩く性格なんです」
何事にも臆せず挑戦する姿勢は家庭で育まれた。
「両親に感謝をしているのは、裕福ではなかったけど温かい家庭で、大事に育ててくれたこと。小さな頃、お風呂屋さんの薬湯に落ちておぼれかけたところを救われたこともあって、母からずっと『運がいい子』と言われ続けてきました。今でも窮地に立った時は『運がいいから大丈夫』と自分に言い聞かせます」
戦後最大の疑獄事件と言われるロッキード事件の裁判が始まったのが77年。政治に興味はあったのか。
「ありませんでした。20歳になっても選挙に行かなかった。政治に興味を持ったのは30歳を過ぎてから」
司法試験を考え始めたのは3年の頃。大学受験と同様に独学だった。
「4年で受けた時は、まるで記念受験。2度目も箸にも棒にも掛からず、そこから必死で1日16時間勉強した。死ぬ気になれば何でもできると実感しました」
時に奇抜な装いで世間を驚かす政界きってのオシャレ通は、10代からファッションに興味があった。
「流行に敏感でした。司法試験とか勉強してる時でも、服とか髪形は研究していた。例えば『聖子ちゃんカット』だったり」
新有権者となった18歳、19歳の若者へのメッセージは。
「政治というのは、とても遠いもののように感じますが、実は生活そのもの。いろいろな考え方を知ることもできる。選挙は将来を選ぶ非常に重要な手段。私自身ももっと早く興味を持っていたら、よかったのにと思っています。だから若い人たちには、1票が日本を変える可能性があるんだよということを伝えたい」
◇「おれは男だ!」 男子の人数が少ない共学校で熱血青年が剣道部を結成して奮闘する学園ドラマ。1971~72年に日本テレビ系列で放映された。
◆稲田 朋美(いなだ・ともみ)1959年2月20日、福井県今立郡今立町(現越前市)生まれ。57歳。旧姓は椿原。81年3月、早稲田大学法学部卒業。82年、司法試験合格。89年、弁護士の稲田龍示氏と結婚。2005年の衆院選で自民党から福井1区で出馬し初当選。06年、党若手保守政策集団「伝統と創造の会」会長。12年、内閣府特命担当大臣(規制改革担当)に就任。14年12月、衆院選で4選。家族は夫と1男1女。