蛤の里とお伊勢様

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 挿絵は東海道沿いの富田(現四日市市)の賑わいを描いたものです。ここの名物が焼蛤で、挿絵に「蛤の焼かれて啼(なく)やホトトギス」とあるように、その香ばしい匂で旅人をひきつけました(ホトトギスも渡鳥です)。  富田は東海道筋の休憩所で、お伊勢まいりの人々などは、ここで休憩して焼蛤を食べるのを楽しみにしていました。お伊勢まいりは、村や町での閉鎖的な生活を強いられた一般庶民の一世一代の大イベントであり、道々の風景を、宿々での食彩を楽しんだのです。  富田の名物が焼蛤なのは、揖斐川・木曽川・長良川の河口では大河の恵みで良質の蛤が育ち、そこを漁場とする富田一色の漁民から蛤が供給されていたからです。中世の富田の領主は伊勢神宮で、富田御厨(みくりや)と呼ばれていました。御厨とは神宮に捧げる食べ物の供給地のことです。富田一色の漁民は、蛤などを伊勢神宮に供え物として捧げることにより漁業権を得ていたのです。  近世になると御厨としての神宮の保護は失われますが、そのかわり「お伊勢まいり」と称して全国から何十万人もの参詣者が訪れるようになり、富田の焼蛤は全国的な名品ともてはやされました。時代が変わると、神様もお恵みの手段をかえるようです。

【挿絵解説】富田焼蛤の図『伊勢参宮名所図会』(大日本名所図会刊行会、1919年)より 同図会は、いわゆるお伊勢まいりのガイドブックです。江戸時代に流行した安藤広重の「東海道五十三次」や十返舎一九の「東海道中膝栗毛」などもそうした役割をもっていました。

【参考文献】・『桑名市史 本編』桑名市教育委員会、1959年 ・『四日市市史17通史編近世』四日市市、1998年 ・本多隆成『街道の日本史30と伊勢湾』吉川弘文館、2004年

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