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その疾きこと風の如し

空き時間や通勤時間に読めるゆとり世代のための学校では教わらないコンテンツ運営と俳優としてデビューするまでの全プロセスを公開する夢追い人の見通しメディア

僕はオピニオン俳優として、貴重な“個の意見”を発信していきたい

もの申す もの申す - 俳優関連

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早く大物になりたい。疾風(@hayate_cwrkh5)です。

 

今日は純粋に最近僕が思っていること、感じていること、これからどうしていきたいかを、ありのまま綴ろうと思う。

 

昨今の俳優や芸能人に関する報道について

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出典 : エンタメウィーク

 

言わずもがなだが、近々で言うと、ベッキー&ゲス川谷さんの不倫騒動が話題を呼んだのは言うまでもない。

 

他にも「◯◯と△△熱愛発覚!」とか「◯◯と△△がお忍びデート!?」とか「◯◯が失言!?」とか、たくさんのエンタメニュースが流れている訳だが...

 

『これ誰得??』

 

と思うのは僕だけだろうか?

 

俳優や芸能人だって同じ人権を持った人間な訳で、プライベートのかけらもない報道に対して「やり過ぎなんじゃ?」とか、「世間も煽り過ぎなんじゃ?」と思うことが多々ある。

 

そもそも、報道する人は何の意図と目的を持って報道しているんだろうか。その報道が何を引き起こすのか分かって報道しているんだろうか。なぜ報道する意味があるのだろうか。

 

そこが見えないし、分からない。

 

俳優の渡辺謙さんもインタビューでこのようなことを言い残している。

 

 俳優の渡辺謙が「第7回岩谷時子賞」を受賞し、13日に東京都内で行われた授賞式に出席した。渡辺は式後の取材に対し、「『政治家の領収書』や『不倫』だけにみんなが殺到しているこの国はどうなっていくんだろう」と危機感を示し、「(不倫騒動などより)『もっと豊かなことに目を向けませんか?』という感じがする」と語った。

~~~

…芸能人の不倫騒動などに関心が集中する現状を嘆き、「大人の方々がお芝居や映画を観る環境そのものが今、なくなりつつある気がする。もっと深みのある人間的なドラマを作っていかないと、この国はまずいぞという気が相当している」と表情を曇らせた。

 一方で、「僕らにも演劇、映画など文化の担い手としての責任がある」と強調し、「大人の方々にいい作品を見ていただける状況をもう一回、つくり出さないと」と思いを新たにしていた。

引用 : 時事ドットコム

 

こんなにも謙虚で、言葉を選んで発言しているのに、なぜこういった発言は大々的にニュースに取り上げられないのだろうか。

 

俳優や芸能人だって人間だ

恋愛や失言の一言があって「当然だ」と思うのは僕だけなのだろうか?

 

たった一言、よからぬ失言をしただけで、レギュラーを下ろされたり、過度に自粛させられたり、ましてや酷なバッシングを受けたり。

 

『神様か何かなの?』

 

と思ってしまう。

 

肩書きが「俳優」とか「芸能人」だと失言しちゃいけないの?恋愛しちゃいけないの?

 

何もかもが許されない今のこの空気感というものが、ひたすら日本を生きづらい空間にしてるんじゃないのかなって。

 

恋愛や失言に寛大な社会だったら

熱愛報道も、あたたかく見守りましょう♡とか、失言報道も見せ方によっちゃ、「ベテランでも失言するから、皆さんも気をつけましょう〜」とか冗談混じりの伝え方だってできるはず。

 

俳優や芸能人は見せものではない。僕らと同じ一人間であって、同じ人権を持っていることを忘れてはいけない。

 

それを忘れた報道や、過剰な取り上げをすると、さも人形とか機械的な何かなのかと感じてしまう。

 

というか、恋愛の一つや失言の一つあった方が、より人間らしいんじゃないだろうか?

 

きっと誰だってその方が親近感が湧くだろうし、俳優や芸能人だって過度なイメージ戦略とやらに乗る必要もない。

 

山本太郎氏から学ぶ芸能界のリアル

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現在参議院議員として活動をされている山本太郎さん。

 

僕は経歴やWikipediaなどに、「元俳優」と書かれていることが残念でならない。

 

きっと本人は今でも俳優として活動したいだろうし、自分では「元」だとは一ミリも思ってないのではないだろうか。

 

そんな最中、こんな記事を見つけたので紹介しておく。

 

芸能人の一番おいしい仕事はCMだから。
数日働くだけで中堅俳優でも
2000万円ぐらいの収入が得られるから。
企業にきらわれないために
CM仕事をとりたい芸能人は
原発反対などとは言えない。
原発反対は電力会社を敵に回すだけでなく
あらゆる企業を敵に回すことになるから――。

昨日山本太郎氏講演会が行われた。
主催者側として私が山本太郎氏のために
用意したペットボトルの水の
ラベルは外しておいたが
山本太郎氏自ら持参したペットボトルも
やはりラベルをはがしていた。

なぜペットボトルのラベルをはずすのか。
そんな話から山本太郎氏は
芸能人の多くが原発反対を言えない理由を
説明し始めた。

山本太郎氏のような「中堅俳優」クラスでも
企業の宣伝をするCM仕事なら
数日働いただけで年間2000万円もの
収入が得られるという。

映画や舞台、ドラマなどは
おもしろい仕事ではあるが
拘束時間も長く
わりよく稼げる仕事ではない。
でもそうした仕事をしたい。
でも生活もしなくてはならない。
そんな時に一番おいしい仕事がCMなのだ。

CM仕事がいつきてもいいように
特定の企業を応援しているような
行動はできるだけ避けたい。

だからペットボトルのラベルをはずす。
ラベルでメーカーがわかれば
「あの芸能人はA社をひいきしている」
という話になり、A社以外の仕事が
こなくなってしまう可能性があるからだ。

またすでに何らかのCMに出ている場合
競合他社の宣伝をしてしまう可能性もあり
その場合は多額の違約金が
発生することもある。
だから企業名がわかる
ラベルをはずしたり隠したりする。

山本太郎氏は現在議員なので
気にする必要はないかもしれないが
本人いわく「長年のくせではずしてしまう」
といった話をしていた。
そもそも山本太郎氏は
芸能界をやめたわけでも
俳優をやめたわけでもなく
ただ「原発反対」といっていたら
仕事が激減しただけにすぎない。

芸能人にとってCMはおいしい。
だから企業に文句を言うようなことを
大っぴらには言えない。
原発反対といえば
電力会社を敵に回すだけでなく
原発建設メーカーや
電力会社の株主となっている大企業や
電力会社に融資している金融機関なども
敵に回すことになりかねない。
つまり単に電力会社から
嫌われただけでは済まされないのだ。

だから多くの芸能人は
原発反対と言いたくても言えない。

ただ山本太郎氏はいい意味で
変わったのかもしれない。
もしかしたら以前なら
原発反対と声をあげない芸能人なんて
人間のカスだぐらいのことを
言ったかもしれないが
(あくまで私の想像)
芸能人は芸能人の立場があり生活があり
すぐにすぐ自分のように
言動で示せる人は少ないことに
ここ数年の活動で理解するように
なったのではないか。

でもだからといって
あきらめたらそこで終わりだ。
だから、できることからやろうと
呼びかけている。

芸能人が原発反対と言えないように
テレビをはじめとしたメディアも
広告収入で成り立っているため
原発にとって不利益になるような
報道はしにくい。

もちろんあれだけの原発事故が起きたので
黙っているのは不自然だし
そこそこの報道はされるようになった。
でもどこまで踏み込めるかも疑問であり
取り上げるにしても扱いを小さくするなど
相当な配慮の上での報道ではないかと
山本太郎氏は指摘する。

またある意味では一定のガス抜きのために
原発反対報道をさせている面も
あるのではないかと指摘する。

なぜテレビが無料で見れるのか?
テレビが無料なのは当たり前という
世界の中で生きてきた私たちにとって
そんなことは考えもしない
ことかもしれないけれど
テレビが無料なのは企業が大金はらって
CMを流しているおかげ。

だからこそ大金はらっている
企業に逆らうことはできない。

お金の力というのは本当に怖い。
だから私は安易に人に
おごられることも含めて
支援とか広告とかスポンサーとか
クラウドファンディングとか
対価なしにお金をもらうことに
ものすごく警戒心をもっている。

なぜならお金を出した人間に
逆らえなくなる可能性があるからだ。

きちんとこちら側が商品なり
サービスなりを提供した対価として
お金をもらうならそれはそれでいい。
お互いの関係が対等になれるから。

でも「ただ」でお金をもらってしまったら
お金を出す側がお金だけあげて
口を出さないことはあり得ない。

対価なくお金をもらってしまった側は
お金をもらっている人に
配慮せざるを得なくなる。
活動資金を依存すれば
自分の信念を曲げたことも
せざるを得なくなってしまう。

そんな生き方でいいのか?
それにノーをつきつけたのが
山本太郎氏だ。

でも山本太郎氏もはじめは
うまいことやろうと思っていたらしい。
でも国の原発事故対応の
あまりのひどさに我慢しきれず
事務所を辞めざるを
得ない事態になってしまったものの
リスクを覚悟で原発反対を叫び始めた。

なぜ?
山本太郎氏は目立ちたかったから?
ヒーローになりたかったから?
社会的使命を感じたから?

多分、違うのではないか。
山本太郎氏の大好きな仕事は俳優。
その想いは今も変わっていないようだ。
今も俳優をやめたわけではない。
ただ仕事が減ってしまっただけだ。

その俳優を続けるためにも
遠回りかもしれないけれど
多くの人が長生きし
この日本が安全に暮らせて
いろんなことが物言える社会にしたい。
でないと俳優という仕事も
ゆくゆく続けられなくなってしまう。

だからこそとりあえず今は
優先すべき原発問題や
政治の世界にうってでた。
でもきっと山本太郎氏は
これからも俳優をしたいのではないか。

だからこそ今の経験はいい意味で
「芸の肥やし」と自分に言い聞かせ
「茨の道」を歩んでいるのだと思う。

でも一昔前の
ヒステリックに過激に
原発反対と言っているような
イメージとは違った。
山本太郎氏は自分でも言っていたが
「賢く」なった。

ただ原発反対だけを叫んでいても
現実は変わらない。
過激に発言しただけでは
バッシングされたり
誤解されたりしかねない。

現実を変えるために
現実の戦略をどう組み立てていくか。
崇高な理念だけではなく
少しでも現実を良くするために
現実的に何をしたらよいのか。

山本太郎氏の好き嫌いや
支持するかしないかは重要ではない。
大事なのは一人ひとりが
自分の生活をよりよくするために
政治に関心を持ち
最善でなくても現状でベターなものを
きちんと選択をしていくこと。

そのためには誰かに頼るのではなく
一人ひとり自ら声をあげ
発信していくことだと思う。

声をあげずにだんまりを
決め込むことこそが
政治や社会を悪くしている原因。

山本太郎氏はこんなことを
講演で言っていた。
「今の政治が悪いのは
政治家が悪いんじゃなく有権者が悪い。
今の政治家を選んだのは有権者であり
また政治に無関心でいる人が多いから」

政治が悪い社会が悪い景気が悪いと
他人のせいにする前に
一人ひとりが自分の意見をきちんと発信し
小さなことでもできることからしていくことが
社会をよりよい方向に
向けていくことにつながるのではないか。

できることからしよう。
ブログを書いて発信してもいい。
共感する記事や応援した人の記事を
シェアやリツイートするだけでもいい。
できることはたくさんあるはず。
大それたことは無理でも
小さなことなら。 

 

引用 : なぜ山本太郎氏はペットボトルのラベルをはがすのか~芸能人が原発反対と言えない理由~講演会レポート : 好きを仕事にする大人塾「かさこ塾」塾長・カメライター・セルフマガジン編集者かさこのブログ

 

僕は山本太郎さんのことを応援している。

 

なぜなら1人の人間として、しっかりと自分の意志を持って、発信するという国民の責任を果たしているからだ。

 

それによって俳優の仕事は減ってしまったのかもしれないが、本来俳優や芸能人だって、同じ一国民として、自分の意見や考えていることを発信することはいたって普通なことなはず。

 

僕が目指すオピニオン俳優とは

ブログを始めた当初、こんな記事を書いて賛否両論の声を貰った。

 

www.kobayashihayate.com

 

何ならこの記事が一番エッジが効いていただろうし、一番メッセージを貰う程反響があった。

 

その中でも、この記事を読んだ先輩から貰ったメッセージが一番思うことがあったので、ここに紹介する。

 

好きなことしていくのも、そうじゃなかったとしても、どんな仕事も、相手に期待してもらって、そこに価値を返せてはじめでお金をいただけて成り立つものだと思うんだよね。一人では成り立たないから必ず評価してくれる「相手」が存在する。


私の周りにも俳優や歌手やモデルをやってたり目指している子がいるんだけど、そういう職業は特に周りから応援してもらえるかどうかってすごく大切だと思うんだよね。


だからって当たり障りのない内容を書こうとか、よく見せるような投稿をしようとか、そういうことではないんだけど、「駆け出し俳優」として投稿するのであれば、誰に対してどんなことを発信して何を感じてもらいたいのか、自己満ではなく相手にとってどうか、という視点も持って書いたら、疾風をもともと知っている人だけでなく、初めて知ってもらった人にも応援されるような自分になれるんじゃないかなあと思うんだよね(*^^*)

 

そうじゃなくて、俺は俺の発信したいことだけ発信できればいいんだ!って思うならそのままでいいと思うけど、少なくとも「見られている意識」はどこかに持っていたほうがいいかなあと。

 

当時は、自分の自己満の記事が多かったし、「見られている意識」なんてこれっぽっちもなかった。

 

とどのつまり、何が言いたいかって、僕は自分の思ったことや感じたこと、そして“伝えなければならないこと”を嘘偽りなく、何にも影響されることなく発信し続けることだけは絶対にやめないと誓った。

 

「そもそも、こんなんで売れる訳ないだろ。」とか「芸能業界なめんな。」という声もたくさん頂く。

 

イメージ戦略や、炎上を恐れて言いたいことを言えないと、ふとした時に出た言葉が“これでもか!”と言わんばかりにそこだけがピックアップされる。

 

それでも、デビューした時に、普段からこういうメディアを持っていること、常に発信していることがオーソドックスだったとしたらどうなんだろう?と考えたから、僕はブログをやっている。

 

諸刃の剣でもあるんだろう。データは残っているし、もうネット上の色んなところに散らばっていて収拾すらできない。

 

それでも、僕は一種のネタとして面白いんじゃないかなとも思っている。

 

今のこの社会や風潮だからこそ個の意見を発信することを恐れずにやっている人は貴重なのではないだろうか?

 

そして、少なからず全員ではなくとも、必要としてくれる人はいるんではないだろうか?

 

ブランディングとして、オピニオンを臆することなく発信する俳優が1人いてもいいんじゃないだろうか?その方が差別化になるんじゃないだろうか?

 

僕が俳優を目指しているのも、一種の手段でしかない。

 

俳優になることがゴールではないし、なったから終わりという訳でもない。

 

純粋に少しでも人を感動させたり、楽しませたり、感情や想い、作者の意図や言葉を表現して伝えることが俳優と思っているから、ブログもなんらそれと変わりない。

 

だからこそ、自分の足で立ち、自立という矛を持つべく、色んなことの収益化をはかっているし、マネタイズにも取り組んでいる。

 

そんな俳優がいてもいいんじゃないか?って。

 

これが正解かどうかなんて全く分からないし、人からどう見られているのかも分からない。

 

ただ、どうやら僕はこの茨の道を正解にしたいらしい。笑

 

7月〜9月で俳優活動もいよいよ本格的に動き出すので、その後がどうなっているかは分からない。

 

それでも、自分で選んだ道なんだ。例えどうなろうと一切人のせいにしたりはしない。

 

どうなろうと、全ては自分の責任だ。

 

そのことを常に肝に命じて、これからも駆け出しオピニオン俳優として胸を張って活動していこう。