渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

襷(たすき)がけ

2016年06月24日 | 文学・歴史・文化



坂妻さんですね。田村正和さんのお父様。
これは歴史的金字塔といえる映画『血煙高田の馬場』
(1937年公開/監督:マキノ正博)の名シーンです。

高田(たかた)の馬場の決闘は史実です。
元禄7年2月11日(1694年3月6日)の春の日、江戸郊外の高田
(たかた)の馬場(現在の新宿区西早稲田)で起きた決闘でした。
うちの先祖のトモさんが死ぬ5年前ですがそれはどうでもよい。
史実は武士同士のいざこざの一対一の決闘で、対決者の一方と
一緒に同行した中山安兵衛が一対一で行なわれた決闘で不意に
加勢しようとした二人を斬り倒したのですが、これが江戸市中で
評判になり、大きく脚色・ねつ造されて行きます。
安兵衛が斬り倒した人数が最初は瓦版で18人とされ、その後に
どんどん加算されて、酔いつぶれて寝ていたところ助太刀に
酒を煽って韋駄天走りをして23人斬り伏せたなどと講談では
講釈師がパンパンと噺をまくしたてるようになりました。
創作ねつ造が多く登場し、学習院大学の敷地内には安兵衛が
決闘後に刀を洗った「血洗いの池」と呼ばれている池があります
が、これは大正時代の学習院高等科生徒による創作であるといわれ
ています。
また、馬場下町には今でも「うちが堀部安兵衛が酒を煽って
決闘に行った店」と自称している酒屋があります。
私は西早稲田馬場下町界隈の住人でしたのでよく知っていますが、
ものすごい態度の店で、一切「いらっしゃいませ」「ありがとう
ございます」は言いません。そして「ふん」という態度で客を
睥睨する一般小売酒屋です。あれ、なんだかすごい(笑

で、モノガタリというのは史実とは大きくかけ離れているという
典型がこの「高田の馬場の決闘」や「四十七士の討ち入り」なの
ですが、ここでは映像作品等に観られる「襷(たすき)がけ」に
ついてみてみます。

「高田の馬場の決闘」では多くの創作モノガタリでは中山安兵衛
(後の堀部安兵衛)は堀部氏の娘から襷を貰ってそれを巻く、ある
いは別人から襷をもらう等々なのですが、その襷の掛け方に注目
してみます。

こうした左内脇に結び目を作る方式は、俗に「女中結び」や
「お手伝いさん結び」(戦後か?)などと呼ばれた方式でした。


実際の武芸者に多かった結び方は、このように左脇で結び目を
作ってから背中に回すいわゆる応援団のような方式が多かった
とも云われています。実際に江戸期の絵図などではこうした
結び方
も見られます。





(これは観劇したかった)


ただし、あくまで私見としては、迅速性を重んじる場合は、武士の
襷がけにおいても左脇結びはあったのではなかろうかと思います。
というものも、後ろ結びでは、もし結び目がほどけたら一気に状態悪化
になり
ますし、襷を解いて捕縛等に使用する場合の迅速性に欠けること
が考えられるからです。

しかし、固く結んだ場合は、やはり背中に回すほうが邪魔な結び目が
腕の動作を妨げないので、後ろ結びのほうが実用的かとも思います。
これは、熾烈な迅速性が求められる現代のカルタ取りなどの競技でも、
選手は応援団結びをして一切腕の邪魔になる部分を背後に持って行って
いることからも類推できます。すごいのは袴の結び目さえもやや左
に配置して右手の動きの妨げにならないようにしている。まさに競技上
における実戦的な様式にしている訳です。

歴史事象については、明らかな証拠や確定事項ではない限り、断定的に
21世紀の現代人が決め付けるものではないと私は思います。
まあ、それでも、盗人と同じく、人の世はねつ造や創作詐称の種は尽き
まじなので、あたかも江戸期から直伝されているかのように主張し出す
カタリを始める人たちもいることでしょう。
それは、「血洗いの池」と同じことだろうと思います。
新選組のダンダラ羽織が常用されていなかったのは、知っている人は
知っていますが、映像表現物語では、あれは一つのシンボルですので、
映像作品においては多用されています。
でもそれは「創作世界」での出来事です。
創作映像表現と現実の史実を同一視するのは時代考証以前に、論外です。
論外というか、かなり危険です。そのうち「ねずみ人間」の声が聴こえて
きそうな感じで。
私の知り合いに劇画『乾いて候』の御毒味役の「腕下主水(かいなげ
もんど
)」が実在したと信じて疑わない人がいて、本人は確信している
だけに、その想像力と現実と妄想の境界のなさにかなり興味深くお噺を
拝聴したことがあります。(実話)


-江戸名所図による高田(たかた)の馬場-




なんとなく横浜鶴見の生麦のあたりに似てますね。

創作やねつ造ではない事実の実話として、私は刀の下げ緒を襷に
かけた
ある武術人にとんでもない技を見せてもらったことがあります。
それは、下げ緒を襷にかけていて、それをパッと解いて、こちらに
投げる。彼は「打つ」と表現していました。
最初は試しに私は素手で拳法の構えでした。いわゆる徒手格闘技の
構えです。
すると、ムチのように伸びて飛来してきた下げ緒で手が絡め捕られて
しまいました。西部劇のカウボーイのように輪っかなど作っていません。
ところががっちりと縛られていて完全に自由を奪われている。
次には飛来した下げ緒を掴みました。すると刹那、ヒュルヒュルと
下げ緒の波が飛んできて手がガッチガチに絡め捕られる。

きょとんとしていたら、今度は刀を持って構えてみろとのことで
やってみました。
刀という長い物があるのに、手が飛来した下げ緒で絡め捕られる。
何度やっても捕られてしまう。
片手だから柄頭側からの飛来で捕られるのだろうと思って両手で
正眼に構えても捕られてしまう。
まるでマジックでした。
世の中には恐ろしい技というものがあるものです。
その状態で手裏剣でも打たれたら一発でアウトです。
世の中には、ネットで表などには出てきていない恐ろしい技を持った
人たちはごちゃまんといるよなと、その時のことを思い出すたびに
天狗になっては命取りだなと思う次第です。
予定調和の約束稽古でキツネとタヌキの化かし合いをやっている
うちはよいのですが、現代戦は刀槍を用いた対決はありえないとは
いえ、本物の武術というのは実に本質部分が恐ろしい。

そもそも決闘自体が「決闘ニ関スル件」という明治の法律で禁止され
ていますので、腕試しの直接対決などはありませんし、現代では
あっては
ならないことですが、本物の伝統武技というのはやはり「術」
である
だけに、想像で脳内に創作した妄想「技」とは雲泥の差があり
ます。
一言でいうと、「次元が異なる」。


帰宅後、私は脳裏に焼き付けた下げ緒打ちを何度も練習しましたが、
まったくサッパリで今に至っています。
手裏剣もサッパリだし、居合もてんで丸で駄目夫くんで、つくづく
武術的な才能がないのだなぁ~、なんて思っています。
「ならば頭で勝負だっ!」とか言ったらいきなしチョーパンくれそう
だし、俺(笑)。「頭使ったぜ」みたいな。
私は
喧嘩もしたことないし、仮にしても弱いだろうし、人をぶった
ことも人にも親父にもぶたれたこともない。
とことん気の弱い一般ピーポーの小市民
なのだなぁ、と自分で思います。



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