私小説が書けるような人生は幸福ではない
色々な思い出がまだ残っている部屋の中で『人間失格』を思い出していました。特に冒頭の部分。
「恥の多い生涯を送って来ました。 自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした」 (人間失格)
私が今まで送ってきた恥の多い人生について「私小説にできると思う」「漫画化したら面白いのではないか」というメッセージを頂くことがあります。
そんな時に太宰治をイメージされることが多いのですが、日本文学の巨匠のような文才を私が持ち合わせているわけはないし、太宰のように玉川上水に入水したりトルストイのように悪妻から逃れて駅舎で死ぬことも望んでいません。ニーチェのように善悪の彼岸で世界の深淵を覗くような生き方にもなりたくはないのです。
私はもっと単純な男です。幸せな家庭を持って妻と我が子を養っていくことに幸せを見いだせるような人生を歩みたい。
(土田世紀『編集王』)
ファウスト
私が個人で使っているLinuxマシンのユーザー名は全てfaustです。会社で使っているサーバーもいくつかfaustユーザーでログインしています。
ゲーテの『ファウスト』のようにあらゆる学問を究めようとしても「何も知ることができない」ことに絶望して、メフィストフェレスを召喚して快楽と堕落に満ちた世界へと堕ちていきたいと思っています。自分の魂と引き替えに。
E=mc2のような宇宙の真理の追究よりも、快楽を追究したい。
(手塚治虫『ネオ・ファウスト』)
『若きウェルテルの悩み』のような婚約者がいる女性への熱い恋愛にも憧れましたが、これは最近経験したので小説通りの結末は迎えたくはない。愛と快楽を追及してどっぷりそこに漬かって、最後はそこで地獄へ堕ちるか畜生道に輪廻転生するので充分なのです。
『マトリックス』『アルジャーノンに花束を』
文学・社会科学・人文科学・自然科学・技術書などの書籍を少しばかり読んできて人並み程度の教養は身につくことは出来たのかなと思います。知識は力であること、そして知識によって世界の見えにくい構造を発見することができることを学びました。
そこに知的興奮を見出していた私がいたことも確かな事実です。
でも、それらは全て忘却の彼方へと追いやっていい。
学問の領域や世界の法則はさらに深いことを「無知の知」として認識することになりました。自分の学習はまだ浅くペダンティックであり、更に広大なディシプリンが存在します。少年老い易く学成り難し。
異国の地で一緒に孔子廟を訪ねましたがソクラテスと同じく論語の「知らざるを知らずとなす。これ知るなり」を思い出しました。世界は広い。
そして研ぎ澄まされた感性と知識によって森羅万象を精緻に分析していくことが出来ますが、それは自分の心を切り裂く鋭利なナイフにも成り得ます。
知らなかったら悩まなかった問題、気づかなかったら幸せであった虚構の幸福も、露骨に見えてしまうことになります。映画「マトリックス」であれば、私は青い薬を選ぶかザイオンの場所をスミスに教え、偽りのステーキの味を愉しむことを選ぶでしょう。リアルワールドの見たくないものも見えてしまうからです。
世の中が明瞭に見えなかったり虚構の幸福の中で生きることが必ずしも不幸ではないし、逆もまた然りです。世界の深淵は覗かない方が幸せである場合もあります。
バトー「人間と機械、生物界と無生物界を区別しなかったデカルトは、5歳の年に死んだ愛娘にそっくりの人形をフランシーヌと名付けて溺愛した。そんな話もあったな」(「イノセンス」)
『アルジャーノンに花束を』で頭が良くなることが必ずしも幸せとは限らない世界が描かれています。複雑な悩みや人間関係を抱えて忙殺されるよりも、無邪気な日常の中にも幸福がある。例えそれが農奴や1984年のような世界であっても。私は夢を信じながら現実を生きたい。
山谷や西成などのドヤ街にもドヤ街の幸せがあるし、それは松濤や広尾に住む人とは違う次元の楽しみがあります。私が住んでいる円山町のラブホ街もそうです。
円山町には元彼女が「サイトー」と呼んで可愛がっていた野良猫がいます。元は松濤で飼われていたようですが、その気品を保ちながら円山町で逞しく、ラブホのおばちゃんや風俗のお姉さんなど沢山の優しさに包まれながら生きています。
家族を持つ幸せ
私は普通の幸せを見つけたい。
中学や高校ではいじめられて帰ってきて毎晩泣きながら、「ここではない何処か」に自分が幸せになれる場所があると願い続けていました。
東京にそれがあるんじゃないかと思いました。確かに東京はマイノリティに優しい街でした。多様性を包括する曖昧な部分が残されていて、そこで逞しく生きている人の日常がある。
私はその中に受け容れられて妻を持ち子供がほしい。子育てがしたい。そしてその幸福と苦労の中に自分が今ここに存在している証しを残したかった。玉川上水ではなく。
その幸せがもう少しで到来すると信じていました。東京の高田馬場で出会い、異国の地の150元の屋台で熱々の麻婆茄子を頬張りながら笑顔で食事ができました。色々な裏切りなどに直面して人間不信に陥っていた自分の心を立て直して、もう一度人を信じてみようと思いました。
現実生活に打ちのめされて何か信じられるもの頼られるものがほしかった自分もいたのでしょう。我らの弱きを知りて憐れむ方もいるのかもしれません。
でも、そんな日が訪れるのはもう少し先であったようです。
私がいま手の中で握っている幸せは、深夜に吉野家の牛丼を食べる自由。深夜の吉野家の牛丼の汁はどんな高級なフレンチや中華料理も勝つことができない甘露の味がします。
その自由を幸福と思いながら、今しばらく太宰ルートに陥らない道を待ち続けたいと思います。月世界へ行く感じで。
スマホに挿していたSIMカードはすべて折って捨てました。焦る気持ちが湧いてこないように何も持たないくらいが丁度いい。般若心経の空の気持ちで待つようにします。般若心経も膨大な仏典のサマリーにすぎず世界は広いですが、般若心経と論語くらいの長さを肝に銘じた方が丁度いい。
待っていたり頑張っていても見つからなかったら仕方ない。諦めることにしようと思います。私の幸福は毎日が日曜日なのでしょう。
メンヘラのオナニーみたいな記事ですみませんw