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 1945年6月23日、沖縄で旧日本軍の組織的戦闘は終わったとされる。しかしその後も、沖縄の人々の苦しみは終わらなかった。戦争孤児、過酷な収容所生活、今に続く女性の人権をふみにじる行為――。71年経ってもなお、消せない記憶がある。

■地上戦で家族8人失う

 23日昼、糸満市の平和祈念公園。安倍晋三首相や翁長雄志知事らが出席した沖縄全戦没者追悼式の会場の目と鼻の先にある県平和祈念資料館で、ひとつの企画展が開かれていた。テーマは「沖縄の戦争孤児」。沖縄戦で親を亡くした子どもたちの苦難の戦後を紹介する展示だ。

 孤児たちの証言を紹介するパネルが並ぶ。その中に、浦添市の親富祖(おやふそ)清武さん(83)の証言もあった。軍民が入り乱れた地上戦で家族8人を失った。

 例年、慰霊の日は祈念公園に足を運んできたが、今年は体調のすぐれない妻のハツ子さん(78)と自宅で迎えた。家族の享年が記された過去帳をめくり、仏壇に手を合わせた。

 親富祖さんが12歳のとき、米軍が上陸した。母は浦添市の自宅で砲弾の破片を受け、目の前で命を奪われた。本島南部への避難中、妹は艦砲射撃で、祖父は栄養失調で次々に倒れた。祖母と弟2人は戦後の収容所でけがや病気で死亡。防衛隊員として徴集された父と兄は「戦死」と伝えられたが、時期も場所も定かではない。