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うつのキセキ。

うつで休職した会社員が社会復帰をめざして奮闘したりぼやいたりするブログ。

上手に生きられない自分が不器用すぎてつらい

雑記

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ルイです。

この世は何かと生きづらいですね。

なんかもううまくいかないことばかりです。

器用に生きられる人にとってはハッピーな世界なのかもしれませんが、わたしのような不器用な人間には……なかなか骨の折れることばかりです。

しんどいことが絶えない世界で生きていくことは、大変なことです。

 

人生のハードルが高い

普通に生きていくことって本当に難しくないですか?

どうしてみんな、普通に働いて、結婚して、子供を産んで、育児できているんだろうか…

これができない自分は社会不適合者で、不器用で、人生のステージをろくに進めないのろまな亀のように思えてしまいます。

みんなができるようなことが、自分には出来ない。

小さなころからそうでした。

おかしいと言われるたびに訂正して、おかしい自分を否定して、できるだけ普通に矯正してきたつもりでした。

しかし、やっぱりおかしい。

「浮世離れしているよね」とはしょっちゅう言われます。

どうも存在自体が浮いているらしい。

普通になりたいのに、なれない。

愛想笑いばかりしていますが、内心は不安と疑問ばかりです。

「これで本当にいいのかな?」

「これが本当に正しい事なのかな?」

小さなころから自分を否定することばかりを繰り返しすぎて、自分の言動や行動にいちいち疑問を持つ、自信がない人間になってしまいました。

そんな人間にとっては、普通に生きることはとても難しい。

ハードルが高すぎるのです。

 

「変だよね」って言われないための人生

自分が「変だ」と言われることにうんざりしていました。

もう、はぐれもの扱いされ続けるのは嫌だったんです。

わたしだって世間一般の人のように普通に生きたかった。

普通に働いて、恋愛して、結婚して、誰かの母親になりたかった。

しかし、うまくいかない。

普通のありふれた幸せをつかむために、わたしは自分の「変」なところをなるたけ矯正してきたつもりでした。世間一般の普通の人たちとはどういう人なのかを観察し、擬態してきたつもりでした。

ありのままの自分では、幸せになれないという予感があったからです。

しかし、限界がありました。

「変だ」と言われないために無理をしすぎて、疲れてしまいました。

不器用すぎるわたしは仕事へのエネルギーを注ぎすぎて、倒れました。

気づいたらうつ病になっていました。

「ああ、やっぱりわたしは普通に生きることができないのか」

絶望してしまいました。

わたしはただただ普通に生きたかった。

ありふれた幸せな人生を送る人に近づきたかった。

ありのままの自分を受け入れてくれる人がいなかったから、「変じゃない自分」を偽装した。

それでもだめだったんです。蓄積したストレスはうつ病となって跳ね返ってきました。

これには困りました。

何をやっても本当にうまくいかないんですねえ。

 

ありのまま生きて嫌われるか、自分を偽装してありふれた幸せに近づくか

わたしの生き方はこの二者択一になると思います。

ありのまま生きることなんて、やっぱりできないです。怖いんです。

ありのまま振る舞ったら人は離れていく。

親しい人でさえ怒らせてしまうし、積み上げた人間関係はことごとく壊れてしまう。

わたしは人間関係の維持がとても下手です。

親しくなった人は必ず最後は絶縁してしまう。いつも怒らせて、嫌われてしまう。

それが怖いから、自分を偽装します。装った自分でなら、かろうじて嫌われないで済みますので。

やっぱり、ありふれた幸せに近づくのなら、大なり小なり自分を偽装する必要があるでしょう。ありのままの自分を受け入れてほしいなんて、そんな虫のいい話はありません。

自分を偽り、人との距離を保って、擬態を見破られない程度の親しさを保って。

それならどうにか生きていけます。

もっと上手に生きていけたらいいのに…と何回も思いますが、三つ子の魂百までと言いますし、人間の性格は簡単には変えられないでしょう。

「ありのまま生きるなら、嫌われる覚悟」

「ありふれた人生を送りたいなら、自分を偽る覚悟」

どっちがわたしにとって、選ぶべき決断かということです。

生きていくって、難しい事ですね。

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