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■インタビュー「わたしと沖縄戦」

 なんくるないさ、という沖縄方言があります。なんとかなるさ、という意味です。能天気に聞こえるかもしれません。でも、沖縄には大変な歴史があった。苦しいことがあっても「なんくるないさ」と言って生きてきたのです。

 ぼくの母親は1936年、名護市で生まれた。8人きょうだいでしたが、沖縄戦と南洋群島の戦争で、4人を失いました。

 母は生まれてすぐに、両親に連れられて南洋群島のパラオに移住した。日本が当時統治していた南洋群島には、貧しかった沖縄からたくさんの人が仕事のために渡った。パラオでは、3人の弟が生まれました。

 そこにも戦争がやってきました。山の中に隠れているときは花も、葉っぱも、トカゲも、カエルもなんでも食べて飢えをしのいだそうです。それでも3人の弟のうち、2人が栄養失調で死んでしまいました。

 爆弾が次々と落とされるなか、母は3歳くらいの弟のお守りをしながら防空壕(ごう)に隠れていました。でも、弟が泣いてしまう。日本兵が言ったそうです。「うるさい、出て行け」