<社説>慰霊の日 「軍隊は住民を守らない」 歴史の忘却、歪曲許さず
沖縄戦で組織的戦闘が終結してから71年を迎えた。
今年3月、集団的自衛権の行使を認め、自衛隊の海外活動を日本周辺以外にまで広げた安全保障関連法が施行された。日本が戦争のできる国へと大きく変貌した中で迎える「慰霊の日」だ。
米国など「密接な関係にある他国」への武力攻撃に日本が反撃すれば、日本は当該国の敵国となる。攻撃される危険性が高まり、国民は危険にさらされる。自衛隊に戦死者が出たり、自衛隊員が他国の兵士や国民を殺したりすることもあり得る。これが憲法の専門家の圧倒的多数が違憲と断じる安保法の本質である。
「地獄は続いていた」
日本軍(第32軍)は沖縄県民を守るためにではなく、一日でも長く米軍を引き留めておく目的で配備されたため、住民保護の視点が決定的に欠落していた。首里城の地下に構築した司令部を放棄して南部に撤退した5月下旬以降の戦闘で、日本兵による食料強奪、壕追い出し、壕内で泣く子の殺害、住民をスパイ視しての殺害が相次いだ。日本軍は機密が漏れるのを防ぐため、住民が米軍に保護されることを許さなかった。そのため戦場で日本軍による命令や強制、誘導によって親子、親類、友人、知人同士が殺し合う惨劇が発生した。
日本軍の沖縄戦の教訓によると、例えば対戦車戦闘は「爆薬肉攻の威力は大なり」と記述している。防衛隊として召集された県民が急造爆弾を背負わされて米軍戦車に突撃させられ、効果があったという内容だ。人間の命はそれほど軽かった。県民にとって沖縄戦の最も重要な教訓は「命(ぬち)どぅ宝(命こそ宝)」だ。
米軍はどうか。米作家で「天王山-沖縄戦と原子爆弾」の著者ジョージ・ファイファー氏は「軍の目的は民間人を救うことではなく、戦闘に勝って領地を得ること」だと断言する。さらに軍事戦略家が太平洋戦を検証し「沖縄を含むいくつかの島の戦いは必要のない戦い」と結論付けていることを紹介した。
ようやく戦火を逃れたにもかかわらず、人々は戦後、極度の栄養失調とマラリアで次々と倒れていった。親を失った孤児は約千人を超える。女性は収容所で米兵に襲われた。当時、田井等収容所で総務を担当していた瀬長亀次郎氏(後の那覇市長、衆院議員)は「戦争は終わったが地獄は続いていた」と記している。瀬長氏も母親を栄養失調で亡くした。戦争がいかに弱者に犠牲を強いたかを忘れてはならない。
終わらない戦争
戦後、沖縄戦の体験者は肉体だけでなく心がひどくむしばまれ、傷が癒やされることなく生きてきた。その理由の一つが、沖縄に駐留し続ける米軍の存在だ。性暴力や殺人など米兵が引き起こす犯罪によって、戦争時の記憶が突然よみがえる。米軍の戦闘機や、米軍普天間飛行場に強行配備された新型輸送機MV22オスプレイの爆音も同様だ。体験者にとって戦争はまだ終わっていない。
戦後も女性たちは狙われ、命を落とした。1955年には6歳の幼女が米兵に拉致、乱暴され殺害された。ベトナム戦時は毎年1~4人が殺害されるなど残忍さが際立った。県警によると、72年の日本復帰から2015年末までに、米軍構成員(軍人、軍属、家族)による強姦(ごうかん)は129件発生し、147人が摘発された。そして今年4月、元海兵隊員による女性暴行殺人事件が発生した。
戦場という極限状態を経験し、あるいは命を奪う訓練を受けた軍人が暴力を向ける先は、沖縄の女性たちだ。女性たちにとって戦争はまだ続いている。被害をなくすには軍隊の撤退しかない。
「軍隊は住民を守らない」。私たちは過酷な地上戦から導かれたこの教訓をしっかり継承していくことを犠牲者に誓う。国家や軍隊にとって不都合な歴史的出来事の忘却、歪曲(わいきょく)は許されない。