森達也監督がゴーストライター騒動後の佐村河内守と対峙した。マスコミ試写での約束──「誰にも言わないでください。衝撃のラスト12分」は、宣伝目的のこけおどしではなかった。公開後、「観た?」「いつ観るの?」──感想を言いたくてうずうずしている人たちが巷にあふれ、彼らが新たな観客を呼んでいる。今もっとも話題のこの映画がどうやって出来たのか。森監督に聞いた。

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© 2016「Fake」製作委員会

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『FAKE』の撮影期間と、その間どのぐらいの頻度で佐村河内家を訪れていたか教えていただけますか。

2014年9月に撮りはじめてクランクアップは今年の1月ですから、撮影期間は1年4カ月。年末年始は足繁く通いましたし、逆にブランクがあいた時期もありましたが、平均すると月に2〜3回くらいです。

雑誌のインタビューで、佐村河内さんを撮ろうと思った理由を聞かれて「フォトジェニックだったから」と答えていましたが。

そもそも彼のことは知らなかった。新垣さんの記者会見で騒動になったとき、こんな人がいたのかと思った程度でした。その後しばらくしてから、「佐村河内さんの本を書きませんか」と書籍の編集者から連絡がきました。彼は騒動後に佐村河内さんに何度も会っていて、メディアの論調と佐村河内さんの言い分が大きく異なることに注目して、僕に本を書かせようと思ったようです。そのときは忙しかったし、さほど興味もなかったのでお断りしたのだけど、その後も熱心に何度も連絡をくれたので、ならば一度だけ会いましょうかというつもりで、佐村河内さんの自宅に行きました。それが2014年の8月。そのとき、フォトジェニックだと思いました。

やはりデカかったですか? 佐村河内さんは。

それほど大きくないですよ。神山(典士)さんが書いた『ペテン師と天才』には「180センチ近い巨体」と書かれていたけれど、実際は176センチの僕よりも数センチは低いです。四捨五入しても180センチは無理ですね。

でもフォトジェニックと感じた?

薄暗い部屋の中に佐村河内さんと奥さんが座っていて、そばに猫がいて、窓を開けると電車がすぐ下を走っていて──これは活字ではなく映像だと思いました。だからしばらく彼と話してから、「映画にしたい」と伝えました。

同行した編集者は?

当然だけど呆然としていました。申し訳ないことをしてしまった。

8月に会ってから撮影開始の9月までの1カ月間、どんな準備をしましたか?

実質は2週間弱だったと思います。いくつか彼を紹介していた過去のテレビ番組を観たり週刊文春の記事を読み返したりした程度です。一般レベルの情報くらいは身に付けようと思ったので。その程度です。

映画にしたいと言ったときの佐村河内さんの最初の反応は?

少なくとも即答ではなかった。奥さんからは「私は絶対ダメです」と言われました。2週間ぐらいたってからカメラを持っていきました。それが映画の冒頭のシーンです。あのときはまだ奥さんはNGでした。

そのとき佐村河内さんはOKだった?

ある程度は。

その時点でNGの奥さんを諦めて、佐村河内さんだけを撮ろうとは思いませんでしたか?

思いません。奥さんは絶対に撮るつもりでした。

佐村河内さんが森さんの撮影を受け入れた理由はなんだったと思いますか?

なんでしょう。映画の被写体になることをお願いしたとき、「僕はあなたの名誉を回復する気はさらさらない」と彼に言いました。「自分の映画のためにあなたを利用したい」とも。断られて当然です。頭がおかしいと思われたかもしれない。……不思議ですね。よくわからない。何かに感応してくれたのだろうと思うけれど。

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