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 3歳で原爆孤児となった東広島市の飯田国彦さん(73)は今年3月、転勤を機に23年暮らした富山から広島に戻ってきた。「もう時間がない。残る力を証言に注ぎたい」との思いからだ。自身の体験の細部をどこまで子どもたちに話すべきか。葛藤しつつ、証言にのぞむ思いを聴いた。

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 1945年8月6日。3歳だった飯田さんは、爆心地から約900メートルの広島市水主町(かこまち)(現・中区加古町)の母稔子(としこ)さん(当時25)の実家にいた。縁側で庭のコイを眺めていると母に呼ばれて、家の中に上がった。その時だ。ピカッと閃光(せんこう)が走り体が空中に飛ばされた。地面にたたきつけられた直後、倒れてきた家の下敷きになった。