髙島曜介
2016年6月22日11時07分
3歳で原爆孤児となった東広島市の飯田国彦さん(73)は今年3月、転勤を機に23年暮らした富山から広島に戻ってきた。「もう時間がない。残る力を証言に注ぎたい」との思いからだ。自身の体験の細部をどこまで子どもたちに話すべきか。葛藤しつつ、証言にのぞむ思いを聴いた。
◇
1945年8月6日。3歳だった飯田さんは、爆心地から約900メートルの広島市水主町(かこまち)(現・中区加古町)の母稔子(としこ)さん(当時25)の実家にいた。縁側で庭のコイを眺めていると母に呼ばれて、家の中に上がった。その時だ。ピカッと閃光(せんこう)が走り体が空中に飛ばされた。地面にたたきつけられた直後、倒れてきた家の下敷きになった。
残り:1228文字/全文:1538文字
新着ニュース
おすすめコンテンツ
※Twitterのサービスが混み合っている時など、ツイートが表示されない場合もあります。
朝日新聞社会部
PR比べてお得!