共和党の予備選でどんな暴言を吐いても勝ち続けてきたトランプだが、民主党サイドでヒラリーが指名候補の座を確実にした。
つまり、実質的な本選が始まった今、トランプの「無敵」の魔力が消えようとしている。
私は、近いうちにトランプのメルトダウンが始まると思っている。その6つの理由をご説明しよう。
①トランプは逆境に弱い
「予備選で見えてきた『部族化』するアメリカ社会」というコラムに書いたが、「アルファ(群れを支配する強いオス)」としてのイメージが、トランプ人気の秘密だ。
保守の立場から政治を分析するコメンテーター/ブロガーとして有名なマット・ルイスは、次のように説明している。
「(ライバルとの戦いが多い)部族では、リーダーを選ぶときの基準は、経験や知恵ではなく力だ。現在私たちが目撃していることの大部分は、基本的にマッチョさ(男らしさ)という下劣なものなのだ。つまり、『あいつらは俺たちをやっつけようと企んでいる。だから、その前に一番タフな奴にやっつけてもらわなくては』という考え方だ。トランプの支持者は、政治の中枢にいるなよなよした候補者の中で、トランプだけを『アルファ』とみなす。それが支持者の主要な論拠なのだ」
だが、トランプは逆境に弱い。
アイオワの予備選でテッド・クルーズに負けて2位になった翌日のラリーに出席したところ、トランプは政策についてはほとんど語らず、「何もキャンペーンをしていないし、金も使っていないのに2位になった俺はすごい。俺が本気になっていたら、簡単に勝てていた。マルコ・ルビオはあんなに頑張ったのに3位だった。それなのにメディアはマルコばかり褒める」と、終わった選挙のことをくどくど話し続けていた。最近の世論調査でヒラリーが大きな差をつけて優位になってからのトランプのスピーチにも、同じような小心さが見られる。
トランプの支持者は、「常勝スポーツチーム」や「アルファ男」が好きな人たちだ。そういった人たちは、アルファが敵に叩かれて弱みを見せたとたんに尊敬を失う。その対戦相手が女性だったらなおさらのことだ。
「悪徳ヒラリー(crooked Hillary)」という蔑みのニックネームをつけて対立候補を揶揄する戦略は予備選では効果的だったが、本選での幅広い有権者に対しては幼稚で情けなく響く。外交や政治のディベートで、冷静沈着に具体的な対策を述べるヒラリーに対して、口ごもったり、顔を真っ赤にして罵ったりしたら、アルファ男としてのトランプのイメージに傷がつく。
そこまで考えて行動できないトランプは、墓穴を掘る可能性が高い。
②「持ち上げて、落とす」という世論やメディアの傾向
予備選でのトランプの意外な好戦はメディアにとって格好の材料だった。彼の暴言を報道しながらも、政策面で強く攻撃することはなかった。しかし、予備選が終わったいま、大手メディアはトランプに対して厳しくなっている。
また、ネット世代の支持者は、飽きるのも早い。次々と新しい刺激を与えないと人気番組の視聴率が落ちるように、トランプの過激なパフォーマンスに魅了されていた人々も同じ芸だけだと飽きてくる。急速に燃え上がった情熱は、さめるのも早い。いったん欠点があることに気づくと、彼らは簡単に失望して離れていくだろう。
その点、長年にわたる数々のスキャンダルを知りつつもヒラリーを支援している人たちは、ヒラリーを完璧な人間だとは思っていない。だから少々のことでは失望しないし、気も変えない。持ち上げられることも、落とされることもないヒラリーのほうが長期的には有利になる。
③トランプはいまだに予備選を戦っている
トランプは、ツイッターでの暴言でフォロワーを集め、大手メディアに毎日のように取り上げてもらうことで、低コストで共和党の予備選に勝った。これは、近年の大統領選挙の歴史に残る快挙だ。
しかし、予備選と本選は、まったく異なるゲームである。
これまでの予備選では、トランプは「共和党」という特定のアジェンダを持つ集団だけを対象にしていれば良かった。だが、本選では、リベラルを含むアメリカ国民全員が対象だ。本選になると、国民は大統領にふさわしい知識、気質、風格を求めるようになる。
また、アメリカの大統領選挙は、最も得票数が多い候補が勝つわけではない。州レベルで勝った候補が、その州に振り当てられた「選挙人団(Electoral College)」を全部獲得するという「勝者総取り」のシステムだ(メインとネブラスカは例外だが結果に影響はない)。ゆえに、どの州に資金と人材資源を投入するのかという綿密な戦略が必要になる。
予備選での勝利を決めた時点でトランプがやるべきことは、外交や経済の専門家、スピーチライター、選挙キャンペーンのプロを雇い、オハイオやフロリダなど勝敗を決める重要な州に選挙事務所を設け、地元の直接有権者に働きかける「地上部隊(ground troop)」を雇い、ボランティアを募ることだった。
しかし、早期に指名候補の座を獲得したにもかかわらず、トランプはいまだに予備選と同じことを続けている。
④資金がない
4月の出費はヒラリー陣の3分の1で、給与を払っているスタッフの人数は10分の1(70人対732人)である。
ヒラリーと同じだけのスタッフを雇いたくても選挙資金が足りない。
昨年1月から今年4月までにトランプが集めた累計選挙資金は、約60億円で、ヒラリーの約290億円に遥かに及ばない。
トランプの選挙資金 59,900,000ドル
ヒラリーの選挙資金 288,900,000ドル
「アメリカ政治を裏で操るコーク兄弟の『ダークマネー』」で紹介したチャールズ・コークは、共和党の上院議員候補には約3億円の選挙資金を提供するが、トランプは無視している。
トランプに選挙資金を与えないのはコーク兄弟だけではない。通常なら共和党の指名候補に大金を注ぎ込む大企業や富豪たちもそうだ。
選挙資金が足りないと、広告代がないだけでなく、重要な州に足を運ぶのも困難になる。
これまで「自分ひとりで選挙資金をまかなっている」と自慢していたトランプは、6月18日のスピーチで「(ヒラリー攻撃の)テレビ広告を流すために、深夜までに10万ドルをゴールにした緊急の資金集めをする」と支持者に呼びかけたが、遅きに失するし、額も足りない。
⑤アメリカの4つの重要なグループから嫌われている
トランプとヒラリーの大統領選は、歴史上最も嫌われている者同士の戦いだと言われている。有権者の世論調査で、ヒラリーの場合は55%、トランプの場合は70%が「unfavorable(好ましくない、否定的)」と答えているからだ。
トランプの場合は、選挙で重要な次の4つのグループでの嫌われ方が著しい。「好ましくない」と答えた人のパーセンテージを見ればわかる。
ヒスパニック系:89%
黒人:94%
白人以外の人種:88%
女性:77%
白人以外の女性というコンビネーションでは93%が否定的で、これは致命的とも言える。
この状況を改善するためには、相当な方向転換が必要なのだが、トランプは本選でも予備選と同じように、マイノリティへの差別発言を続けているのだ。
その背後にあるのが、次の最も深刻な理由だ。
⑥トランプ自身が大統領になりたいかどうか心が揺れている
大手メディアは語らないが、初期からトランプをじっくり観察している人はあることに気づいている。
それは、トランプの揺れる心だ。
トランプが大統領選に出馬した動機は、2011年のホワイトハウス記者会夕食会の席でオバマ大統領にジョークのネタにされたからだと噂されている。辛辣な政治ジョークで有名なディナーなので、材料にされても笑ってかわすのがしきたりなのだが、トランプはみなの前で笑い者にされたことを根に持ったようだ。そこで、「大統領(少なくとも大統領候補)なんて、なろうと思ったらなれる」ということを示し、尊敬を得るために出馬したと言われている。
確かにこれも彼の動機になっているだろうが、それに加えて、「自分ブランド」を拡張することが彼の強い動機になっていた。
トランプは1970年代から不動産やゴルフ場経営で豪華な「トランプ」のイメージを育ててきた。そして、2004年に始まったテレビ番組「アプレンティス」は今でこそ低俗化しているが、初期にはハーバード大学を含む全米のビジネススクールで題材として取り上げられるほど注目された。
この「自分ブランド」で恩恵を得たトランプは、次の展開として、ハフィントン・ポストやバズフィードのような、自分ブランドのメディアを作ることを考えた。予備選で魅了した支持者を対象に、自分の思い通りのニュースを流すというものだ。
ところが、本人も予測していなかった2つの事が起きた。ひとつは、予備選での予想外の快勝だ。このために「本選に勝ちたい」という欲が生まれた。国を変える野望ではなく、「大統領」という究極の勝者になる欲だ。
次は、ブランドの価値の低下だ。かつては、私の周囲でもビジネスマンとしての彼を尊敬しているという経営者やウォール街の投資銀行家は珍しくなかったし、「トランプ」のブランドには高級感があった。ところが、現在は、年収20万ドル(約2千万円)以上の高所得層の45%が、予備選での彼の言動に辟易し、「トランプの名前がついたホテルやゴルフ場を故意に避ける」と答えている。
民衆から歓迎され、選挙に勝つのは気持ちが良いが、ビジネスにはマイナスになっている。敏感に空気を読むトランプにとって、これは大きなジレンマだ。
迷いが透けて見えたのが、ヒラリーが民主党指名候補の座を確実にした夜に行ったスピーチだった。それまでスピーチにプロンプターを使うライバルを嘲笑ってきたのに、プロンプターを使ったのだ。スピーチライターを使ったのが明らかなそのスピーチでは、彼がよく使う侮辱の言葉が少なく、彼が使ったことがない知的な単語があった。しかし、いつもの精彩はなく、会場からの反応も生ぬるいものだった。
「ようやく大統領らしくなることを決意したのだろう」とメディアは分析したのだが、トランプはその後プロンプターなしの元のスタイルに戻ってしまった。
この行為には2つの理由が考えられる。ひとつは、「政治のプロではなく、自分の直感を信じたから予備選に勝った。アドバイスを聞いて、プロンプターを使ったら支持者からのウケが悪かった。やはり、自分を信じたほうがいい」という自己正当化。もうひとつは、「大統領の仕事はしたくない」という本音だ。
大統領はつらいよ
大統領の仕事の9割以上は、中東問題、テロ対策、経済政策など「やりたくないこと」と「つらい決断」ばかりだと言われる。すべての大統領が任期中に老けこむのはそのためだ。脳天気に見えたジョージ・W・ブッシュですら白髪が増えたし、オバマ大統領に至っては、8年のうちに20年ほど年を取ったように見える。大統領になったら、これまでのように好きな車を運転する自由は一生なくなるし、ゴルフ三昧の暮らしはむろんできない。トランプは予備選の間はそこまで考えなかったが、本選では現実が見えてきて尻込みし始めているのだろう。
その点、自分らしい戦い方をして負ければ、「本当なら勝てたのに、負け犬の共和党エスタブリッシュメントが邪魔をし、悪徳ヒラリーがマスメディアを買収して不正な選挙で大統領の座を奪った」という言い訳ができ、面目が立つ。そのうえ、トランプブランドのメディアを立ち上げて、陰謀説を流し、一儲けできる。
けれども、トランプは大統領になる欲はまだ捨てていない。
予備選の最初から仕えてきた側近のコーリー・ルワンドウスキが6月20日に突然解雇されたことがそれを示している。ルワンドウスキは「トランプはトランプらしくあるべき」と主張し、トランプが選挙参謀として最近雇ったポール・マナフォートと対立していた。いっぽう、マナフォートは、歴代共和党大統領の大統領選での主要スタッフだった人物だ。トランプが、予備選で尽くした側近ではなくマナフォートを選んだのは、最近の世論調査でヒラリーに負け、ラリーに集まる支持者も減って悔しくなり、「本選で勝ちたい」という欲が一時的であれ勝ったということだ。
トランプが、冷静なブランド戦略と「勝ちたい」という単純な衝動の間を行ったり来たりする時間が長くなればなるほど、彼の優柔不断さが際立ち、勝つ見込みは少なくなる。