参院選がきょう公示される。

 安倍首相が前面に掲げるのは経済だ。一方、その裏に憲法改正があるのは明白だ。

 首相は、必ずしも改憲を争点にする必要はないという。国会での議論がいまだ収斂(しゅうれん)していないというのが、その理由だ。

 しかし、改憲に意欲的な首相自身がどこをどう変えたいのかをまったく明かさないのでは、有権者は判断しようがない。

 こんな逆立ちした政治の進め方に弾みをつけるのか、ブレーキをかけるのか。この参院選には「政権の中間評価」ではすまない重みがある。

 ■民意とのねじれ

 安倍氏が2012年12月に首相に返り咲いてから、参院選は2度目になる。振り返れば「安倍1強政治」の出発点となったのは、政権交代から7カ月後に衆参の「ねじれ」を解消した13年の前回参院選だった。

 この時に自民、公明両党に票を投じた有権者には、民主党政権の混乱にあきれ、安定した政治で景気回復に取り組んでほしいとの思いが見てとれた。

 3年前のねじれ解消を受け、私たちは社説で「民意とのねじれを恐れよ」と書いた。中小企業や地方で働く人々の賃金は上がるのか、財源を確保して医療や福祉を安定させられるのか。首相がこうした期待に応えぬまま「戦後レジームからの脱却」にかじを切れば、民意を裏切ることになるとの趣旨だ。

 昨年の安全保障関連法の制定からなお続く反対運動のうねりをみれば、この懸念は的外れではなかったと感じる。

 消費増税先送りという「新しい判断」の信を問う。これが首相のいう争点だ。税収や就業者の増加といった経済指標を強調し、アベノミクスを前に進めるか後戻りさせるかと訴える。

 首相は本来、増税を「確実に実施する」という約束を破った責任を取るべきだ。そうしない裏には、「苦い薬は飲みたくない」という多くの国民の率直な思いに乗じた計算が見える。

 安倍氏は「与党で改選議席の過半数獲得」を勝敗ラインに掲げる。覚悟を示したかに見えるが、勝敗ラインを割れば退陣するのかは、はっきりしない。

 ■低い投票率の結果

 安倍氏率いる自民党と公明党が3連勝した12年以降の衆参両院の選挙には、共通の特徴がある。投票率が低いのだ。

 12年衆院選で59%台、13年参院選と14年衆院選はともに52%台で、14年は衆院選として戦後最低を記録した。

 民主党へと政権交代した09年衆院選の69%台と比べれば、その差は大きい。投票者数でみれば、09年の7202万人に対し14年は5474万人。単純計算で、1700万あまりの人が投票所に行くのをやめた。

 自民党はこの間、野党転落と政権復帰の両方を経験したが、実は得票数に大きな変動はない。比例区では、いずれの選挙でも棄権を含めたすべての有権者の5人に1人に満たない支持で推移している。

 つまり、安倍自民党は支持者をさほど増やしているわけではない。死票が出やすい選挙制度のもと、民主党支持の激減と棄権者の増加が、自民党に得票以上に多くの議席をもたらしているに過ぎない。

 解釈改憲による集団的自衛権の行使容認。特定秘密保護法の制定や、放送法を振りかざした国民の知る権利や報道の自由への威圧。憲法の縛りを緩めるばかりか、選挙で問わぬままに改正論議に手をつけようという政権の危うさを目の当たりにした有権者に何ができるか。

 ■「悪さ加減」を選ぶ

 答えの一つが、自らの一票を有効に使う「戦略的投票」だ。

 聞き慣れない言葉かもしれない。一例を挙げれば、最も評価しない候補者や政党を勝たせないため、自分にとって最善でなくとも勝つ可能性のある次善の候補に投票することだ。

 首相もたびたび演説に引用する福沢諭吉は、こんな言葉を残している。

 「本来政府の性は善ならずして、注意す可(べ)きは只(ただ)その悪さ加減の如何(いかん)に在るの事実を、始めて発明することならん」(時事新報論集七)。政治学者の丸山真男は、戦後にこれを「政治的な選択とは〈中略〉悪さ加減の選択なのだ」(「政治的判断」)と紹介した。

 民主党政権の失敗は、なお多くの有権者の記憶に生々しい。その後の低投票率には、政治への失望や無力感も反映されているのだろう。

 だが、このままでは民主主義がやせ細るばかりか、立憲主義も危機に瀕(ひん)する。

 意中の候補や政党がなくとも、「悪さ加減の選択」と割り切って投票所に足を運ぶ。7月10日の投票日までに、選挙区と比例区2枚の投票用紙をいかに有効に使うかを見極める。

 18、19歳の240万人もの若者を有権者として新たに迎える選挙だ。上の世代が、ただ傍観しているわけにはいかない。