’04年8月にCDデビューし、今年で12周年を迎える関ジャニ∞。映画、ドラマ、音楽、バラエティなどメンバーそれぞれの活動も多岐にわたり、グループとして充実期に突入したように見える。しかし、話してみると、世のサラリーマン男性となんら変わらない、さまざまな思いや悩みを抱えた等身大の30代男性の姿がそこにあった。7者7様、明るくにぎやかな“わちゃわちゃ感”の裏に隠された、彼らの静かでアツい思いに迫る。
関ジャニ∞公式サイトより
――みなさん10代、20代前半でデビューし、月日を重ねて全員が30代を迎えましたが、仕事への姿勢や考え方に変化はありますか?
村上:今は「腹八分」ですかね。若い頃はもうお腹いっぱいになるまでやっていましたけど、野球で言うなら9回まで投げて完封勝利するためのペース配分みたいなものを覚えたのかもわからないですね。
渋谷:たしかに。仕事に限らず、生活していく上でもいい意味で「まぁいいか」っていう感じで、肩の力が抜けるようになったというか。
横山:なんやろうなぁ……30代になったら勝手に実力がついてくるもんやと思ってたんですけど、やっぱりちゃんと努力しないと身につくものも身につかない、そんなことに気づきましたね。
安田:最初の頃はまだ遊び感覚でしたよね。17歳か18歳のときにV・WEST(ファイブウエスト)っていうグループを組ませていただいて、今の村上くんのように仕切り役をやらされたんですが、「グループってこんなにも難しいんか!」って打ちひしがれた記憶があります(笑)。
丸山:うん、僕もほかのグループだったら今とキャラ違ってたやろうしな。自分らが30代になってからは、後輩のジャニーズWESTがデビューしたり、Hey!Say!JUMPとかSexy Zoneとかいろんなグループが出てきてますけど、僕らは年相応の、その時その時に求められることをちゃんと提示できるような大人でいたいですね。
――関ジャニ∞というと、関西ローカルデビューに始まり、しばらく不遇の時代を味わった苦労人、というイメージがあるのですが、振り返ってみて辛かった時期や、乗り越えてきた壁について教えてください。
横山:昔、メンバー同士でよく話してたのは、シングルにずっと「大阪」ってタイトルが付いてたとき、「なんかひとつ殻破りたいなぁ」っていうのはありましたね。
丸山:デビューも実験用というか企画みたいな感じでもあったしね。
大倉:それはそれで楽しかったんですけど、「どうなるんだろう?」っていう将来への不安はみんな持っていたと思います。それから東京に出てきたときにすごいぞんざいに扱われて「クソッ」って思ったり。そういうちょっとしたコンプレックスが原動力になっていました。
村上:「どうやったらデビューできるんだろう?」「どうやったらグループ組めるんだろう?」というのがジュニア時代の最初の悩みでしたけど、今は「もっとこのグループが大きくなるにはどうしたらいいんだろう?」ですね。でも、答えはまだ見つからないし、たぶんその試行錯誤は「関ジャニ∞」というグループが続く以上、一生ついて回ると思います。
大倉:他のグループを妬んでもあれだし、ただ頑張るしかないっていう。
村上:冗談で文句言ったりもしましたけど、根幹にはやっぱり他を気にしちゃう気持ちはあると思います。
錦戸:グループとしてしんどかった時期か……。うーん、いつもしんどいっちゃしんどいからね(笑)。
安田:まぁ、それやな(笑)。
――とはいえ「このままじゃオレ、踏ん張れないかも……」みたいな大ピンチのときって、どうやって乗り越えてきたんですか?
横山:そんな弱音言わないですよ。やらなだめですよ、仕事は(笑)。
丸山:僕は、一人で酒を飲むのちょっと控えるとかします(笑)。たまに世界の違う人とか、目上の人と食事に行くとかっていうのも、とても大事なんじゃないですかね。ストレスは溜まるかもしれないですけど、得るものはありますから、頑張れます。