メンバーシップ型学歴観
中川淳一郎という方が、SEALDSの奥田愛基氏が一橋大学の大学院に入学(入院)したことに激怒している旨ツイートしています。
https://twitter.com/unkotaberuno/status/743462691973402625
さっき常見 @yoheitsunemi と一橋大学の先生と飲んでたけど、SEALDsの奥田愛基が一橋の院に入ったんだって? いやぁ……。すげー不快。
https://twitter.com/unkotaberuno/status/743463569358872576
文系国立大学の大学院さぁ、文科省の方針で院生増やしたいかもしれねぇけど、学歴ロンダリング狙いの連中が殺到するような状況をお前ら良しとしてるの? あぁ、ばかじゃねぇの? 一橋、うんこ食ってろ、てめぇら。バカ大学め、中にいる連中も含めててめぇらうんこ食ってやがれ
まだ続きますが、「一橋の院試がラクに入れるとの印象」とか「奥田氏も別に明学の院に行けばよかったんじゃないですか?」というあたりが、いかにも日本的なメンバーシップ型学歴観がよく現れているな、と感じました。
正直言って、社会的発言をする社会学の大学院生と言えば、最近も炎上を繰り返している某東大の院生タレント氏を見ればわかるように、それで大学の格がどうこうするようなものでもないのではないかと思いますが、そこはやはり、出身大学に対する愛着の度合いがここまで高いのでしょうね。
とはいえ、そもそも教育と雇用を貫く一次元的な「能力」、すなわち組織に入ってから厳しい訓練に耐えて様々な仕事をこなしていけるようになる潜在能力の指標としての大学入学時の高い勉強成績でその人をどう評価するかしないかという次元の話と、その研究内容をどう評価するかはともかく、ある問題意識を持って研究していくことができるタマかどうか、という次元の話とは、そもそもまったく違う話がやや感情レベルでごっちゃになっているのではないかという感が否めません。
研究者の卵がちゃんと立派な研究者に育つか、卵のまま潰れるのか、お笑いタレントの道を歩むのか、そのいずれであれ、当該大学院の指導教授と本人の問題であって、たまたま組織名を同じくする大学に昔入学できるほど賢かった人がいきり立つほどのことでもなかろうと思います。というか、そこで人をいきり立たせてしまうものが、まさにメンバーシップ型学歴観というものなのだろうな、と思うわけです。
(追記)
やや誤解があるようなので念のため。ここでいうメンバーシップ型学歴観とは、あくまでも「組織に入ってから厳しい訓練に耐えて様々な仕事をこなしていけるようになる潜在能力の指標としての大学入学時の高い勉強成績でその人をどう評価するかしないかという次元の話」であって、卑俗な言い方をすれば、「俺は18歳の時、こんなに偏差値が高かったのに、こんな偏差値の低い奴があとから院生として入ってきて○○大生みたいな面するな」という意識であり、だからこそ大学院に研究したくて入ってきた仲間同士のメンバーシップ感覚などとはまったく対極にある「学歴ロンダリング狙いの連中が殺到するような状況」という言葉が出てくるわけでしょう。
この学歴感覚については。もう30年以上昔の本ですが、岩田龍子氏の『学歴主義の発展構造』という本が大変示唆的です。
| 固定リンク
|
コメント
ほほう。一理あるじゃないですか?ただし院にまつわる政策失敗の話でそれをご本人からすると気にくわないと思われる有名人に還元して発散するしかない反応で、別にそこまでメンバーシップに因果を収斂されてもねえ。
欧米超トップ校院生とは、学部生はお客様、院生こそがメンバーシップ=「仲間」でしょ?ですからTAも大変ですが生活に困らないどころかそこらの労働者を凌ぐ所得を提供されるのですから。
日本の院制度がいかいいかがわしいかを情報ツール独特のいい放しで述べられているだけですよ。
文系?理系も立派に「学歴ロンダリング」していますよ。最終学歴主義こそはまちゃん先生が先般エントリで仰る民度の低さの実証的因果かもしれませんよ。
最終学歴に有効需要があるのですよ。ただし、私も一切日本でのそれは肯定いたしませんよ。欧米トップとは別のガラパゴスシステムですし、教員も相当に問題あるのですよ。通用します?日本のマスター、ドクター?
でもイチャモンつけすぎかな。
投稿: kohchan | 2016年6月20日 (月) 18時58分
綴り忘れていました。
はまちゃん先生の「定義」に従えば以下の通りです。
日本の大学院生TAはジョブ型そのもの。伝統的完備契約の役割です。
しつこいようですが、あちらの超トップ大学の院生は大学の名誉を担うメンバーシップです。大学に貢献しますし、それを求められることの利己と利他をミキシングし、最終的にはキャリア便益を極大化する方法論的個人主義そのものです。
ですから教員と本人の問題とともに、制度という問題も絡んでおります。というか後者こそ今や本質的な問題です。
前者の問題とはその後本人が教授する立場に替わったときに顕在化し次の社会を破壊します。いるでしょ?最近のエントリで紹介本の帯に登場しており名前を挙げられていた社会活動家?で今や教授する側に請われそしてタレント化しているある人。
投稿: kohchan | 2016年6月20日 (月) 21時11分
まあ、理科系は別として、日本の文科系の実務の世界では、大学院というのは『学歴』ではないですが。
上のエントリで言う「メンバーシップ型学歴観」とは、あくまでもそこに書いているように「組織に入ってから厳しい訓練に耐えて様々な仕事をこなしていけるようになる潜在能力の指標としての大学入学時の高い勉強成績」のことであって、それ以外ではありません。
私が関心を持って論じているのはあくまでもその限りです。院生の研究者同士のメンバーシップ感覚など、「学歴ロンダリング狙いの連中」に対するかくまでの「不快感」を説明するものではありません。
投稿: hamachan | 2016年6月20日 (月) 21時55分
応答をありがとうございます。
投稿: kohchan | 2016年6月20日 (月) 23時56分